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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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6/22

6

それから数日。


 マリアンヌは、月影館の中で過ごしていた。


 まだ客の前に出ることはなかった。


 女主人は、彼女が元公爵令嬢であることを利用して、しばらく価値を高めるつもりらしい。


 その間、マリアンヌに与えられた仕事は簡単なものだった。


 部屋の掃除。


 衣服の整理。


 花瓶の水を替えること。


 どれも、かつての彼女なら使用人に任せていた仕事だ。


 けれど今は違う。


 自分でやるしかない。


「……こんなところで、何をしているのかしら」


 花瓶に水を注ぎながら、マリアンヌは呟いた。


 窓の外を見る。


 青い空。


 白い雲。


 それだけが、かつての生活と繋がっているように感じられた。


「マリー」


 背後からミラの声がする。


「はい」


 マリアンヌは振り返った。


「それ、終わった?」


「もう少しです」


「手伝おうか?」


「大丈夫です」


 そう答えた瞬間だった。


 手元が滑った。


 ガシャン!


 花瓶が床に落ちる。


「……!」


 水が床に広がった。


 マリアンヌは慌ててしゃがみ込む。


「ごめんなさい……」


「大丈夫だよ」


 ミラもしゃがみ込む。


「怪我してない?」


「はい……」


 マリアンヌは割れた花瓶の欠片を拾おうとした。


 そのとき。


「あっ……」


 指先に鋭い痛みが走った。


「血が出てる!」


 ミラが慌てて手を掴む。


「触らないで!」


 マリアンヌが反射的に手を引いた。


 ミラが驚く。


「……ごめんなさい」


「ううん」


 ミラは優しく笑った。


「怖かったんだよね」


 マリアンヌは何も言えなかった。


 少しして、ミラが傷の手当てをしてくれた。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 ミラが立ち上がる。


「じゃあ、私が片付けるね」


 その姿を見ていると、マリアンヌは少しだけ胸が温かくなった。


 ここへ来て初めてだった。


 誰かに優しくされたのは。


 ――けれど。


「……?」


 突然、視界が霞んだ。


 目の前にいるミラの姿がぼやける。


「ミラ……?」


「ん?」


「ちょっと……」


 マリアンヌは目を擦った。


「目が、おかしいみたいです」


「見えないの?」


「いえ……」


 少しすると、元に戻った。


「もう大丈夫です」


「本当に?」


「はい」


 ミラは心配そうにマリアンヌを見つめた。


「最近、よく目を擦ってない?」


「……そうですか?」


「うん」


 マリアンヌは考える。


 確かに最近、何度か視界がおかしくなる。


 最初は疲れているだけだと思っていた。


 けれど――


「少しだけ、見えにくい気がします」


「女主人に言ったほうがいいよ」


「……病院に連れていってくれるでしょうか」


 ミラは黙った。


 その沈黙が答えだった。


「……そうですよね」


 マリアンヌは苦笑した。


 元公爵令嬢だった自分が、こんな場所で医者に診てもらえるはずがない。


 その日の夜。


 マリアンヌは窓辺に座っていた。


 遠くに見える王宮の明かり。


 かつてなら、あの場所へ行けばレオンハルトに会えた。


 今は――


 もう、遠すぎる。


「殿下……」


 名前を呼ぶ。


 返事があるはずもない。


 それでも、口にせずにはいられなかった。


「私……まだ、ここにいます」


 涙が頬を伝う。


「どうして、迎えに来てくれないの……?」


 もちろん答えはない。


 マリアンヌは涙を拭った。


 そのとき。


 また視界が霞んだ。


「……また?」


 今度は、さっきより長い。


 窓の外の明かりが、ぼんやりと滲んでいく。


 マリアンヌは目を閉じた。


 そして、ゆっくり開く。


 少しだけ戻った。


「……大丈夫」


 自分に言い聞かせる。


「きっと大丈夫」


 けれど。


 その翌日から。


 視界が霞む回数は、少しずつ増えていった。

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