お母様の想い
馬車が伯爵邸に着くと私はまっすぐ自分の部屋に向かった。もしお父様と顔を合わせてしまったらアレックス様とのことに言及されるかと思ったからだ。自分でもどうしたいか分からないんだからとにかくそっとしておいてほしい。昼食も自室に運んで欲しいとマリーに頼んだ。
ガチャッと扉を開けてまっすぐベッドに向かって倒れこむ。ゴロンと寝転んで天井を眺めながらしばらく何も考えずひたすらぼーっとする時間を過ごした。
ふと視線を移動させるとマリーが昼食の準備をしていた。突然現れたマリーに思わずぎょっとしてしまった。
え、いつの間に?!
マリー曰くノックをしたけど返事が無かったとのこと。寝てるのだろうと思い部屋に入ってみるとベッドに転がってぼーっとしていたからとりあえず準備をすることにしたようだ。
ノックにも気づかないなんて、よほど疲れてるのね。
「お嬢様、準備ができましたよ」
マリーの言葉に体を起こして椅子に座り今日の昼食を見た。こってり系だったらどうしようと少し心配したけど、どうやら杞憂だったらしい。今日の昼食は私の好きなサンドイッチ。ローズヒップティーも一緒に淹れてくれている。私の食欲が無いのを見越して軽めの食事にしてくれるようにシェフに頼んでくれたらしい。さすがマリーね。
ぱくりと一口食べると薄切りのローストビーフの旨味とチーズの豊かな香りが口いっぱいに広がった。食欲が無いと思っていたけど、あまりの美味しさにパクパク食べてしまった。
悩み事なんか吹き飛ぶようだわ。
私ってホント現金ね。いや、上手に切り替えができるんだからこれはきっと長所よ、うん。
サンドイッチをペロリと食べ終わり食後の紅茶を飲んでいると不意に部屋にノックの音が響いた。どうぞと声をかけると入ってきたのはお母様。
「ベル、少しいいかしら?」
「ええ。大丈夫です」
お母様は私の隣に腰掛けると、マリーに差し出された紅茶を一口飲んだ。
一体何の話かしら?アレックス様のところに行ってきてどうだった、とか?
「あなたに少し話しておきたいことがあるの」
「何でしょうか?」
「以前私が『何か言いたいことはある?』と聞いたのを覚えているかしら?」
確かにそんなことを言われた気がする。あれは確か・・・・婚約披露パーティーが終わった後だったはず。
私は短くはいと返事をした。
「あの時もベルの様子がいつもと違ったから気になっていたの。何かあったのは間違いないのにあなたは何も話そうとしないし、いつも通りに振舞おうと無理をしていたでしょう。だから心配していたの。アレックス様と何かあったんじゃないかって」
それがまさかあんなことになっているなんて思いもしなかった、とお母様は泣きそうな顔で続けて言った。
「私たちのことを信じられなかったことも良く分かる。でもこれだけは知っておいて。親にとって子どもの「大丈夫」という言葉は時には辛いものだということを」
「え?」
「苦しい時には苦しいと言っていいの。助けを求めていいの。苦しんでいるのを分かっていても大丈夫だと言われてしまっては何もできないのよ、助けてあげられないの。だから昨日ベルが不安に思っていることを打ち明けてくれて嬉しかった。やっとベルを助けてあげられる」
「お母様・・・・」
目に涙を溜めながら訴えてくるお母様の姿に私も自然と目頭が熱くなった。お母様は私の異変に気付きながらも話してくれるのを待っていたんだ。
「わ、私・・・・お父様やお母様の口から実は騙していたと言われるのが怖かった・・・。大好きな二人から裏切られていたことを実感したくなかった。だから逃げたの」
ポロポロと涙を流す私をお母様がそっと抱きしめてくれた。背中をさすってくれる優しい手。そのぬくもりに安心して更に涙が流れてきた。傍で控えていたマリーがそっとハンカチを差し出してくれた。それを受け取りとめどなく溢れる涙を拭う。
「そうね、ごめんなさい。私たちが変に誤魔化したりしたからいけなかったのよね。正直に話していればよかった」
お母様は一度私の身体を離してから両手をぎゅっと握り、私の目を見つめながら続けて言った。
「お父様も私もベルを心から愛しているわ。あなたを裏切ることなんて決してない。だからこれからは嫌なことは嫌と、苦しい時は助けてと言って欲しいの」
私はこくんと小さく頷いた後もう一度お母様の肩に頭をもたれかけた。お父様もお母様も私のことを大切に思ってくれている、その事実がとても嬉しかった。
「アレックス様に対してもよ」
・・・・・・・・ん?
「はい?」
私はガバっと顔をあげてお母様を見た。
え、今アレックス様って言った?親子の心が通じ合った感動の瞬間なのになんで今その名前が出てくるの??
「アレックス様とのこと、悩んでいるんでしょう?」
「あ・・・・はい」
確かに婚約を破棄するかどうか悩んではいる。だからと言ってなんで今アレックス様?
「アレックス様に対しても思っていること、不安に思っていることはきちんと伝えた方がいいわ。言わないと分からないこともあるし、男性は女性より相手の気持ちを察するのが得意ではない人が多いわ」
「え?そうなのですか?」
「ええ。あなたのお父様もそうよ」
「お父様も?で、でも私が政略結婚が嫌いなことをお父様は気づいていらっしゃいましたよね?」
「お父様は人の気持ちにはとても鈍感だから私がお父様にこっそり教えているのよ」
そうだったんだ。私の良き理解者であり尊敬しているお父様のイメージがガラガラと崩れていくのを感じた。
でもそう言われてみると妙に納得した。お父様が空気の読めない発言をしたり私の気持ちを考えてくれなかったりしたことが婚約して以降何度かあった。その度にお母様がすかさずフォローしてたっけ。
じゃあ、アレックス様もそうなのかな?人の気持ちを読むのがあまり上手ではないのかも。それなら私に向けられた数々の失礼な言動も納得できるような気がする。いや、やっぱり無理だわ。
「もしアレックス様との婚約を続けるのなら来年の春にはあなたたちは夫婦よ。嬉しいことも嫌なことも何でも言い合える仲じゃないと後々大変な思いをすることになるわ。それこそ今の比じゃないくらいにね。だから今ベルが不安に思っていること、されて嫌だったことを素直に伝えてごらんなさい。それを受け止めてくれないようならとても夫婦になんてなれないわ」
確かに言いたいことも言えないようではこの先息が詰まってしまう。今世でも前世と同じく昔は女性は黙って家に仕えるのが美徳とされてきたけど、今は違う。時代は変わり女性もそれなりの地位を得られるようになった。
いくら格上の相手だからと言って私ばかり我慢する必要はないってことよね。
頭では納得できるけど、実際にそれを言えるかどうかはまた別問題。
私がうーんと唸っていると再びお母様が口を開いた。
「でもまずはアレックス様とのことをどうするか決めないとね。まだ時間はあるからゆっくり決めなさい。どんな答えを出そうとも私たちはベルを応援するわ」
そう言い残してお母様は部屋を出て行った。そして再び訪れる静寂。
私は既に冷めてしまった紅茶を一口飲んでお母様の言葉について考えを巡らせた。




