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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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16/23

16

翌日の昼。


 月影館は、いつもより少し慌ただしかった。


「今夜、客が多くなるわ」


 女主人の声が廊下に響く。


「部屋を整えておいて」


 使用人たちが慌ただしく動き始める。


 マリアンヌは花瓶を抱えながら、壁に手を添えて歩いていた。


「マリー、そこ右」


「こっち?」


「そう。そのまま真っ直ぐ」


 ミラの声を頼りに進む。


 以前なら一人でできたこと。


 今では誰かの助けが必要だ。


 それでも、マリアンヌは少しずつ慣れていた。


「ここでいい?」


「うん」


 花瓶を置く。


「ありがとう」


 ミラが笑う。


「最近、歩くの上手になったね」


「そうかな」


「うん。前は壁にぶつかってたじゃん」


「……それは言わないで」


 二人で小さく笑った。


 そのときだった。


「……ん?」


 マリアンヌが突然、顔を上げた。


「どうしたの?」


「今、誰かが外で話してた」


「何て?」


「分からない。でも……」


 マリアンヌは耳を澄ませる。


「男の人が二人」


「よく分かるね」


「声が違うから」


 ミラが窓のほうへ向かう。


「……誰もいないよ」


「もう行ったのかも」


 マリアンヌはそう言った。


 けれど、胸の奥には妙な違和感が残っていた。


 その頃。


 月影館から少し離れた宿屋。


 アルベルトは鏡の前で服を整えていた。


 騎士服ではない。


 普通の商人の服だ。


 腰に剣もない。


 顔も少し変装している。


「これなら王宮騎士だとは分からないだろう」


 侍女の足取りを調べるために、今夜、月影館へ入る。


 目的は一つ。


 セレネの侍女を見つけること。


 それだけだった。


 マリアンヌの存在など、まだ知らない。


 同じ頃。


 王宮ではレオンハルトが一人の男と向き合っていた。


「本当に間違いないのか?」


「はい」


 男は商人だった。


 数日前、西の森で不審な馬車を見たという。


「護衛らしき男たちがいました」


「何人だ?」


「四人……いや、五人だったと思います」


「馬車には?」


「女性が一人」


 レオンハルトの表情が変わる。


「顔は見たか?」


「いえ。ただ……」


「何だ?」


「女性が叫んでいました」


 レオンハルトの手が止まる。


「何と言っていた?」


「……『助けて』と」


 胸の奥が冷たくなった。


「その馬車はどこへ向かった?」


「西の街です」


「西の……」


 レオンハルトは地図を見る。


 そこには、一つの街の名前が記されていた。


「……この街か」


「はい」


 レオンハルトはすぐに決断した。


「アルベルトに伝えろ」


「すでに向かわせております」


「そうか」


 少しだけ安心する。


 だが、それでも胸騒ぎは消えなかった。


 そして夜。


 月影館の入口に、一人の男が現れた。


「いらっしゃいませ」


 女主人が笑顔で迎える。


「初めてのお客様ですね」


「ああ」


 男は偽名を名乗った。


「レオナルドだ」


 もちろん本名ではない。


 アルベルトは館内を見渡す。


 客。


 従業員。


 階段。


 廊下。


 そして――


「……」


 二階から、誰かが降りてくる。


 杖を使いながら、ゆっくりと。


 白いドレスを着た女性。


 その隣には少女が付き添っている。


「マリー、ここ段差あるよ」


「ありがとう」


 アルベルトは何気なく視線を向けた。


 女性の顔が一瞬だけ見える。


 長い髪。


 整った顔立ち。


 どこか気品がある。


 だが、目は閉じられていた。


「……盲目か」


 アルベルトはそう思っただけだった。


 その女性――マリアンヌも、男の気配に気づいた。


 けれど、特に気に留めなかった。


 彼女にとって、客はもう珍しい存在ではない。


「マリー」


 ミラが小さな声で言う。


「今日のお客さん、なんだか変じゃない?」


「そう?」


「うん。普通のお客さんと違う気がする」


 マリアンヌは少し考える。


「……足音が静か?」


「そう」


「確かに」


 二人は知らない。


 その男が王宮から来た騎士だということを。


 そしてアルベルトも知らない。


 目の前を通り過ぎた女性が――


 レオンハルトが探している、


 マリアンヌ・フォン・ローゼリア本人だということを。


 ただ一つ。


 アルベルトは、彼女が通り過ぎたあとに残った香りに、妙な既視感を覚えていた。


「……どこかで、嗅いだことがある」


 けれど、その記憶が何なのかまでは思い出せなかった。

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