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淡々三国演義  作者: ンバ
第十一回 劉皇叔北海に孔融を救い、呂温侯濮陽に曹操を破る
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一、虎口から虎口

〜この回から登場する人物〜


・糜竺《びじく》(子仲《しちゅう》) ?〜221

 東海朐(く)県の人。徐州の名家の出で、はじめ陶謙《とうけん》に、後に劉備に仕えた。


・陳登《ちんとう》(元龍《げんりゅう》) ?〜204?

 広陵《こうりょう》の人で、陶謙の配下。父の陳珪《ちんけい》ともども優れた智謀の持ち主。


・太史慈《たいしじ》(子義《しぎ》)166〜206

 東萊《とうらい》黄《こう》県の人。武勇胆力ともに優れ、孫策の元で活躍する。演義では寿命が延び、合肥の戦いにも参加。


・張遼《ちょうりょう》(文遠《ぶんえん》) 169?〜222

 雁門馬邑《がんもんばゆう》の人。呂布配下の勇将。のちに曹操に降り、五将軍の筆頭を担う。演義よりも正史の方で活躍が顕著。

 さて、この時陶謙へ献策した男、乃ち東海朐(く)県の人、糜竺《びじく》、字を子仲《しちゅう》である。


 その家系は代々富豪であった。


 糜竺が嘗《かつ》て洛陽へ行商へ出かけ、車に乗って帰ろうとした際、道すがら一人の美女と出逢い、同車を求められた事があった。糜竺はそこで車を下りて歩き、車の座席を婦人に譲ってやった。


 婦人から同乗を請われて糜竺は車に乗ったが、端座し、邪な目線を彼女に向ける事は無かった。


 かくして、数里進んだ所で婦人は辞去し、別れに臨んで糜竺にこう告げた。


「私は、南方の火徳星君《かとくせいくん》です。上帝の勅語を奉じて、あなたの家を焼きに往く所なのですが、あなたの応対の折り目正しさに感激いたしました。なので、あなたに前もって告知しておきます。今すぐ帰宅して、財物を搬出しておきなさい。私は、今夜向かいますから」


 言い終えるや、婦人の姿は掻き消えてしまった。


 糜竺は大いに驚いて、飛ぶように家へと戻り、家中の所有物を忙しなく運び出した。


 その晩、果たせるかな厨《くりや》から火が起こり、糜竺の家宅を焼き尽くした。糜竺はこの一件で感じ入る所があり、運び出しておいた家財を貧困者に施し、苦しみから救ったのである。


 その後、陶謙からの招聘で別駕従事となり、この日、策を献じたものであった。


「私みずから北海《ほっかい》郡へと参り、孔融《こうゆう》どのに救援を頼みとうございます。更にもうお一人方に、青州《せいしゅう》の田楷《でんかい》どのの所まで救援の要請に向かわせましょう。もし、二所の軍馬が一斉に至ったならば、曹操は必ずや兵を退かせる事でしょう」


 陶謙は糜竺の提言に従い、かくて書状二通を写しとると、誰ぞ青州への救援の要請に参るものあらんや、と幕下に問うた。


 そこで一人が声に応じて往く事を請願した。衆人かの人を見やれば、乃ち広陵《こうりょう》の陳登《ちんとう》、字を元龍《げんりゅう》であった。


 陶謙はまず陳登を青州へ向かわせ、然るのちに糜竺に命じて北海へ書状を齎させると、自身は手勢を率いて城を守り、曹操の攻撃に備えたのである。


 さて、北海の孔融。彼は字を文挙《ぶんきょ》といい、魯国曲阜《ろこくきょくふ》の人である。孔子の二十世の孫であり、泰山《たいざん》の都尉、孔宙《こうちゅう》の子息であった。


 幼い頃より聡明で、十歳の頃、河南尹《かなんいん》の李膺《りよう》のもとへ謁見に往き、門番から非難されると、こう言った。


「私は、李相どのと代々関わりのある家柄の者です」


 かくて会見がかなうと、李膺からこう問われた。


「はて、君の祖先と私の祖先に、どんな親交があったというのかね?」


 孔融は言った。


「かつて、孔子は※老子に会い、礼について尋ねたとされます。私とあなたとが、どうして累世の付き合いがない家系と申せますか?」


(※老子は李姓だったとされる)


 李膺はこの受け答えを聞いて、孔融を奇士であると考えたのである。


 ややあって、太中大夫の陳煒《ちんい》がやって来ると、李膺は孔融の事を指差して、


「この子は神童だぞ」


 と述べたので、陳煒は言った。


「幼い頃聡明でも、大人になって聡明であるとは限りませんぞ」


 孔融は当意即妙に切り返し、


「あなたの言う通りであれば、あなたは幼い頃、さぞかし聡明だったのでしょうね」


 陳煒らはみな笑って言った。


「この子が成長すれば、間違いなく当代の名器となるだろうな」


 この事で名声を得た孔融は、後に中郎将《ちゅうろうしょう》となり、昇進を重ねて北海の太守となったのである。


 賓客をこよなく愛し、常に「座上を客で常に満たし、樽の中のお酒を切らさぬ事が私の願いなのだ」と言っており、北海に赴任して六年で、甚だ民心を得ていた。


 この日もまさに客とともに座していた所、「徐州の糜竺《びじく》が至った」と報せてくる者があった。孔融が会見を要請し、やって来た意向を訊ねると、糜竺は陶謙からの書状を取り出して、こう言った。


「曹操の攻囲が甚だ急にて、明公に加勢をお願いしたく存じます」


 孔融、


「私と陶恭祖《とうきょうそ》どのとは厚誼を結んでおる。御身もまた自らこうしてやって来てくれたからには、どうして捨ておけよう。ただ、曹孟徳《そうもうとく》と私の間には遺恨無く、先に人を遣って和睦の書状を送り届けようと思う。それでも従わない場合、然る後に兵を出そうではないか」


 糜竺、


「曹操は大軍の威風を恃んでおりますからには、まず和睦に応じる事はございますまい」


 そう、徐州側にとって猶予はないのである。孔融は一堂に出陣の準備を言い渡し、一方で人を遣って書状を送付させた。


 が、僉議のおり、忽ちに黄巾賊の残党の管亥《かんがい》が、賊徒数万を率いて殺奔してきた──との報せが齎《もたら》された。


 驚愕した孔融は、慌てて本陣の人馬を再編成し、迎撃に出る。


 管亥が出馬して言うよう、


「北海は食糧が豊富だと聞いて、わざわざ来てやったぜ。一万石貸してくれれば、すぐにでも兵を退かせようじゃないか。だがもし断れば、城郭もろともぶっ潰して、老若男女の区別なく皆殺しにしてやる」


 孔融は呵叱した。


「わしは大漢の臣であり、大漢の地を守る身であるぞ! どうして糧秣を盗賊なぞにくれてやる事があろうか」


 にべもない返事に管亥は憤怒、馬に鞭入れ、刀を踊らせ、真っ直ぐに孔融のもとへ向かって来た。孔融の部将・宗宝《そうほう》が槍を扱いて出馬したが、数合と打ち合わぬうちに管亥の一刀をその身に受け、馬上から崩れ落ちた。


 これを目の当たりにした孔融の兵は大いに乱れ、我先にと城へ逃げ込んでいく。管亥は兵を四方に分けて城を取り囲み、孔融の心中は鬱悶とした。加勢を頼んだ孔融があべこべに救援の必要な状況に陥った事に対する糜竺の焦燥たるや、今更言葉にするまでもない。

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