4-1-14 未来の幻覚
グラビティウムは小桜を見つめ、いつになく硬い口調で問いかけた。
「智絵里の様子が変わり始めたのは、どれくらい前からだ?」
小桜は一瞬考え込み、記憶を辿るように視線を落とした。
「……私が違和感を覚えたのは、たぶん二ヶ月くらい前。でも、その頃はまだ、こんな風じゃなかった。少しオカルトっぽい投稿が増えたくらいで、本人まで壊れてる感じじゃなかったの」
グラビティウムは深くうなずき、低く呟く。
「ならば、それより遥か以前から、魔力だけは蓄積され続けていたのだろうな。外見や精神に異変が出始めた頃には、すでに内部へ膨大な魔力が染み込んでいたと考えるべきだ」
「つまり、智絵里の中には、それだけ大量の魔力が溜まってるってこと……?」
「そういうことだ」
グラビティウムは小さく息をついた。
「推定するなら、あと十二時間ほどはアルシディアが自由に活動できるだろう。しかも厄介なことに、その魔力は極めて効率よく保持されている」
そして、小桜を見ながら、わずかに皮肉めいた声を混ぜる。
「どうやら、サーラが設計した“大容量魔力蓄積術式”が、人間の肉体に応用されているらしいな」
小桜は露骨に顔をしかめ、気まずそうに視線を逸らした。
「……そんなもの、戦時中の非常用だったのに。まさか現代で悪用されるなんて思わないでしょ」
だが、すぐに表情を引き締める。
「魔力切れを待つなんて無理だよ。十二時間もあれば、被害がどこまで広がるかわからない」
「うむ。今のアルシディアは、智絵里を媒体として完全に活動を始めている。放置すれば、さらに多くの人間を巻き込むだろう」
二人は顔を見合わせ、そのまま急いで街へ向かった。
駅前へ近づいた瞬間、小桜は異様な空気に息を呑む。
通行人たちが、まるで何かに怯えるように悲鳴を上げ、我先に逃げ惑っていたのだ。
その中心にいたのは、スマホを片手に立ち尽くす智絵里だった。
彼女はどこか恍惚とした表情のまま、周囲の人々へ静かに語りかけている。しかし、その言葉を聞いた人々は次の瞬間、顔色を変え、恐怖に引きつった表情で逃げ出していく。
中には膝をついて泣き崩れる者すらいた。
「まさか……未来視を見せているのか?」
グラビティウムが驚愕を滲ませる。
小桜も息を飲んだ。
「双魚の鏡って、未来を見るだけじゃなくて、“見せる”ことまでできるの……?」
「本来の双魚の鏡は、そこまで攻撃的なデバイスではない。近未来の予知や、可能性の観測程度の能力しか持たなかったはずだ。だが今のアルシディアは違う。恐怖そのものを他者へ流し込み、精神を直接揺さぶっている」
小桜は冷や汗を流しながら、逃げ惑う人々を見つめた。
誰もが、自分だけに見えている“最悪の未来”に襲われているようだった。
事故に巻き込まれる光景。
家族を失う光景。
血に染まった未来。
それぞれ異なる恐怖に呑まれ、人々は混乱しきっている。
「このままじゃ……街中がパニックになる」
小桜は唇を噛みしめた。
「智絵里!」
意を決して叫ぶ。
だが智絵里は反応しない。
虚ろな目のまま、再び別の通行人へスマホを向けようとする。
「お願い、気づいて!」
その声に、智絵里の動きがぴたりと止まった。
ゆっくりと、小桜の方を振り向く。
そして不気味なほど穏やかな笑みを浮かべた。
「やっと来てくれたんだね、小桜ちゃん」
その声音に、小桜の背筋が凍る。
いつもの智絵里の声なのに、そこには人間らしい温度がほとんど感じられなかった。
「ずっと、待ってたの」
次の瞬間。
智絵里の足元から黒い霧のような魔力が噴き上がり、その中から巨大な大鎌が姿を現した。
「なっ……!?」
小桜は反射的に後ずさる。
智絵里は無表情のまま、大鎌を静かに握りしめていた。もはや人気インフルエンサーの少女の姿は跡形もない。
まるで死神じみた異形だった。
「アルシディアが、こんな武装を……?」
グラビティウムの声にも明らかな動揺が混じる。
「いや、違う。これは智絵里自身の恐怖や願望まで取り込み、具現化しているのか……!」
智絵里は静かに微笑む。
「あなたたちに、見せてあげる」
その瞳が、ゆっくりと小桜を捉えた。
「避けられない未来を」
スマホが淡く発光した瞬間、小桜の視界へ大量の幻視が流れ込んだ。
血まみれで倒れる自分。
崩れ落ちる街。
泣き叫ぶ杏子。
そして──闇の中で嗤う、かつての闇の女王。
「っ……!」
小桜は頭を押さえ、よろめく。
あまりにも生々しい未来の映像に、一瞬、現実感覚が揺らいだ。
「しっかりしろ!」
グラビティウムが強く叫ぶ。
「それは可能性の幻影だ! 確定した未来ではない!」
だが、アルシディアの力は想像以上だった。
未来視というより、“破滅の可能性”を直接叩きつけてくるような感覚に近い。
智絵里は再び大鎌を振り上げ、小桜へ向かって踏み込んだ。
小桜は咄嗟に横へ飛び、辛うじてその一撃を回避する。
轟音と共にアスファルトが砕け、地面へ深い亀裂が走った。
「ちょっと待って! そんなのあり!?」
小桜は息を切らしながら叫ぶ。
グラビティウムは低く唸った。
「厄介だな……アルシディアは、智絵里の精神へ深く同調している。もはや本人の意思だけで動いている状態ではない」
智絵里はゆっくりと顔を上げる。
その目には、以前の彼女の面影がほとんど残っていなかった。
「今の私には、もう迷いなんてないの」
静かな声だった。
だが、その奥には異様な熱狂が宿っている。
「未来は、ちゃんと見えてる。だから私は、選ばれたの」
小桜は呼吸を整えながら、智絵里を真っ直ぐ見据えた。
憧れていた少女が、目の前で別人のように壊れていく。
その現実に胸が痛んだ。
それでも、ここで止めなければならない。
「智絵里……」
小桜は静かに構えを取る。
「あなたを、このままにはしておけない」
街中を舞台にした激しい戦いが、幕を開けたのだった。
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