三、劉備徐州を領す
さて、徐州を治めている陶謙であるが、当年取って六十三歳。にわかに病の床につき、見る見るうちに重症化してしまったため、糜竺と陳登を呼び寄せて後事について協議していた。
糜竺の言うよう、
「曹操軍が去って行ったのは、ひとえに呂布が兗州を急襲したがため。現在は飢饉の影響で撤兵したようですが、来春になれば間違いなくまた攻め寄せてきましょう。府君はこれまでに二度、劉玄徳どのに位を譲ろうとなさいましたが、当時府君はなおご健勝であられましたために、彼も承諾できなかったものと存じます。ここまでお身体を損なわれておられる現状を目の当たりにすれば、玄徳どのも辞退する訳には参りますまい」
陶謙は喜び、小沛に人を遣わして軍務についての相談事があるとして劉備を呼び寄せた。劉備が関羽・張飛と数十騎を引き連れて徐州へ到ると、陶謙は寝室へと案内させた。
挨拶を済ませた劉備に陶謙が言うよう、
「実は、玄徳公に出馬を請うたのは他事にございませぬ。わしの病は危篤にて、もはや明日をも知れぬ身……、萬望明公には漢家の城堀を憐れまれ、重んじていただきたい。この徐州牧の印綬を受けていただければ、この老ぼれは死しても安心して目を瞑る事が出来るのです」
劉備、
「府君にはお二人の子がおありでしょうに、なぜ伝えられんのですか」
陶謙、
「長男の商、次男の応の才では、いずれも重任には堪えられませぬ。わしが死んだ後は、どうか明公にこの二人をご教導願いたい。そして、切に州牧の地位に就かせぬよう、どうか、どうか」
「しかし……私一人にこのような大任を果たす事が、どうしてかないましょうか」
「さらばこの老骨から、貴公の力となれる人物を一人推挙いたそう……。北海の孫乾、字を公祐。この者であれば、事業を任せられます」
また、陶謙は糜竺に向かって、
「劉公こそは当世の人傑じゃ。お前はこの方をよくよく補佐するのじゃぞ」
劉備は終ぞ肯じず、陶謙は手で胸を指しながら息絶えた。
百官は挙げて哀しんだのち、劉備に徐州牧の印綬を捧げたが、劉備はそれでも固辞した。
その翌日、徐州の民草が一様に役所の前に跪き、啜り泣きながら訴えた。
「劉使君がもしこの郡を治めてくださらないのならば、我々は皆安心して暮らす事が出来ませぬ」
関羽と張飛も再三に渡って勧め、劉備はそこでようやく徐州牧への就任を応諾したのである。
孫乾と糜竺が補佐、陳登が幕僚となり、小沛の軍馬悉くを入城させるとともに、告知を出して民心を落ち着かせた。
一方で劉備は老若百官悉くに喪服を着せ、陶謙の葬儀を盛大に執り行った。式を終えたのち、その遺体は黄河のそばへ葬り、陶謙の遺した上表文を朝廷へと奉じた。




