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王宮の書庫には、古い記録がいくつも保管されている。
レオンハルトは、その中から一冊の記録帳を取り出した。
「マリアンヌの筆跡が残っている書類を、できるだけ集めろ」
「こちらです」
側近が何冊もの書類を机に並べる。
幼い頃の作文。
王宮での報告書。
社交界への招待状。
公爵家から王家へ送られた手紙。
どれも、マリアンヌ本人が書いたものだった。
レオンハルトは脅迫状を隣に置く。
「……やはり違う」
文字の形はよく似ている。
だが、細かな癖が違う。
マリアンヌは「王」の字を書くとき、最後の払いがわずかに長くなる。
脅迫状には、それがない。
「筆跡鑑定をした者は、なぜ気づかなかった?」
「意図的に似せられていたのかもしれません」
レオンハルトは顔を上げた。
「つまり?」
「マリアンヌ様の筆跡を知る人物が、真似をした可能性があります」
「……なるほど」
その人物は限られる。
家族。
使用人。
王宮の人間。
そして――
「婚約者だった俺も知っている」
レオンハルトは呟いた。
だが、自分が書いたものではない。
ならば、他に誰が。
そのときだった。
「殿下」
側近が一枚の書類を差し出した。
「こちらをご覧ください」
「何だ?」
「脅迫状を書く前日、王宮の文具庫から高級紙とインクが持ち出されています」
「誰が?」
「記録上は、セレネ嬢付きの侍女です」
レオンハルトの目が鋭くなる。
「……セレネの侍女」
「はい」
「その侍女を探せ」
「すでに調べました」
「どうした?」
「三日前から、王都を離れています」
レオンハルトは立ち上がった。
「追え」
「承知しました」
ようやく、一つの糸が見え始めた。
その頃。
月影館では、慌ただしい足音が廊下を走っていた。
「誰か来て!」
少女の声。
マリアンヌが顔を上げる。
「どうしたの?」
「ミラが転んだの!」
「え?」
マリアンヌは立ち上がった。
「どこ?」
「こっち!」
声を頼りに廊下を進む。
何も見えない。
それでも、壁に手をつきながら歩く。
「ミラ!」
「マリー……」
床に座り込んでいるミラの声が聞こえる。
「足を捻ったみたい」
「大丈夫?」
「うん……」
マリアンヌはしゃがみ込んだ。
「触ってもいい?」
「うん」
足首に触れる。
少し腫れている。
「冷たい布を持ってきて」
近くにいた少女へ指示する。
「それから、椅子を」
「分かった!」
マリアンヌはミラの肩を支えた。
「ゆっくり立てる?」
「無理かも」
「じゃあ、私に掴まって」
「でも、マリーは見えないでしょう?」
「だから何?」
マリアンヌは笑った。
「見えなくても、あなたの声は聞こえるもの」
ミラは黙った。
やがて、小さく笑う。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ミラを部屋まで連れていく。
ベッドに座らせ、冷たい布を足に当てる。
「これで少し楽になると思う」
「マリー」
「うん?」
「前より、強くなったね」
マリアンヌは少し考えた。
「……強くなったんじゃないよ」
「じゃあ?」
「諦めるのが、少し上手くなっただけ」
そう言って笑った。
けれど、その笑顔には以前にはなかった穏やかさがあった。
その日の夜。
マリアンヌは一人で窓辺に座っていた。
風が頬を撫でる。
花の香りがする。
遠くで馬車の音が聞こえた。
目が見えなくなってから、世界は音と匂いでできている。
それでも――
「……悪くないかもしれない」
小さく呟いた。
もちろん、元の生活に戻りたい。
王宮にも帰りたい。
家族にも会いたい。
そして――
レオンハルトに、もう一度だけ会いたい。
そう思う気持ちは消えていない。
けれど。
「……会ったら、何を言えばいいんだろう」
答えは出なかった。
その頃。
王都の外れ。
一人の男が、馬に乗って街道を走っていた。
レオンハルトの命令を受けた騎士だった。
追っているのは、セレネ付きの侍女。
彼女が逃げた先には――
月影館のある街があった。
しかし。
誰もまだ知らない。
その街のどこかに。
レオンハルトが探し続けている女性がいることを。




