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婚約者が悪役令息になるらしいので、侯爵令嬢は今日も優雅に根回しします  作者: あめとおと


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3/4

第三話 悪役令息の婚約者、茶会を開く




 西棟の階段に仕掛けられていた細工が見つかってから、数日が過ぎた。


 幸いなことに、学園側は大きな騒ぎにはしなかった。まだ入学前の生徒を巻き込むような事件ではなく、手すりの不具合として処理されたからだ。


 けれど、フィオレッタは知っている。


 あれは偶然ではない。


 誰かが、意図的に仕掛けた。


 そして、ゲームの中ではその階段からパメラが転落する。


 つまり、最初の断罪フラグは、すでに動き始めている。


「……では、次ですわね」


 朝食を終えたフィオレッタは、自室の机に広げていた紙を一枚めくった。


 そこには、前世で覚えているゲームのイベントが書き出されている。


 もちろん、ゲームの攻略情報を完全に覚えているわけではない。


 何周もしたとはいえ、数年前のことだ。


 細かな台詞や選択肢までは曖昧になっている。


 けれど、大きな流れは覚えている。


 そして次に起きるのは――。


「ヴァレリオ様による、令嬢への嫌がらせ事件」


 フィオレッタはため息をついた。


 ゲームでは、ヴァレリオが学園内である令嬢を呼び止め、周囲の令嬢たちが見ている前で厳しく叱責する。


 その理由は「自分に近づくな」というもの。


 その一件がきっかけとなり、ヴァレリオはますます「冷酷な悪役令息」という印象を持たれるようになる。


 ところが、今になって思えば不思議だった。


「どうして、そんなことをする必要がありますの?」


 ヴァレリオは確かに愛想がない。


 けれど、無意味に他人を傷つけるような人物ではない。


 フィオレッタが知っている彼は、むしろ面倒事を避けるタイプだ。


 そんな彼が、わざわざ人目のある場所で令嬢を叱責する。


 どう考えても不自然だった。


「つまり、これも誰かに仕組まれた可能性がありますわね」


 フィオレッタはペンを置いた。


 ただ、今回は階段事件とは少し違う。


 前回は設備を修理すれば防げた。


 けれど今回は、人間同士の噂が絡む。


 誰が嘘をついているのか。


 誰が噂を流したのか。


 それを突き止めるには、学園内の人間関係を知る必要がある。


 しかし、フィオレッタはまだ学園へ入学していない。


「……さて、どうしましょう」


 考え込んでいたフィオレッタのもとへ、侍女のミレーヌがやってきた。


「お嬢様、お父上がお呼びです」


「お父様が?」


「はい。応接室へ来るようにとのことです」


 フィオレッタは立ち上がった。


 まさか、階段の件について何か分かったのだろうか。


 そんな期待を胸に応接室へ向かうと、そこには父と母が揃っていた。


 さらに――。


「あら」


 ソファには、見覚えのある少女が座っていた。


 淡い栗色の髪。


 柔らかな茶色の瞳。


 年齢はフィオレッタとほとんど変わらない。


 けれど、その少女を見た瞬間、フィオレッタの心臓が大きく跳ねた。


「フィオレッタ、こちらへ」


 母に呼ばれ、フィオレッタは席へ向かう。


「今日、お前に紹介したい方がいる」


 父がそう言った。


「こちらはルース男爵家のご令嬢、パメラ嬢だ」


「パメラ・ルースと申します」


 少女は緊張した様子で立ち上がり、丁寧に頭を下げた。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ、来てくださって嬉しいですわ」


 フィオレッタは笑顔を返した。


 けれど心の中では、別のことを考えていた。


 パメラ・ルース。


 ゲームのヒロイン。


 自分が何度も画面越しに見てきた少女。


 そして――。


 ヴァレリオを悪役令息へと追い込んでいく、物語の中心人物。


「……まさか」


 フィオレッタは、ほんの少しだけ視線を落とした。


 ゲーム開始まで、まだ時間がある。


 パメラが学園へ入学するのも、もっと先だったはず。


 それなのに、もう出会ってしまった。


 これが何を意味するのか。


 フィオレッタには分からない。


「フィオレッタ?」


「はい?」


「どうしたの?」


 パメラが心配そうにこちらを見ていた。


「いえ、少し考え事をしていただけですわ」


「そう?」


「ええ」


 フィオレッタは微笑んだ。


 それから、パメラの前に置かれている紅茶へ目を向ける。


「お茶はお好きですか?」


「はい。母が好きなので、よく一緒に飲みます」


「まあ。では、こちらの焼き菓子も召し上がってくださいな。今日届いたばかりなのです」


「ありがとうございます」


 パメラが嬉しそうに笑う。


 その笑顔を見た瞬間、フィオレッタは少しだけ肩の力が抜けた。


 ゲームの中では、ヒロインという「役割」しか見ていなかった。


 けれど実際に会ってみれば、ただの一人の少女だ。


 緊張しながら侯爵家へ来て、出されたお菓子を嬉しそうに見つめている。


 悪役令息を破滅させるために生きているような人物には、とても見えなかった。


「フィオレッタ」


 母が穏やかに声をかける。


「パメラ嬢は今年から王都の学院へ通うことになるでしょう?」


「はい」


「あなたも同じ学院へ通う予定なのだから、仲良くしてあげてちょうだい」


「もちろんですわ」


 フィオレッタは笑った。


 そして、その瞬間に思いつく。


 そうだ。


 これならいい。


 自分がパメラと仲良くしていれば、彼女の周囲で何が起きているのかを自然に知ることができる。


 しかも、わざわざ怪しい調査をする必要がない。


 友人として話を聞けばいい。


「パメラ様」


「はい?」


「もしよろしければ、今度また我が家へいらしてくださいな」


「えっ?」


「お茶を飲みながら、学院のお話を聞かせていただきたいのです」


 パメラは目を丸くした。


 どうやら侯爵令嬢から直接誘われるとは思っていなかったらしい。


「私でよろしいのでしょうか?」


「もちろんですわ」


「でも……」


 パメラが少し迷う。


 フィオレッタは、その理由を察した。


 男爵家の令嬢が侯爵家の令嬢と親しくする。


 身分差を気にしているのだ。


「パメラ様」


「はい」


「お茶会に身分は必要ありませんわ」


 フィオレッタは穏やかに笑った。


「美味しいお菓子と、楽しいお話があれば十分ですもの」


 パメラの表情がふっと明るくなる。


「……はい!」


 その返事を聞いたとき、フィオレッタは確信した。


 この子を守ろう。


 パメラも、ヴァレリオも。


 誰かが二人を利用して未来を作ろうとしているなら、その未来ごと変えてしまえばいい。


 それから数日後。


 フィオレッタは、本当に小さな茶会を開いた。


 参加者は数人だけ。


 パメラと、学院へ進む予定の令嬢が三人。


 もちろん、ヴァレリオは呼んでいない。


 今回の目的は、男の話をすることではない。


 女同士の会話を聞くことだ。


 庭園の東屋には、春の風が吹いていた。


「この学院のお菓子、すごく美味しいんですよ」


 令嬢の一人が楽しそうに話している。


「特に昼休みの時間に出る焼き菓子が人気ですわ」


「まあ、楽しみです」


 パメラも笑う。


 フィオレッタは紅茶を飲みながら、会話を聞いていた。


 特に口を挟まない。


 誰かが何を好きなのか。


 誰と仲がいいのか。


 学院でどんな噂があるのか。


 何気ない会話の中に、情報はたくさん転がっている。


「そういえば、最近グランツ公爵家のヴァレリオ様が、ある令嬢をかなり警戒しているという噂を聞きましたわ」


 その言葉に、フィオレッタの指が止まった。


「まあ?」


「誰のことですの?」


「名前までは知りませんけれど、何でもヴァレリオ様の周囲をしつこくうろついているとか」


 フィオレッタは笑顔を崩さなかった。


 だが、心の中では鐘が鳴っている。


 ――ゲームには、こんな噂はなかった。


「それは、どこから聞いた話なのかしら?」


「従姉から聞きましたの。学院に通っている方ですわ」


「そう……」


 フィオレッタは静かに紅茶を口へ運んだ。


 ヴァレリオが誰かを警戒している。


 それ自体はあり得る。


 けれど、「しつこくうろついている令嬢」という話が、すでに広まっている。


 そしてゲームでは、この後にヴァレリオが令嬢を人前で叱責する事件が起きる。


 もし、その「しつこくうろつく令嬢」が、ゲームでヴァレリオに嫌がらせされたと証言する令嬢なのだとしたら――。


「……少し早すぎますわね」


「何かおっしゃいました?」


「いいえ。こちらのお菓子、美味しいと思いませんこと?」


 フィオレッタは笑顔で話題を変えた。


 茶会が終わったあと、パメラが帰るため馬車へ向かう。


 フィオレッタは玄関まで見送った。


「今日は本当にありがとうございました」


「こちらこそ楽しかったですわ」


「侯爵令嬢って、もっと怖い方なのかと思っていました」


「まあ」


 フィオレッタは思わず笑った。


「それは随分な誤解ですわね」


「すみません!」


「謝らなくていいのですよ」


 二人で笑う。


 そのとき、パメラがふと真面目な顔になった。


「フィオレッタ様」


「はい?」


「実は、私も一つ気になっていることがあるんです」


「何かしら?」


 パメラは少し迷ったあと、声を落とした。


「ヴァレリオ様のことです」


 フィオレッタの笑顔が、一瞬だけ固まった。


「……ヴァレリオ様が、どうかしましたの?」


「私、直接お話したことはないんです。でも……」


 パメラは困ったように眉を寄せた。


「最近、私の周りで、ヴァレリオ様の悪い噂をよく聞くんです」


「どんな噂ですの?」


「私を嫌っているとか。私を学院から追い出そうとしているとか……」


 フィオレッタは黙って聞いていた。


「でも、変なんです」


「何が?」


「ヴァレリオ様に何かされた覚えが、私にはないんです」


 フィオレッタは息を呑んだ。


「……一度も?」


「はい」


 パメラは首を横に振った。


「だから、どうしてそんな噂が広がっているのか分からなくて」


 フィオレッタは、ゆっくりと微笑んだ。


 やっぱり。


 おかしい。


 ゲームでは、パメラはヴァレリオを恐れていた。


 けれど現実のパメラは、彼を知らない。


 それなのに、周囲だけが「ヴァレリオはパメラを嫌っている」と言っている。


「パメラ様」


「はい」


「一つだけ、お願いがありますの」


「何でしょう?」


「もし今後、ヴァレリオ様について何か言われても、すぐに信じないでくださいませ」


 パメラは少し驚いた。


「どうしてですか?」


「まだ何も起きていないからですわ」


 フィオレッタは穏やかに答えた。


「実際にご本人から何かをされたわけでもないのでしょう?」


「はい」


「でしたら、誰かの噂より、ご自分の目で見たものを信じればいいのです」


 パメラはしばらくフィオレッタを見つめた。


 そして、ゆっくり頷いた。


「……分かりました」


 馬車が走り去る。


 フィオレッタはその姿を見送りながら、胸の奥で決意を固めた。


 階段の細工。


 ヴァレリオの悪い噂。


 パメラの周囲で広がる根拠のない話。


 そして、ゲームには存在しなかった出来事。


「誰かが、動いている」


 フィオレッタは庭園へ戻った。


 すると、そこには見覚えのある人物が立っていた。


「ヴァレリオ様?」


「やはりここにいたか」


「まあ。どうなさいましたの?」


「君に聞きたいことがある」


 ヴァレリオはフィオレッタへ歩み寄った。


 その表情はいつになく険しい。


「最近、僕について妙な噂が流れている」


「……ええ」


「君も聞いたか?」


「少しだけ」


「なら、話が早い」


 ヴァレリオは低い声で続けた。


「僕は、誰も脅していない。誰かを追い払おうともしていない。それなのに、まるで僕が学院中の令嬢を怯えさせているような話になっている」


「でしょうね」


「でしょうね?」


「……いえ」


 フィオレッタは扇で口元を隠した。


 どうやら、ゲーム開始よりもずっと前から、何かが始まっている。


「ヴァレリオ様」


「何だ?」


「しばらくの間、何か気になることがあっても、私に教えてくださいませんか?」


「君に?」


「ええ」


「なぜ?」


「婚約者ですもの」


 フィオレッタは微笑んだ。


「それに、私は噂話が好きですの」


「……絶対に別の理由だろう」


「まあ、失礼ですわ」


 ヴァレリオは呆れたように息を吐いた。


 けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 その日から、フィオレッタは本格的に動き始めた。


 もちろん、走ったりはしない。


 まずは人の話を聞く。


 噂の出所を探る。


 誰が最初にその話をしたのか。


 どこから広まったのか。


 そして、ヴァレリオが本当に何かをしたのか。


 その一つ一つを、丁寧に確かめる。


 侯爵令嬢の武器は、剣でも魔法でもない。


 人脈と信用と、少しばかりの頭脳。


 そして――。


「お茶会というのは、便利なものですわね」


 フィオレッタは紅茶を飲みながら、手元の小さなメモへ視線を落とした。


 そこには、今日の茶会で聞いた名前がいくつか記されている。


 その中の一つに、フィオレッタは赤い線を引いた。


「この方……どこかで聞いた覚えがありますわ」


 前世のゲームには出てこなかった名前。


 それなのに、妙に引っかかる。


 フィオレッタはしばらく考えたあと、メモを閉じた。


 まだ、証拠はない。


 だからこそ、焦ってはいけない。


 未来を変えるなら、一つずつ。


 静かに。


 優雅に。


 誰にも気づかれないように。


 ――そのつもりだった。


 けれど、フィオレッタが知らないところで、すでに誰かが彼女の名前を口にしていた。


「ヴァルナー侯爵令嬢が、グランツ公爵令息の周囲を嗅ぎ回っている?」


 薄暗い部屋の中で、誰かがそう呟く。


「……面倒な娘だ」


 ゲームには存在しなかったはずの人物が、静かに動き始めていた。






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