4-1-17 友と鏡の鎮魂歌
智絵里が静かに意識を失って倒れ込む。
小桜は反射的に手を伸ばし、その身体を支えた。
崩れ落ちた智絵里の身体は驚くほど軽く、つい先ほどまで街中で暴走していたとは思えないほど力が抜けている。
その隣で、グラビティウムが小さく息を漏らした。
「……名演技だったな」
小桜は眉をひそめ、すぐに言い返す。
「茶化すのはやめて」
グラビティウムが淡く画面を明滅させると、“ディープフェイク”が静かに解除された。
すると、小桜の姿が淡く揺らぎ、先ほどまでの“シェリー”の面影が消えていく。
長い銀髪も、穏やかな声も、優しげな微笑も、すべてはAIによる映像補正と、ごく少量の魔力による知覚誘導だった。
グラビティウムがこちらの世界のAI技術を利用し、智絵里の網膜へ直接“シェリーの姿”を重ねて見せていたのである。
アルシディアは、最後まで疑わなかった。
智絵里の中で暴走していた膨大な魔力も、ようやく解放されたのだ。
今の智絵里は、まるで長い悪夢から解放されたように、静かな寝息を立てていた。
小桜は安堵の息をつきながら、急いで救急車を呼ぶ。
その後、噴水の縁へ歩み寄り、水没した智絵里のスマホを拾い上げた。
画面は完全に沈黙している。
先ほどまで空気を満たしていた濃密な魔力も、もうどこにも感じられなかった。
その様子を見つめながら、グラビティウムが低く呟く。
「やはり、媒介となるデバイスがこちらの世界に存在しない限り、魔力は長く維持できぬようだな」
「……そうみたいね」
小桜も静かに頷く。
すると、グラビティウムは少し間を置き、珍しく穏やかな口調で続けた。
「双魚の鏡を奉納している神殿に、シェリーの遺品を届けさせることにしよう」
その声音には、どこか古い友を悼むような響きが滲んでいる。
「あれも……安らかに眠るべきだ」
「そうだね……」
小桜は、水に濡れて沈黙した智絵里のスマホをそっと胸元へ抱き寄せる。
ただ冷たく重いだけのその感触が、長い孤独の終わりを告げているように思えた。
智絵里が解放されたことへの安堵と同時に、胸の奥へじわりと寂しさが広がっていく。
結局また、シェリーに助けられた。
小桜は小さく笑みを浮かべ、夜空を見上げた。
「ありがとう、シェリー」
あの場でアルシディアを止められたのは、ただ顔が似ていたからではない。
シェリーなら、きっとこうして智絵里を止めただろうと、小桜自身が信じていたからだ。
誰かを傷つけそうになった相手へ、静かに手を差し伸べるあの在り方そのものを、アルシディアも覚えていたのだろう。
長い時を経ても、その優しさは確かに残っていた。
「ずっと見守ってくれてるんだよね、私たちのこと」
軽く目を閉じ、深く息をつく。
まるで、遠い友人へ別れを告げるように。
その横顔には、安堵と、どうしようもない寂しさが同時に浮かんでいた。
──そして。
すべてを終えた小桜が家へ戻ると、待っていたのは別の意味での修羅場だった。
玄関のドアを開けた瞬間、リビングから鋭い声が飛ぶ。
「小桜」
思わず肩が跳ねる。
視線を向けると、そこには腕を組み、鬼のような形相で待ち構えている杏子の姿があった。
その鋭い目つきは、もはや尋問官そのものである。
「……一体、どういうこと?」
杏子は無言でスマホ画面を突きつけてきた。
そこには、智絵里の配信映像を切り抜いた動画が大量に表示されている。
ぼやけた黒い影。
宙を舞う大鎌。
悲鳴。
逃げ惑う通行人。
ハッシュタグまで付いて、凄まじい勢いで拡散されていた。
小桜の背筋を冷や汗が流れる。
「えっと、これはその……ちょっとした……」
しどろもどろになる小桜へ、杏子はさらに一歩詰め寄った。
「ちょっとした、じゃないでしょう!」
その声に、小桜は完全に目を逸らした。
「何がどうなってるのか、全部話しなさい!」
──騒動から、しばらくして。
智絵里がSNSへ復帰し、笑顔でこう説明したことで、世間の空気は一気に変わった。
「あれ、全部フェイク動画だったんです」
最新AIと映像加工を使った演出企画だった。
そう明るく語る智絵里の動画は瞬く間に広がり、恐怖映像として拡散されていた配信も、やがて「手の込んだ炎上マーケティングだったらしい」という話へ塗り替えられていく。
人々は安心し、ネットも次第にいつもの話題へ戻っていった。
数日後。
小桜は自室で、何気なく智絵里の配信を開いていた。
画面の中では、智絵里が以前と変わらない明るい笑顔でファンへ語りかけている。
「新しいスマホ買ったんですよ~」
楽しそうにそう話した後、智絵里はふと悪戯っぽく笑った。
「あと最近、たまーに精霊さんが遊びに来るんですよね」
その言葉に、小桜の指先がぴたりと止まる。
冗談めかした口調だった。
いつもの雑談配信の延長のようにも聞こえる。
だが、小桜は笑えなかった。
画面の向こうで笑う智絵里の背後。
閉じたカーテンの隙間が、ほんのわずかに揺れた気がしたからだ。
「……気のせい、だよね」
そう呟きながらも、小桜はしばらくスマホ画面から目を離せなかった。
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