12
王宮の地下にある記録庫。
普段、王族ですら滅多に足を踏み入れない場所に、レオンハルトは一人で立っていた。
「婚約破棄に関する記録をすべて出せ」
書記官が戸惑う。
「殿下……すべて、ですか?」
「そうだ」
「ですが、すでに処理が済んだ事件です」
「構わない」
レオンハルトは冷たく言った。
「最初から調べ直す」
書記官は頭を下げ、記録を探し始めた。
しばらくして、分厚い書類の束が机に積まれる。
レオンハルトは一枚ずつ目を通した。
毒薬。
脅迫状。
機密文書。
そしてセレネの証言。
どれも一見すれば、マリアンヌが犯人だと思わせるものだった。
だが――
「……おかしい」
一枚の書類で手が止まった。
「毒薬の鑑定記録は?」
書記官が答える。
「宮廷薬師が確認しております」
「誰だ?」
「宮廷薬師のバルドー卿です」
「その男を呼べ」
数十分後。
一人の老人が記録庫へやってきた。
「殿下、お呼びでしょうか」
「この毒薬について聞きたい」
レオンハルトが記録を示す。
「鑑定したのは、お前だな?」
「はい」
「これは確かに猛毒か?」
「間違いありません」
「では、なぜマリアンヌの指紋が瓶についていない?」
老人の顔が固まった。
「……」
「彼女の部屋から見つかったのなら、なぜだ?」
「それは……」
答えが返ってこない。
レオンハルトは目を細めた。
「もう一度、鑑定しろ」
「承知しました」
老人が去ったあと。
レオンハルトは別の書類を手に取った。
脅迫状。
筆跡鑑定の結果には、
『マリアンヌ本人の筆跡と極めて酷似』
と書かれている。
「極めて酷似……」
レオンハルトは眉を寄せた。
「一致、ではないのか?」
その違和感は、小さかった。
けれど一度気づいてしまえば、無視できなかった。
その頃。
月影館では、マリーが花を整えていた。
「そこにある?」
ミラが尋ねる。
「うん」
マリアンヌは手探りで花瓶に触れる。
「少し右」
「ここ?」
「もう少し」
「……ここ?」
「そう」
花を差し込む。
「できた」
ミラが嬉しそうに笑う。
「上手」
「ありがとう」
マリアンヌも笑った。
目が見えなくなってから、初めて覚えた仕事。
花を整えること。
最初は何も分からなかった。
けれど、花の形を指先で確かめ、香りを覚え、茎の長さを手で測る。
少しずつ、できるようになった。
「マリー」
「うん?」
「最近、ちょっと元気になったね」
「……そうかな」
「うん」
マリアンヌは少し考えた。
「ここにいるしかないから」
その言葉に、ミラの笑顔が消えた。
「それでもいいと思う」
「え?」
「生きるために、何かを見つけるのは悪いことじゃないよ」
マリアンヌは黙った。
「……そうだね」
小さく頷く。
その日の夜。
マリアンヌは窓を開けてもらった。
外から風が入ってくる。
遠くで鐘の音が聞こえた。
「何時?」
「夜の八時」
「そう……」
マリアンヌは風を感じながら、目を閉じた。
「ねえ、ミラ」
「なに?」
「王宮って、今も同じ音がするのかな」
「王宮の音?」
「うん」
マリアンヌは少し笑った。
「朝になると鐘が鳴って……庭では噴水の音がして……」
「きっと今もそうだよ」
「そう……」
少しだけ寂しくなる。
けれど、以前ほど泣かなかった。
もう、泣いても何も変わらないと知ってしまったから。
その頃。
王宮では、レオンハルトが一枚の書類を握っていた。
再鑑定された毒薬の記録。
「……やはり」
毒薬には、マリアンヌが触れた痕跡がなかった。
それだけではない。
毒薬が購入された店を調べると――
購入者の名前が、存在しない人物になっていた。
「誰かが……最初から仕組んでいた?」
レオンハルトはゆっくりと椅子から立ち上がる。
そして、初めて口にした。
「……マリアンヌは、本当に無実なのか?」
疑いは、まだ小さなものだった。
けれどその小さな疑いが。
やがて王国を揺るがす大きな真実へと繋がっていくことを、レオンハルトはまだ知らなかった。




