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王宮の大広間に、冷たい沈黙が落ちていた。
煌びやかなシャンデリア。
磨き上げられた大理石の床。
国中から集められた名だたる貴族たち。
いつもなら、華やかな笑い声が響いているはずの場所だった。
けれど今、誰も笑っていない。
その視線のすべてが、一人の令嬢に注がれていた。
「マリアンヌ・フォン・ローゼリア」
玉座の前に立つ王太子、レオンハルト・アルヴェインが、静かに彼女の名を呼んだ。
「はい」
マリアンヌは背筋を伸ばして答えた。
何が起きているのか分からない。
ただ、いつもとは違うレオンハルトの表情だけが、胸に引っかかっていた。
冷たい。
いつもなら、二人きりになれば少しだけ柔らかくなる瞳が、今は氷のように冷え切っている。
「お前には、王家に対する重大な罪がある」
「……え?」
思わず声が漏れた。
大広間のあちこちから、ひそひそと囁く声が聞こえる。
「やはり……」
「公爵令嬢ともあろうものが……」
「信じられないわ」
何を言っているの?
マリアンヌは混乱した。
「私は……何もしておりません」
「そう言うと思っていた」
レオンハルトが手を上げる。
すると、王宮騎士が一つの小箱を運んできた。
蓋が開けられる。
中に入っていたのは、小さな銀色の瓶だった。
「これは、お前の私室から発見された毒薬だ」
「……毒?」
マリアンヌの顔から血の気が引いた。
「違います」
「では、これは何だ?」
「知りません。そんなもの、見たこともありません」
必死に否定する。
けれどレオンハルトの表情は変わらなかった。
「さらに証拠がある」
次に出されたのは、一枚の紙だった。
そこには、王太子を殺害するという内容が書かれていた。
そして最後には――
マリアンヌの署名。
「……っ」
マリアンヌは息を呑んだ。
「これは……私の字ではありません」
「筆跡鑑定では、お前のものと一致している」
「そんな……」
あり得ない。
確かに似ている。
けれど、よく見れば違う。
文字の払い方も、癖も、微妙に違う。
それなのに、どうして。
「違います、殿下。私はそんな手紙を書いていません」
「では、もう一つ聞こう」
レオンハルトが紙を握りしめた。
「三日前、お前は王家の機密文書を持ち出したな?」
「持ち出してなど……」
その瞬間だった。
「嘘です!」
甲高い声が大広間に響いた。
人々が一斉に振り返る。
そこにいたのは、一人の伯爵令嬢。
淡い金色の髪。
潤んだ瞳。
そして、今にも泣き出しそうな顔。
「セレネ……」
マリアンヌの口から、その名前が漏れた。
セレネ・ミレイユ。
最近、王宮で頻繁に見かけるようになった令嬢だった。
彼女は震える身体を押さえながら、レオンハルトの前に進み出る。
「私……見たんです」
「何を?」
「マリアンヌ様が、王家の書庫から機密文書を持ち出すところを……」
「違う!」
思わず声を上げた。
「私は書庫になど行っていません!」
「でも、私は確かに……」
セレネの瞳から涙が一粒落ちる。
「マリアンヌ様に殺されると思いました……」
その言葉に、周囲がざわめいた。
「なんという……」
「嫉妬か?」
「王太子殿下を取られると思ったのかもしれないな」
「そんな……」
マリアンヌは震える手を握りしめた。
何もしていない。
本当に何もしていない。
なのに。
どうして。
どうして、こんなにも自分が悪いことになっているの?
マリアンヌはレオンハルトを見つめた。
幼い頃から一緒に育ってきた人。
婚約者になって十年。
誰よりも自分を知っているはずの人。
「殿下……」
声が震えた。
「私は、本当に何もしていません」
レオンハルトは黙っている。
「信じてください」
それでも返事はない。
「殿下だけは……私を信じてくださいますよね?」
その言葉に、レオンハルトの瞳がわずかに揺れた。
けれど。
彼は目を伏せた。
「……証拠が揃いすぎている」
その一言が、マリアンヌの胸を貫いた。
「そんな……」
「マリアンヌ」
レオンハルトがゆっくり顔を上げる。
「本日をもって、お前との婚約を破棄する」
時間が止まったようだった。
「……え?」
「そして、お前から公爵令嬢としての身分を剥奪する」
「待ってください……」
足に力が入らない。
「私は、本当に何も……」
「国外追放とする」
「殿下……!」
マリアンヌは縋るように手を伸ばした。
けれど、レオンハルトはその手を取らなかった。
ただ、苦しそうに目を逸らした。
その瞬間。
マリアンヌの中で、何かが音を立てて壊れた。
――どうして。
私は、あなたを信じていたのに。
そして誰も知らなかった。
この婚約破棄が、マリアンヌの人生を奪うために仕組まれた、最初の一手だったことを。
そして。
この日を境に、彼女が二度と「マリアンヌ・フォン・ローゼリア」と呼ばれなくなることを。




