4-1-16 鏡の追憶
智絵里は、解放された魔力が全身を満たしていく感覚に酔いしれていた。
何もかもが自分の思うままになるような感覚。
未来さえ見通し、人の動きも感情も掌握できる──そんな万能感が、熱を帯びた霧のように彼女の心を満たしていく。
だが、その昂揚の中で、次第に何かがおかしいことに気づき始めていた。
未来視で追尾しているはずなのに、小桜の姿がうまく捉えられない。
確かに視えている。
逃げる方向も、次に曲がる角も、一瞬先の動きも見えているはずなのに、肝心の“今いる場所”だけが曖昧にぼやける。
まるで、未来そのものが彼女を拒絶しているかのようだった。
「おかしい……何が起きてるの……?」
智絵里は苛立ち混じりに呟く。
だが、その違和感を深く考えようとはしなかった。
考え始めれば、自分の中にある別の声まで聞こえてしまいそうだったからだ。
彼女は不快感を振り払うように大鎌を振り上げ、新たな標的を探して街を歩き始める。
しかし暴れ回っている最中でさえ、ときおり胸の奥に奇妙な空白が生まれた。
自分は何をしたいのか。
何のために、この力を振るっているのか。
その問いだけが、ふとした瞬間に頭をよぎる。
智絵里は今や魔導士として覚醒し、強大な力を手に入れたはずだった。
それなのに、心の奥底では、得体の知れない孤独と虚無感が静かに広がり続けている。
「……まぁ、いいわ」
智絵里は自分に言い聞かせるように呟いた。
「何も考えなくていい。ただ、力を使えばいいんだから」
その言葉は、まるで誰かに教え込まれた暗示のようでもあった。
ふと、噴水のそばで泣いている小さな子供が目に入る。
まだ幼い男の子だった。
親とはぐれたのか、不安そうに周囲を見回しながら、「お母さん……」と震える声を漏らしている。
智絵里は、その小さな姿をじっと見つめた。
そして、薄く微笑む。
彼女の腕が、自然に大鎌を振り上げる。
──違う。
やめて。
そんなことをする必要はない。
智絵里は心の中で必死に叫んでいた。
無力な子供に刃を向ける理由などない。
力を手にした自分が、こんなことを望むはずがない。
だが、腕は止まらなかった。
冷たい刃が、じりじりと子供へ向かって降りていく。
まるで、自分の身体が自分のものではなくなってしまったかのように。
「……どうして、止まらないの……?」
焦燥と恐怖が胸を締めつける。
何度も止めようとする。
だが、魔力に浸食された身体は、智絵里の意思を無視するように動き続けていた。
あと数センチで刃が届く──その瞬間。
鋭い金属音が響いた。
次の瞬間、智絵里の大鎌が大きく弾かれ、軌道が逸れる。
智絵里は目を見開き、反射的に振り返った。
そこには、一人の少女が立っていた。
長い銀髪が風に揺れ、清楚な衣装の裾が静かにはためいている。
その華奢な姿には不思議な気品があり、手にした金属バットさえ、どこか優雅に見えた。
そして何より、その顔には見覚えがあった。
智絵里の口が、無意識に動く。
「……邪魔をするのは、誰だ?」
少女は答えない。
ただ静かに金属バットを構えたまま、智絵里を見つめ返している。
その瞳には、懐かしさと悲しみが同時に宿っていた。
その瞬間、智絵里の中で何かが弾けた。
忘れていたはずの感情。
遠い記憶。
誰かの笑顔。
断片のようなイメージが、激しく胸の奥に流れ込んでくる。
「……シェリー……?」
その名前が、自然に口をついて出た。
自分が言ったのか。
それともアルシディアが呟いたのか。
もう智絵里には分からない。
だが確かなのは、目の前の少女が、“シェリー”としか呼びようのない存在に見えたことだった。
少女──シェリーは、柔らかな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと一歩近づく。
その穏やかな仕草に、智絵里の心が大きく揺らぐ。
懐かしい。
安心する。
そう感じる一方で、本能的な恐怖も込み上げてくる。
智絵里は思わず、大鎌を握る手に力を込めた。
しかし、アルシディアの意思がその身体を通して、か細い声を漏らす。
「本当に……シェリー、なのか……?」
少女は頷かない。
否定もしない。
ただ、静かな瞳で智絵里を見つめ続けていた。
その眼差しには、長い孤独を抱えた者だけが持つ哀しみが滲んでいる。
智絵里は、その瞳から目を逸らせなかった。
自分が振るっていた力。
自分が見ていた未来。
そのすべてが、急速に色を失っていく。
「アルシディア……」
シェリーは穏やかな声で呼びかけながら、そっと智絵里の手に触れた。
固く強張っていた指先を、ゆっくりとほぐしていく。
その温もりに、智絵里の肩が小さく震えた。
そして、いつの間にか握りしめていたスマホを優しく受け取る。
「もう、おやすみなさい」
柔らかな声とともに、シェリーはスマホを静かに噴水へ落とした。
水音が小さく響く。
その瞬間、智絵里は糸が切れたように立ち尽くし、ただぼんやりと、その光景を見つめていた。
ブクマで小桜たちの応援をお願いします!




