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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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どれくらい歩かされたのか、マリアンヌには分からなかった。


 森を抜けても、男たちは止まらない。


 何度も転びそうになりながら、それでも腕を引かれて歩き続けた。


「お願い……」


 声は震えていた。


「家に帰して……」


 返事はない。


「私は何もしていないの……」


 誰に言っているのか、自分でも分からなかった。


 ただ、怖かった。


 何が起こるのか分からないことが、一番怖い。


 やがて森を抜けると、一台の馬車が待っていた。


 粗末な荷馬車だった。


「乗せろ」


「嫌!」


 マリアンヌは初めて強く抵抗した。


「私は公爵令嬢よ!」


 その言葉を口にした瞬間、男たちが笑った。


「まだそんなこと言ってるのか」


「……え?」


「もう公爵令嬢じゃない」


 胸を刺されたような気がした。


「王太子との婚約も破棄されたんだろ?」


「……」


「爵位も剥奪された」


「……やめて」


「お前はもう、誰にも必要とされていない」


「やめて……!」


 マリアンヌは耳を塞いだ。


 けれど男は構わず続ける。


「だったら、お前に残っている価値は何だと思う?」


 答えられなかった。


「顔だよ」


 その言葉に、身体が凍りついた。


 男はマリアンヌを荷台へ押し込んだ。


 扉が閉められる。


 暗闇。


 マリアンヌは震える身体を抱きしめた。


「……誰か」


 小さな声が漏れる。


「誰か、助けて……」


 けれど返事はない。


 馬車が動き始める。


 揺れるたびに、涙が頬を伝った。


 どれくらい経っただろう。


 やがて馬車が止まった。


 扉が開く。


「降りろ」


 外へ出ると、そこには大きな建物があった。


 夜の街の中でもひときわ目立つ、豪華な建物。


 入口には美しい女性たちが立っている。


 その女性たちは、マリアンヌを見ると何かを察したような顔をした。


「新入り?」


「ああ」


「どこの子?」


「元公爵令嬢らしい」


「……へえ」


 女性の一人がマリアンヌをじっと見る。


 そして小さく息を吐いた。


「そりゃ高く売れそうね」


 その言葉の意味を理解するまで、少し時間がかかった。


「……売る?」


 マリアンヌが呟く。


 男が答えた。


「そうだ」


「……何を?」


「お前を」


 世界が止まった。


「……嫌」


 マリアンヌは後ずさった。


「嫌です」


 もう一歩。


「私は……そんな場所に……」


 女が冷静に言った。


「ここは月影館よ」


 月影館。


 王都でも最高級と噂される娼館。


 その名を知らない貴族はいない。


 マリアンヌも知っていた。


 けれど――


 自分がそこへ入るなど、考えたこともなかった。


「違う……」


 首を横に振る。


「私は、ここに来る人間じゃない……」


「そうね」


 女は静かに答えた。


「あなたは昨日まで、そういう人間だったのでしょうね」


 その言葉が痛かった。


 昨日まで。


 たった一日で、何もかも変わってしまった。


「王太子殿下に愛される公爵令嬢だったんでしょう?」


「……」


「でも、ここへ来た以上、過去の身分なんて意味はないわ」


 マリアンヌの目から涙が落ちる。


「……殿下」


 誰にも聞こえないほど小さな声で、名前を呼んだ。


 助けて。


 そう言いたかった。


 けれど、声にはならなかった。


 レオンハルトはもう、自分を婚約者とは思っていない。


 きっと自分は、もう捨てられた。


 マリアンヌはその場に座り込んだ。


 膝を抱える。


「……帰りたい」


 誰も答えない。


「お家に帰りたい……」


 それでも誰も来てくれない。


 その夜。


 マリアンヌは小さな部屋に一人で閉じ込められた。


 窓には鉄格子。


 扉には鍵。


 鏡に映った自分を見る。


 乱れた髪。


 汚れたドレス。


 泣き腫らした目。


 そこにいるのは、昨日までの公爵令嬢ではなかった。


「……私、誰?」


 自分でも分からなくなる。


 マリアンヌは鏡に手を伸ばした。


 指先が冷たいガラスに触れる。


「私は……」


 言葉が続かない。


 やがて、廊下から声が聞こえた。


「この子、名前は?」


「マリアンヌだそうよ」


「長いわね」


 少しの沈黙。


「今日から『マリー』でいいでしょう」


 その名前が、静かな廊下に響いた。


「マリー」


 マリアンヌは小さく呟く。


 そして――


 初めて、自分の名前を奪われた。


 マリアンヌ・フォン・ローゼリア。


 その名前は、月影館ではもう誰にも呼ばれなかった。

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