番外編②:物件、見つけました
あの日、ラジオの深夜営業が静かに幕を閉じてから、三年の月日が流れた。
花と蓮が正式にバディとなり、現世に紛れ込む怪異たちのお悩みを一つずつ解決し続けた日々。
サボリが本当の名前を取り戻し、大好きな人の元へと帰っていったあの奇跡の夜。
古いラジオが姿を消し、ぽっかりと広く空いてしまった棚。
そのすべてが愛おしい足跡となって積み重なり、気づけば三年が経っていた。
そしてその間に――二人は、結婚した。
プロポーズは、ある穏やかな秋の夜のことだった。
いつものように二人でこたつに足を入れ、温かいお茶を飲んでいたときだ。みやびはいつものようにロフトにいて、足元では猫たちがにぎやかに部屋を走り回っていた。
湯呑みを置いた蓮が、ふと「花さん」と呼びかけた。
「なんですか」
花は画面から目を離さずに応じる。
「結婚してください」
あまりにも自然なトーンだった。花はお茶をもう一口、ズズッと啜ってから言った。
「いいですよ」
「……相変わらず、あっさりしてますね」
蓮が苦笑する。
「あっさりしてますか」
「してます。でも、俺は花さんのそういう飾らないところが、たまらなく好きです」
そのとき、ロフトの上から、鈴を転がしたような澄んだ声が静かに降りてきた。
「おめでとうございます」
二人はハッとして顔を見合わせた。
「みやびさん、聞こえてましたか」
蓮が照れくさそうに上を仰ぎ見る。
「ふふ、聞こえていましたよ」
みやびはロフトの手すりから顔を覗かせ、嬉しそうに目を細めた。
「最初から、お二人はこうなると思っていました」
三毛猫のうにが、みやびがはしごを下りてくるのを察知したように、トコトコとはしごの真下へと移動して座る。
そんな、どこまでも温かくて、いつも通りの夜の出来事だった。
入籍してからも、しばらくは花のマンションで一緒に暮らした。
蓮が元々飼っていた猫たち――ラテとモカとルウの三匹も一緒に引っ越してきたため、花の部屋には、合計六匹の猫たちが一堂に会することになった。
さすがに1LDKにロフトという間取りで、猫六匹と、座敷童子が一人、そして大人二人が暮らすのは、正直なところ「少し手狭」というレベルを超えていた。
黒白のラテがのあを熱烈に追いかけて部屋をハイスピードで一周し、
お転婆なルウがのんびり屋のそらの頭を容赦なく踏んづけていき、
マイペースなモカがうにのお気に入りのベッドを堂々と占領する。
みやびがロフトからその大騒ぎを「賑やかですねえ」と静かに見下ろすなか、
当の蓮はといえば、巨大なキャットタワーの隙間に身体を挟まれて動けなくなっている。
最高に賑やかで、最高に幸せだった。けれど、物理的に狭いものは狭い。
「……蓮さん、そろそろ本気で、もう少し広いお家に引っ越した方がいいかもしれないですね」
キャットフードのストックを片付けながら花が言うと、蓮はタワーの隙間から這い出てきてニヤリと笑った。
「ずっと、そうおっしゃるのを待ってました。実は俺、もう裏で探してます」
「いつから?」
「結婚する、ずーっと前から」
蓮はあっさりと、プロの顔で言ってみせた。花は少しだけ呆れつつも、お腹の底が温かくなるのを感じた。
「ふふ、さすが不動産屋さん。手回しが良いですね」
「ふっ、俺の本領発揮です」
蓮は胸を張った。
「ただ、今回の物件は条件がとにかく色々ありまして。猫六匹がストレスなく走り回れる広さ、みやびさんの専用部屋になる静かな和室、できれば日当たりのいい縁側と小さくても庭、花さんと俺の職場への通勤圏内、そして現実的な予算内、猫たちの脱走防止柵……」
「条件、多すぎませんか?」
「多いです。でも、絶対に見つけてみせますよ。これが俺の本業、一世一代の仕事ですからね」
蓮が「これ以上ない最高の物件」を執念で見つけてきたのは、それから二ヶ月後のことだった。
ある日、仕事から帰ってきた花をお出迎えするなり、蓮は「花さん、ついに見つけました」とだけ言って、興奮を隠せない様子でスマートフォンを差し出してきた。
画面に映し出されていたのは、見事な間取り図だった。
それは、広々とした庭付きの一軒家だった。しかもほぼ新築。LDKは開放感たっぷりで広く、独立した美しい和室が一部屋あり、その先には見事な縁側が伸びている。庭の片隅には、一本の立派な木が植わっていた。
「新築一軒家……! よくこんな条件の場所が見つかりましたね」
「本当にたまたま、奇跡のタイミングで市場に出てきたんですよ。最近の新築で、これだけ広い縁側を残してある物件なんてまずないですからね」蓮が熱弁を振るう。
「実はこれ、元の施主さんがこだわって建てた直後に、急遽海外への長期転勤が決まってしまって、住めなくなって売りに出されたものなんです。だから、ほぼ完全な新築未入居状態なんですよ。ここの縁側にDIYで猫たちの脱走対策も作りますから安心してください」
「この縁側、本当に素敵。広いですね」
「そうなんですよ。南向きで、一日中ぽかぽかと日当たりが良いんです。俺が初めて内見したとき、ここに誰かがちょこんと座って、のんびり日向ぼっこをしている姿が、あまりにも簡単に想像できて……」
花は、背後にそっと佇んでいたみやびを見た。
みやびは小さな身体を乗り出すようにして、花の持つ画面をじっと覗き込んでいた。特に、その陽だまりの縁側の写真を、吸い込まれるように見つめている。
「蓮さん、みやびの部屋、ちゃんと作れそうですか」
花が訊ねる。
「もちろんです」
蓮は力強く頷いた。
「独立した和室が一部屋あります。そこを純和風の最高のお部屋に整えれば、完璧なみやびさんの特等席になります。俺、前に約束しましたよね。みやびさん専用のお部屋を作るって」
みやびが、ハッとしたように顔を上げた。
大きな瞳が小刻みに揺れている。
「……そんな昔の約束、まだ覚えていてくれたのですか……?」
「忘れるわけないですよ」
蓮は優しく微笑んだ。
「みやびさんとの約束であると同時に、俺をバディに選んでくれた花さんとの、大切な約束でもあるんですから」
みやびは、もう一度画面の写真を見つめた。和室、縁側、そして青々とした庭。
それから、小さな胸をときめかせるようにして、静かに、けれど確信を込めて言った。
「……私、ここが良いです。ここに行きたいです」
「よし、決まりですね!」
蓮が嬉しそうにガッツポーズをする。
「決まりだね」花も深く頷いた。
すると、二人の間に茶トラのそらが強引に割り込んできて、肉球でスマートフォンの画面をべちっと踏んづけた。
「あはは、そら、画面が見えないよ。こっちおいで」
花が抱き上げると、そらは満足そうに花の膝の上で丸くなり、喉を鳴らし始めた。
それからトントン拍子に契約が進み、新しい家の引き渡し日が決まった。
段ボールに囲まれながら荷造りをするなか、花はふと手を止めて、長年暮らしたこの1LDKの部屋を見回した。
このマンションに一人で引っ越してきてから、本当に色々なことがあった。
頭の中がうるさくて眠れなかった夜。
みやびが初めてこの部屋に現れた、驚きの日。
古いラジオに、悪戯好きで可愛い付喪神が移ってきた夜。
蓮と出会い、初めて一緒に怪異の謎を解いたあの緊張感。
雨の夜、ベランダでずぶ濡れになっていた子猫たちを六匹一気に保護した、あの大騒動。
そして――サボリが「コテツ」になって、おばあちゃんの元へ帰っていった、あの愛おしい別れの夜。
部屋の隅の棚は、あの日から今も少しだけ、広く空いたままだ。
花は、段ボールを組み立てているみやびの小さな背中を呼んだ。
「みやび。新しいお家に行っても、そらたちのこと、変わらずよろしくお願いしますね」
「もちろんです」
みやびは振り返り、凛とした顔で頷いた。
「家がどれだけ広くなろうとも、私がこの家の座敷童子であることは、何一つ変わりません」
「それからね」
花はしゃがみ込んで、みやびと目線を合わせた。
「新しいお家に荷物を運び込むとき、まず真っ先に、みやびのお部屋から整えましょう。引っ越しの初日に、まずあの和室を完成させるの」
みやびは驚いたように、丸い目をさらに丸くした。
「私の部屋を、一番先に、ですか……?」
「うん、先に」
花は優しく微笑んだ。
「まずは神様であるみやびが新しい家にしっかり馴染んで、そこを『我が家』として落ち着かせてから、猫たちを順番に入れた方が、きっとみんなも安心すると思うから。それに、みやびを待たせたくないしね」
みやびはしばらくの間、こぼれ落ちそうなほど優しい瞳で花をじっと見つめていた。
それから、胸元で小さなおててをぎゅっと握りしめ、嬉しさを噛み締めるように深く、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。花さん、蓮さん」
足元では、いつの間にかうにが近寄ってきて、みやびの着物の裾に「おめでとう」と言うように何度も頭を押し付けていた。みやびはその愛おしい塊をそっと抱き上げる。
「うに、もうすぐ新しい、とっても広いお家ですよ」
みやびの腕の中で、うには幸せそうに、ゴロゴロ、ゴロゴロと深く喉を鳴らし続けた。




