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第20話 忘れられない声
廊下に、男たちの足音が響いていた。
マリーは壁に背をつけ、息を殺していた。
隣ではミラも震えている。
「……誰かいるのか?」
男の声。
マリーは反射的に口元を押さえた。
すると――。
「おい、そこの部屋を確認しろ」
鍵のかかった部屋。
セレネの侍女が閉じ込められている部屋だった。
マリーは息を呑む。
「まずい……」
ミラが小さく呟いた。
その瞬間。
「お待ちください」
別の声が響いた。
落ち着いた、低い声。
「この部屋には誰もいません」
マリーの胸が跳ねた。
その声。
なぜか、胸の奥に引っかかった。
知らないはずなのに。
忘れられないような声。
男は続けた。
「客として来ている私が言うのも変だが、こんな場所で女性を閉じ込めておくのは問題じゃないのか?」
「……お客様には関係ありません」
「そうか?」
低い声に、わずかな威圧感が混じった。
マリーは知らなかった。
その男が王太子であることを。
そして彼が、かつて自分を「マリアンヌ」と呼んでいた人だということを。
◇
「レオン様、こちらへ」
女主人が慌てて間に入った。
「お客様に不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません」
「別にいい」
レオンハルトはそう答えた。
しかし、視線は廊下の奥へ向いていた。
先ほど。
ほんの一瞬だけ。
誰かの気配があった。
女主人は笑顔を作る。
「お部屋をご用意しております。どうぞこちらへ」
「ああ」
レオンハルトは歩き出した。
だが。
一歩進んだところで、再び足を止める。
「……その花」
「え?」
「この香りは?」
廊下に飾られていた花。
淡い香りのする白い花だった。
「月影館では、よく飾っているものですが?」
「……そうか」
レオンハルトはそれ以上何も言わなかった。
しかし胸の奥に、嫌な予感が残った。
マリアンヌが好きだった花。
幼い頃。
庭園で二人きりになったとき、彼女はその花を見つけて嬉しそうに笑っていた。
『殿下、この花をご存じですか?』
『知らない』
『ふふっ。では、私が教えて差し上げます』
そんな些細な記憶。
今になって、鮮明に蘇る。
「……馬鹿な」
彼は自分に言い聞かせる。
マリアンヌは国外へ追放された。
そして、その後どこかへ逃げた。
そう聞いている。
だから。
ここにいるはずがない。
◇
一方、物陰に隠れていたマリー。
男たちの足音が遠ざかっていく。
ミラがほっと息を吐いた。
「行ったみたい……」
「……うん」
マリーはまだ動けなかった。
「どうしたの?」
「今の人……」
「お客さん?」
「……声が」
胸が苦しい。
懐かしい。
でも、そんなことがあるはずがない。
「どんな声だったの?」
「……昔、知っていた人に似てた」
「誰?」
マリーは少し黙った。
そして。
「……王太子殿下」
その名前を口にした瞬間。
胸の奥が痛んだ。
レオンハルト。
自分が一番、信じていた人。
そして。
一番、信じてほしかった人。
「でも……違う」
マリーは首を振った。
「殿下がこんな場所に来るわけないもの」
自分に言い聞かせるように呟く。
「私を見捨てた人が……今さら私を探すわけない」
その言葉には、まだ傷が残っていた。
◇
その頃。
レオンハルトは一人、用意された部屋に入っていた。
扉を閉める。
誰もいないことを確認してから、懐から小さな紙を取り出した。
そこには、今回の調査内容が書かれている。
消えた女性たち。
偽造された身分証。
国外へ流れる不審な荷物。
そして――月影館。
「……やはり、ここだ」
しかし。
紙を見つめながらも、頭から離れない。
さっきの声。
花の香り。
そして、廊下の奥にいた誰か。
「……まさかな」
レオンハルトは目を閉じた。
その瞬間。
扉の外から、女性の声が聞こえた。
「レオン様」
「何だ?」
「今夜、お相手をお選びになりますか?」
「……いや」
少し考えてから。
「一人、気になる女性がいる」
「どなたでしょう?」
レオンハルトは答えた。
「……名前は知らない」
けれど。
なぜか、その女性のことが頭から離れなかった。
そしてその女性こそ――
彼が失ったはずのマリアンヌだった。
まだ二人は、互いの正体を知らない。
だが。
運命は確実に、二人の距離を縮め始めていた。




