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娼館に堕ちた悪役令嬢を、元婚約者の王太子はもう一度愛する  作者: ももにく


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それから、さらに数日が過ぎた。


 マリアンヌは、ほとんど部屋から出なくなった。


 目が見えない。


 何をするにも、誰かの助けが必要だった。


 それが、何よりも辛かった。


「マリー、お昼だよ」


 ミラが食事を運んでくる。


「……ありがとう」


 マリアンヌはベッドの上で答えた。


 以前なら、自分で食器を持ち、綺麗に並べていた。


 今は違う。


 ミラに手を取ってもらわなければ、どこに何があるのかさえ分からない。


「少し食べよう?」


「……いらない」


「昨日もほとんど食べてないよ」


「お腹が空かないの」


 ミラは心配そうに黙り込んだ。


「ねえ、マリー」


「なに?」


「もう少しだけ、生きようよ」


 マリアンヌの指が止まった。


「……どういう意味?」


「そのままの意味」


 ミラは静かに言った。


「ここで終わらないで」


 マリアンヌは答えなかった。


 やがて小さく笑う。


「私ね」


「うん」


「もう、何も期待してないの」


「……」


「殿下が迎えに来ることも」


「……」


「家族が探してくれることも」


「……」


「いつか元の生活に戻れることも」


 マリアンヌは膝の上で手を握った。


「全部、諦めたの」


 ミラは何も言えなかった。


 その夜。


 月影館の女主人が部屋へ入ってきた。


「マリー」


「……はい」


「明日から、あなたは正式にここで働いてもらうわ」


 マリアンヌの身体が強張った。


「……目が見えないのに?」


「それでもできることはあるでしょう」


「私は……」


 言葉が詰まる。


「嫌です」


「もう選べる立場じゃないわ」


 女主人は淡々としていた。


「ここにいる限り、ここの決まりに従ってもらう」


 扉が閉じる。


 マリアンヌはしばらく動かなかった。


 やがて両手で顔を覆う。


「……もう、嫌」


 涙が指の隙間から落ちていく。


「どうして……」


 誰に尋ねるでもなく呟く。


「私は何もしていないのに……」


 その言葉だけは、何度絶望しても消えなかった。


 自分は無実。


 それだけは分かっている。


 けれど――


 証明する術はない。


 味方もいない。


 帰る場所もない。


 そして今は、光すらない。


 その頃。


 王都では、一つの噂が広がり始めていた。


「ローゼリア公爵令嬢は、隣国へ逃亡したらしい」


「男と駆け落ちしたという話もあるぞ」


「王太子殿下との婚約が破棄されたのを恥じて逃げたんだろう」


「罪を犯したのだから当然だ」


 根も葉もない噂だった。


 だが、人々は面白がるようにそれを広めていった。


 そして王宮にも、その噂は届いた。


「殿下」


 側近が報告する。


「マリアンヌ様について、新たな情報が入りました」


「何だ?」


「どうやら……国外へ逃げたのではないかと」


 レオンハルトの眉が動く。


「根拠は?」


「ありません。ただ、国境付近で見つかっていないため――」


「くだらない」


 レオンハルトは報告書を机に置いた。


「彼女が男と逃げたなどという話を信じるな」


 側近が驚く。


「殿下……?」


 レオンハルト自身も驚いていた。


 なぜ、そこまで強く否定したのか。


 理由は分からない。


 ただ――


 あのマリアンヌが。


 婚約破棄をされたからといって、何も告げずに男と逃げるような人間ではない。


 それだけは、なぜか確信できた。


「もう一度調べろ」


「はい」


「馬車がどこへ向かったのか」


「承知しました」


「そして――」


 レオンハルトは窓の外を見る。


 胸の奥に、嫌な予感があった。


「彼女が本当に無事なのか、確かめろ」


 その頃。


 月影館。


 マリアンヌは一人、暗闇の中に座っていた。


「……マリアンヌ」


 久しぶりに、自分の名前を口にする。


 誰にも呼ばれない名前。


 もう誰にも必要とされない名前。


 それでも――


「私は……マリアンヌ」


 何度も呟く。


「マリアンヌ・フォン・ローゼリア……」


 その名前を忘れたら、本当に自分が消えてしまいそうだった。


 けれど。


 その日を境に。


 月影館で彼女を「マリアンヌ」と呼ぶ者は、一人もいなくなった。


 彼女はただの「マリー」として扱われるようになった。


 そして王都では――


 マリアンヌ・フォン・ローゼリアという令嬢は、いつしか人々の記憶から消えていった。


 まるで。


 最初から存在しなかったかのように。


 ――第一章・完。

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