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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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2/21

2

王宮を出た馬車の中で、マリアンヌは一言も話さなかった。


 窓の外を流れていく景色を、ただぼんやりと眺めている。


 つい数時間前まで、自分は王太子の婚約者だった。


 それなのに今は――罪人。


 公爵令嬢としての身分も、婚約者としての立場も、すべて奪われた。


「……私、本当に何もしていないのに」


 呟いた声は、誰にも届かなかった。


 馬車はやがて、ローゼリア公爵家の屋敷へと到着した。


 扉が開く。


 けれど、出迎える者はいなかった。


 いつもなら使用人たちが整列し、父も出迎えてくれるはずだった。


 今日は違う。


 玄関ホールには、父――ローゼリア公爵が一人立っていた。


「お父様……」


 マリアンヌは少しだけ安堵した。


 父なら分かってくれる。


 幼い頃から自分を厳しく育ててきた人だけれど、まさか娘がそんな罪を犯したと本気で思うはずがない。


「お父様、私は――」


「部屋へ戻れ」


「……え?」


「荷物をまとめろ」


 父の声は冷たかった。


「国外追放の命令が出ている。明日の朝には屋敷を出てもらう」


 マリアンヌは言葉を失った。


「待ってください」


 一歩、父へ近づく。


「私は何もしていません」


「王宮から証拠が出ている」


「でも、あれは偽物です!」


「証拠が偽物だと証明できるのか?」


「それは……」


「ならば、何を言っても同じだ」


 冷たく突き放された。


「お父様……」


 マリアンヌの目に涙が浮かぶ。


「私のことを、信じてくださらないのですか?」


 父は答えなかった。


 その沈黙が、何よりも苦しかった。


「……分かりました」


 マリアンヌは俯いた。


 涙を見られたくなかった。


 そのときだった。


「お姉様」


 階段の上から声がした。


 顔を上げる。


 そこには義妹のエレノアが立っていた。


 そして、その隣には――セレネ。


「……どうして、あなたがここに?」


 マリアンヌが尋ねると、セレネは悲しそうな顔を作った。


「ごめんなさい、マリアンヌ様」


「何が?」


「私のせいで……こんなことになってしまって」


「……あなたのせい?」


 マリアンヌの眉が僅かに動く。


「私は殿下に何もお願いしていません」


 セレネは胸元に手を当てた。


「でも……私が証言したから」


「そうね」


 マリアンヌは静かに答えた。


「あなたが嘘をついたからよ」


 その瞬間、セレネの顔から悲しげな表情が消えた。


 ほんの一瞬だった。


 けれどマリアンヌは見逃さなかった。


「……何ですって?」


「私はあなたを殺そうとしてなんかいない」


「でも証拠がありました」


「だから、それが偽物なのよ!」


 思わず声を荒らげる。


 しかし――


「もうやめなさい」


 父の声が響いた。


「これ以上、騒ぎを起こすな」


「お父様……」


「明日の朝、お前を国境まで送る」


 それだけだった。


 マリアンヌは唇を噛んだ。


 何を言っても無駄なのだ。


 誰も信じてくれない。


 誰も味方してくれない。


 それでも最後に、マリアンヌは一つだけ尋ねた。


「……私の部屋にあるものは、どうなりますか?」


「すべて処分する」


「……そうですか」


 もう何も言えなかった。


 自分が十数年間暮らしてきた部屋。


 母の形見。


 幼い頃にレオンハルトからもらった小さな髪飾り。


 全部、捨てられる。


 マリアンヌはゆっくりと階段を上った。


 自分の部屋へ向かう。


 扉を開ける。


 見慣れた景色が広がっていた。


 机。


 本棚。


 ドレス。


 窓辺に置かれた花瓶。


 どれも明日にはなくなる。


 マリアンヌはベッドの端に腰を下ろした。


「……レオンハルト様」


 名前を口にするだけで、胸が痛んだ。


 どうして信じてくれなかったのだろう。


 どうして一度も、私の言葉を聞いてくれなかったのだろう。


 そして――


 どうして私は、最後まで彼を信じていたのだろう。


 マリアンヌは目を閉じた。


 その夜。


 彼女は一睡もできなかった。


 翌朝。


 一台の質素な馬車が、公爵家の前に停まった。


 護衛は二人。


 荷物は、小さな鞄が一つだけ。


 公爵令嬢だった頃のマリアンヌが持っていたものとは、とても思えないほど少なかった。


 マリアンヌは振り返る。


 屋敷を見る。


 ここが自分の帰る場所だと思っていた。


 けれど――


 もう違う。


「……さようなら」


 誰も見送りに来ない屋敷へ向かって、そう呟いた。


 馬車の扉が閉まる。


 ゆっくりと走り出す。


 マリアンヌは知らなかった。


 この馬車が向かっているのは、国境ではない。


 そして――


 彼女を待っているのは、国外追放という結末ですらなかった。


 馬車の後方。


 森の木々の間から、一頭の黒い馬が静かに姿を現した。


 その背に乗る男が、走り去る馬車をじっと見つめていた。


「……予定通りだ」


 男は小さく呟いた。


「これで、あの女は誰にも見つからない」


 そして黒い馬は、森の奥へと消えていった。

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