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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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11/22

11

朝。


 マリアンヌは、誰かに肩を揺すられて目を覚ました。


「マリー。起きて」


「……ミラ?」


「うん」


 聞き慣れた声に、少しだけ安心する。


 けれど、目を開けても何も見えない。


 それはもう、当たり前になりつつあった。


「今日は私が一緒に行くから」


「どこへ?」


「食堂」


「……分かった」


 マリアンヌはベッドから降りた。


 立ち上がるだけでも、以前より時間がかかる。


 足元が見えないからだ。


「右に一歩」


「……こう?」


「そう。そのまま真っ直ぐ」


 ミラに手を引かれながら、廊下を歩く。


 最初は悔しかった。


 誰かに手を引いてもらわなければ歩けないことが。


 けれど、今はもう慣れ始めていた。


「ここだよ」


「ありがとう」


 椅子に座る。


 目の前に食事が置かれる音がする。


「今日はパンとスープ」


「……スープ?」


「うん」


 ミラが手を添えてくれる。


「ここにあるよ」


 マリアンヌはゆっくりとスプーンを握った。


 少しずつ口に運ぶ。


「……美味しい」


「本当?」


「うん」


 久しぶりに、自然な言葉が出た。


 ミラが嬉しそうに笑う。


「よかった」


 食事を終えたあと。


 マリアンヌは女主人に呼ばれた。


「マリー」


「はい」


「今日から簡単な仕事をしてもらうわ」


「……分かりました」


 マリアンヌはもう逆らわなかった。


 ここで生きていくには、従うしかない。


「あなたには、帳簿の整理をしてもらう」


「帳簿?」


「元公爵令嬢なら、数字くらい扱えるでしょう?」


「……はい」


 幸いなことに、それならできる。


 マリアンヌは机に座った。


 帳簿を開く。


 けれど――


「……」


 何も見えない。


 当然だった。


「……そうだった」


 自分が盲目になったことを、改めて思い知らされる。


「数字が読めない」


 女主人は少し黙った。


「……そうね」


「申し訳ありません」


「謝る必要はないわ」


 女主人は帳簿を閉じた。


「別の仕事を探す」


 その声に、わずかな苛立ちが混じっていた。


 マリアンヌは俯いた。


 自分にできることが、どんどん減っている。


「……何かできることはありませんか?」


 女主人は少し考えた。


「客室の花を整える仕事ならできるでしょう」


「やります」


 即答した。


 少しでも役に立ちたかった。


 何もできない人間にはなりたくなかった。


 その日の午後。


 マリアンヌはミラと一緒に花を扱っていた。


「これは薔薇」


「……薔薇?」


「そう。触ると棘があるから気をつけて」


 ミラが手を添える。


 マリアンヌは花びらに触れた。


 柔らかい。


「綺麗……」


 思わず呟く。


「見えなくても?」


「うん」


 マリアンヌは小さく笑った。


「花は、触れば少し分かるから」


 ミラは何も言わなかった。


 ただ、そっと別の花を手渡す。


「これは?」


「……分からない」


「じゃあ、匂いを嗅いでみて」


 マリアンヌが花に顔を近づける。


 甘い香りがした。


「……百合?」


「正解」


 初めて、マリアンヌは声を出して笑った。


「ふふっ」


 ミラも笑う。


 ほんの一瞬。


 それは、以前のマリアンヌに戻ったような時間だった。


 けれど――


 その夜。


 王宮では、一枚の報告書がレオンハルトの机に置かれていた。


「殿下」


「何だ?」


「馬車の捜索についてですが……」


 レオンハルトが顔を上げる。


「何か分かったのか?」


「はい」


 側近は一枚の地図を広げた。


「馬車は国境へ向かっていませんでした」


「……では、どこへ?」


 側近が森の一点を指す。


「西の森です」


 レオンハルトの表情が変わった。


「そこから先は?」


「馬車の痕跡が途切れています」


「……」


「護衛の遺体も発見されていません」


 嫌な予感が確信へ変わっていく。


「マリアンヌは……」


 レオンハルトは立ち上がった。


「国外へ追放されたんじゃない」


 拳を握る。


「誰かに連れ去られた可能性がある」


 そしてこの日。


 レオンハルトは初めて――


 婚約破棄の事件そのものを、疑い始めた。

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