7
数日が過ぎた。
マリアンヌは、自分の目がおかしいことを隠していた。
誰にも言いたくなかった。
言えば、弱い人間だと思われる気がしたから。
それに――
これ以上、自分から何かを奪われるのが怖かった。
「マリー、朝食持ってきたよ」
ミラの声が聞こえる。
「ありがとう」
マリアンヌは振り返った。
けれど。
「……あれ?」
ミラの顔が、ぼんやりしている。
「どうしたの?」
「いえ……」
マリアンヌは目を細めた。
「ミラ、そこにいますよね?」
「いるけど……?」
「……なんでもありません」
ミラは不思議そうな顔をした。
マリアンヌは、笑って誤魔化す。
しかし、心臓は激しく鼓動していた。
昨日までは、こんなことはなかった。
少し霞む程度だった。
けれど今は違う。
近くにいる人の顔さえ、はっきり見えない。
マリアンヌは恐る恐る手を伸ばした。
ミラの腕に触れる。
「……よかった」
「何が?」
「ちゃんと、ここにいる」
ミラは困ったように笑った。
「変なの」
その日の昼。
マリアンヌは廊下を歩いていた。
掃除をするためだった。
いつも通り歩いているつもりだった。
しかし――
「……!」
目の前の階段が見えなかった。
一段目に気づかず、足を踏み外す。
「きゃっ!」
身体が前へ傾いた。
誰かに腕を掴まれる。
「危ない!」
ミラだった。
「マリー!」
「……ごめんなさい」
「どうしたの?」
「階段が……」
「見えなかった?」
マリアンヌは答えられなかった。
代わりに俯いた。
「……少しだけ」
ミラは黙った。
「ねえ」
「はい」
「本当に、目が悪くなってるんじゃない?」
「……」
「一度、女主人に言おう」
「駄目です」
マリアンヌは即座に答えた。
「どうして?」
「……怖いから」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
病気だと知られたら。
目が見えないと知られたら。
自分の価値がなくなる。
そう考えてしまった。
その夜。
マリアンヌは鏡の前に立った。
自分の顔を見ようとする。
けれど、鏡の中の自分がぼやけていた。
「……」
手を伸ばす。
鏡に触れる。
冷たい。
「私……」
声が震える。
「見えなくなるの?」
答えはない。
もう一度、目を擦る。
それでも、ぼやけたまま。
「嫌……」
涙がこぼれた。
「嫌よ……」
マリアンヌは鏡に額をつけた。
「これ以上、何も奪わないで……」
家を奪われた。
身分を奪われた。
婚約者を奪われた。
名前まで奪われた。
それなのに。
今度は――
目まで。
「……助けて」
誰もいない部屋で、初めてそう口にした。
「誰か……助けて……」
けれど。
その声を聞く者はいなかった。
翌朝。
マリアンヌが目を覚ますと、部屋の中は薄暗かった。
「……朝?」
窓のほうを見る。
カーテンを開ける。
いつもなら朝の光が差し込む時間だった。
けれど――
「……?」
光が、弱い。
まるで厚い霧の中にいるようだった。
マリアンヌは何度も瞬きをした。
それでも変わらない。
「……どうして?」
その瞬間。
初めて、本当の恐怖が胸を支配した。
もしかしたら。
このまま何も見えなくなるのではないか。
そう思った瞬間、足から力が抜けた。
「……嫌」
床に座り込む。
「嫌……嫌……」
そして彼女は、誰にも聞こえないように泣いた。
その日から。
マリアンヌは、少しずつ光を失っていった。




