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淡々三国演義  作者: ンバ
第十二回 陶恭祖三たび徐州を譲り、曹孟徳大いに呂布と戦う
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四、壮士仲康

 一方、鄄城《けんじょう》の曹操は、既に陶謙が死に、劉備が徐州牧を拝領したと聞いて、怒りを露わにしていた。


「おのれ劉備! わしが讎《あだ》に報いぬうちに、あの男は弓半分の労力すら費やさず、座して徐州を手に入れおった!! こうなればまず劉備からぶち殺して、然るのちに陶謙の骸をばらばらに刻み、先君の怨みを雪いでくれようぞ」


 荀彧が入室して諌める。


「かつて高祖《こうそ》は関中《かんちゅう》を保ち、光武帝《こうぶてい》は河内《かだい》に據られましたが、いずれも深く根を下ろして基盤を固めた事で天下を正されたのです。二祖は進めば敵に勝つに足り、退いては堅く守るに足りたからこそ、困苦に見舞われても最終的に大業を成就する事がかないました。明公は兗州《えんしゅう》より事業を首《はじ》められ、黄河・済水は天下の要衝でして、これもまた、二祖の関中・河内と同様にございます。今仮に徐州を奪取できたとて、多く兵を留めればすなわち用いるに足りず、少なければすなわち呂布が空虚に乗じてこの地を侵略してきましょう。これでは、基盤である兗州を失ってしまいますぞ。もし徐州攻めに失敗したら、一体明公はどこへ帰られると仰るのです?」


「ふむ」


 荀彧、


「今、陶謙すでに死したりと申せど、劉備が徐州を護っており、徐州の民は既に劉備に帰服してしまっておりますから、間違いなく劉備に危機が迫れば死力を尽くしてきましょうぞ。明公が兗州を放棄して徐州を取られる事──これは、大を棄てて小に就く、本を失いて末を求める、安全を以って危険へ変える事に他なりませんな。どうか熟考のほどを」


 曹操、


「しかし、今年は飢饉で糧秣が欠乏しておる。軍士に坐して此処を守らせた所で、結局良策とは申せまい」


「東の陳《ちん》を攻略し、軍糧を賄うに越した事はございませぬかと。汝南《じょなん》と潁川《えいせん》には黄巾の残党である何儀《かぎ》と黄劭《こうしょう》がおり、州郡から金品・食糧を掠奪しております。この賊徒どももまた、破るには容易。破れば食糧を獲得出来、三軍を養う事が可能となり、朝廷も百姓も喜びましょう。これすなわち、天の時に応じるという事にござる」


 曹操は喜んで荀彧の策に従い、そこで夏侯惇《かこうとん》と曹仁《そうじん》を留めて鄄城等の拠点を守らせ、自らは兵を引き連れて陳の攻略し、次いで汝南・潁川へ向かった。


 黄巾の何儀と黄劭は、曹操の来攻を聞き知ると軍勢を引き連れて迎撃に出、羊山へ結集した。この時、賊軍は数こそ多いものの、誰も彼もが狐や犬の群れのような連中であったので、陣形はおろか、隊伍や陣列などの足並みは揃っていなかった。


 対するは百戦錬磨の曹操、強弓硬弩を射掛け、典韋に出馬を命じると、何儀は副元帥に応戦させたが、三合も持たずに典韋の戟の前に敗れ、馬から転げ落ちていった。


 勢いに乗った曹操は手勢を引き連れ、羊山を通過した地点に幕営を設けた。


 明くる日、黄劭自らが軍を率いて攻め寄せてきた。布陣が済むと、一人の将が歩み出て戦いを挑んでくる。頭部には黄の布、体には緑の衾、手には鉄の棒引っ提げ、大声で叫ぶ。


「やあやあ、我こそは截天夜叉《せってんやしゃ》の何曼《かまん》なり! 誰ぞ我に勝負を挑む者はおらぬか!」


 口上が終わるなり曹洪《そうこう》が大喝一声、


「黙れ下郎。曹鎮東が臣、この曹子廉《そうしれん》が相手になってやる!」


 身を翻して馬から下りると、刀を引っ提げて歩み出る。両雄陣前にて切り結び、四十、五十合も打ち合うが、勝負がつかない。


 ならばと曹洪、詐《いつわ》って逃走し、何曼が追撃を掛けてきた所へ、拖刀背砍《たとうはいかん》の計を用いる──すなわち、敵に背中を見せ、油断させた所で突如後ろを振り向いて一閃! これが見事何曼に命中し、透かさずのだめ押しの一振りで、勝利を収めた。


 大いに士気の増した曹軍、続いて李典《りてん》が馬を飛ばして賊の陣営へ突入すれば、黄劭は防備の暇もないまま李典に生捕りにされてしまった。


 曹操軍は賊の軍勢を掩殺し、彼らの無数の金品食糧を獲得した。


 勢いの窮した何儀は、数百騎を率いて葛陂《かっぱ》へ奔走しようとしたが、その最中、山の後方から出現した一団にばたりと出会した。


 先頭を行くのは、身長八尺(193センチ)、腰回りは十圍(120センチ)、手には大刀を引っ提げた偉丈夫である。道を遮られた何儀は槍を扱いて応戦したが、たったの一合でこの大男に手捕りにされてしまった。


 余勢の動揺はいかにもといった様子で、全員が馬を降りて投降した。そして男は、その悉くを葛陂の砦へと押し入れてしまったのである。


 一方の典韋、何儀を追撃して葛陂《かっぱ》まで至ると、例の大男が手勢を連れて迎える格好となる。


 典韋、


「なんだ? さてはてめぇも黄巾の一味だな」


 男、


「黄巾の数百騎なら、俺《おい》らがみんな引っ捕まえて、砦の中に押し込めてやっただよ」


「ならばなぜ其奴らを引き渡さぬ!」


「お前さんが俺らからこの宝刀さ奪い取れたなら、すぐにでも寄越してやるぞぉ」


 男の言に激昂した典韋、無双の膂力で一対の鉄戟を手に前進し、打ちかかる、が──男もまた只者ではない。典韋の凄まじい攻撃を前にして一歩も引くことなく、全く互角の戦いを展開してみせた。


 辰の刻(朝8時)から始まった両者の激闘は、やがて半刻が経ち、一刻が経ち──午の刻(昼12時)まで至っても、まるで決着のつく気配がない。


 一旦水入りとなったが、一時を経ずしてふたたび男が挑んできたため、典韋も全力で迎え撃った。お互いまるで衰える様子なく、がっぷり四つ。黄昏まで至る頃には、本人達よりも先に馬の方が潰れてしまい、またもや休戦となった。


 典韋の配下の兵士が早馬で曹操に報せると、


「なんと。あの典韋と互角にやり合えるほどの豪傑がおったとは」


 と仰天し、大急ぎで諸将を引き連れて観戦に向かったのである。


 翌日、男が再度戦いを挑んできた。


 その容貌を見るに、なんとも威風堂々。内心喜んだ曹操は、今日の勝負はわざと負けるよう典韋に言い含めた。


 命を奉じた典韋は、三十合打ち合った所で馬首を返して帰陣した。男が典韋を追って陣営の門中まで至った所で弓弩を射掛けて追い返し、曹操は即座に軍を五里ほど退かせるとともに、人夫にこっそり落とし穴を掘らせ、鉤手を持った兵士を配置した。


 また翌日、曹操は再び典韋に命じて百余騎を率いさせた。男は笑って、


「負けたやつがま〜た厚かましくも出てきたなぁ」


 と述べ、すぐに馬を駆けさせて戦いを挑んでくる。典韋は数合手を合わせたのみですぐに馬を回して逃走し、男は目の前の典韋だけを見て追い縋り、思いがけずも連れ合いもろともあっさりと落とし穴に嵌ってしまったのであった。


 男が鉤手で捕縛され、曹操の前に引っ立てられてくると、曹操は下座し、兵士らを呵叱して退がらせた。そして自ら男の縄を解き、急ぎ彼に衣服を着せると、座るように命じてから改めて、出自姓名を問うた。


 男が名乗るには、


「俺らは譙国《しょうこく》譙県《しょうけん》の許褚《きょちょ》、字を仲康《ちゅうこう》と申しますだ。黄巾賊の乱さ遭って、家族の数百人とともに砦さ固めて、みんなを守っとったとです」


 賊が攻めてきた日には、家族が準備してくれた石を全弾命中させて追い返した事、食糧が切れてしまい、仕方なしに黄巾側と米と牛を交換する約束をし、賊に追い回され、戻ってきた牛のうち二頭の尾を引いて百歩余り引きずれば、目撃していた賊がみな尻尾を巻いて逃げてしまった事──許褚が訥々と話した内容は、俄かには信じ難いものであったが、八十斤の鉄戟を振りまわし、軍旗を片腕で持ち上げる典韋と互角に戦っていたとなれば、話は別である。


 曹操、


「ご高名、かねがね聞いておったとも。どうじゃ、これからはその力をわしの為に振るってはもらえぬかね」


 許褚、


「願ってもない事ですだ」


 許褚は宗族数百名とともに降伏し、曹操から都尉に任命され、手厚い賞与を加えられた。かくて何儀と黄劭は斬られ、汝南《じょなん》と潁川《えいせん》の全土が平定されたのである。

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