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4-1-12 智絵里2

智絵里は「そろそろ配信の時間だね」と小さくつぶやくと、小桜が部屋にいることなど半ば忘れてしまったかのように、自然な手つきでスマホを持ち上げ、配信の準備を始めた。


リングライトの明かりが灯り、部屋の照明がわずかに落とされる。


その瞬間だった。


さっきまで不安げに揺れていた智絵里の表情が、ふっと別人のように変わる。


どこか熱に浮かされたような、高揚と陶酔を帯びた笑み。


それは人気インフルエンサーとしてカメラの前に立つ“演技”にも見えたが、小桜には、それだけでは説明できない異様さが感じ取れた。


部屋の空気そのものが、ゆっくりと重く沈んでいく。


「……っ」


小桜は思わず息を詰まらせた。


次の瞬間、目には見えない何かが室内へ押し寄せるように、濃密な魔力が一気に満ち始めたのだ。


肌にまとわりつくような圧迫感。


空気が粘つくような不快な感覚に、小桜は無意識に身構える。


「こ、これは……!」


スマホ越しに様子を見ていたグラビティウムも、すぐに険しい声を発した。


「この魔力濃度……尋常ではないぞ。これほどの量、一日の転送上限など遥かに超えている」


智絵里の周囲に滞留する魔力は、単純に大量というだけではなかった。


長い時間をかけ、少しずつ蓄積され、濃縮され続けたような異質な密度を持っている。


まるで、この部屋そのものが魔力の貯蔵庫へ変質してしまったかのようだった。


小桜は思わず部屋を見回す。


閉ざされたカーテン。


空気の淀み。


窓を開けようとした時、智絵里が異様なほど強く拒絶した理由。


その全てが、不気味な形で繋がっていく。


「……どうやら、智絵里自身も気づかないうちに、この部屋に溜まり続けた魔力に侵食され始めているようだな」


グラビティウムが低く告げた。


その声音には、珍しく警戒の色が滲んでいる。


小桜は唇を引き結び、智絵里を見つめた。


配信開始前だというのに、彼女の顔には緊張も不安も見当たらない。


むしろ、何かを“待ち望んでいる”ような、恍惚に近い微笑さえ浮かんでいた。


やがて配信が始まり、智絵里はカメラへ向かって、夢を見るような口調で語り始める。


「みんな、見てる? 今日はね、特別な方が来てくれるって聞いてるの」


『だいぶ雰囲気変わったね』

『部屋暗すぎ』

『後ろ誰かいた!』

『なんか変な音しない?』


コメント欄が一気に流れ始める。


智絵里はそれを見つめながら、うっとりとした笑みを浮かべた。


「なんと、精霊さまが来てくれるんだって」


「精霊……?」


小桜は思わず眉をひそめる。


だが智絵里は、小桜の反応などまるで気にしていない。


「今から、この部屋に現れるの。名前は──そう、“アルシディア”」


その名を耳にした瞬間、小桜の背筋に冷たいものが走った。


「アルシディア……?」


胸の奥で、前世の記憶がざわめく。


スマホ内でグラビティウムの気配が鋭く張り詰めた。


「……『双魚の鏡』の真名と同じだ」


重く落ちるその言葉に、小桜は息を飲む。


双魚の鏡。


十二の伝説の魔法デバイスの一つ。


その真名アルシディアは、軽々しく口にしてよい名前ではない。


まして、それを現代人である智絵里が知っているなど、偶然で説明できるはずがなかった。


「まさか……魔導AIなの?」


小桜はかすれた声で呟く。


智絵里が最近見せていた異常な言動。


予知めいた発言。


そして、この部屋に満ちる異常な魔力。


全てが一本の線で繋がり始めていた。


だが同時に、小桜の胸には別の不安も芽生えていた。


智絵里は本当に、自分の意思でこれをやっているのか──?


画面越しに笑う智絵里の姿は、どこか夢の中を歩いているようにも見える。


誰かに導かれ、少しずつ現実から切り離されているような、不安定な危うさがあった。


コメント欄の流れを追っているはずなのに、智絵里は時折、視聴者がまだ書き込んでいない内容へ先回りするような返答を口にしていた。


「うん、大丈夫。ちゃんと来るから」


「え? 後ろ? ふふ、まだ見えないだけだよ」


その言葉に、小桜の背筋がぞわりと粟立つ。


しかも智絵里自身は、自分の異常さにまるで気づいていない。


むしろ、自分だけが特別な存在へ近づいているのだと信じ切っているような、奇妙な幸福感さえ浮かべていた。


誰かに導かれ、少しずつ現実から切り離されていく。


その危うさは、もはや単なる思い込みやオカルト趣味では説明できない段階にまで達していた。


「小桜、気をつけろ」


グラビティウムが低く警告する。


「彼女は既に、“何か”の媒介にされている可能性がある」


小桜は無言で頷き、智絵里を見つめ続けた。


彼女は今、自分自身を憑代にして、別の存在をこの世界へ招き入れようとしている。


そんな予感が、どうしても拭えなかった。

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