四、父子鷹出陣
さて、袁術は領地の南陽にあったが、袁紹が新たに冀州を獲得したと聞いて使者を出し、馬一千頭を催促していた。しかし袁紹がこの申し出を断ったために袁術は激怒。この一件以来、袁兄弟の関係に罅が入ってしまった。
袁術は一方で荊州にも使者を向かわせ、劉表に糧秣二十万斛の借り入れを申し出ていたが、こちらも断られてしまっていた。この事を怨んだ袁術は孫堅に密書を遣り、劉表を討伐させようと仕向けた。その書状の大略は以下の通りである。
「先日、足下が劉表から要撃を受けた事は、本来であれば我が兄の本初の謀計であった。聞けば、今本初は再び劉表に私的な相談を持ちかけ、江東を襲撃する腹積もりであるらしい。足下は速やかに劉表討伐の兵を興すべきであろう。私も足下のために本初を攻め取ろう、さすれば、双方の讎に報いる事が出来る。足下は荊州を、私は冀州を手に入れるのだ。誤る事のなきように!」
孫堅は書状を受け取ると怒りを露わにして、
「おのれ劉表め、もう我慢ならん。昔日には我が退路を阻みおったが、今こそ機に乗じてあの時の讎に報いる時だ! いつまでも待っていられるか!」
かくてすぐ様帳の下へ程普・黄蓋・韓当ら諸将を集めての僉議が行われた。
「袁術は詐謀に長けております。すぐに信じてよいものでしょうか」
と程普が述べたが、孫堅は、
「私自身が讎に報いんとするのであって、どうして袁術の助力など望もうか。さぁ、出陣の準備だ」
として聞く耳を持たず、直ちに黄蓋を長江沿岸へ先行させ、軍船の手配を整えさせた。船内には兵器や糧秣が大量に積み込まれ、大型の船には軍馬を載せた上で、日時を定めて劉表討伐の師が興される運びとなった。
長江付近に放った哨戒からの報告を受け大いに驚いた劉表は、急ぎ文武百官を集めて商議する。そんな中で口火を切ったのは謀臣の蒯良。
「憂慮するには及びませぬ。黄祖に江夏郡の兵を預けて前駆させ、主公御自ら荊襄の兵を率いられて援護に赴きなさいませ。孫堅は長江を跨ぎ、湖を渡ってやって来るのです。遠征で疲弊した軍勢が、どうしてよく武を用いられましょうや」
劉表は蒯良の意見も尤もだと考え、すぐに黄祖に戦備を整えるように命を下し、然るのちに荊州の大兵力を動員させたのである。
さて、孫堅は呉夫人との間に四人の子を儲けており、長子の名は策、字は伯符。
次子の名は権、字を仲謀。
三子の名は翊、字を叔弼。
四子の名は匡、字を季佐といった。
また、呉夫人には妹があったが、即ちこれが孫堅の次妻である。こちらにも一男一女があり、男子は名を朗、字を早安。※女子は名を仁といった。
孫堅はまた側室の俞氏との間にも一人男子があり、名を韶、字を公礼。
そして弟の名は静、字を幼台といった。
孫堅の行軍に臨んで、弟の孫静が孫策ら諸子を引き連れて現れた。馬前に進み出て諌めて言うよう、
「今、董卓が権勢を専らにしており、天子は懦弱にして、海内は大いに乱れております。各々が覇を競う一方で我が江東はようように安寧となってまいりましたのに、一つの小さな禍根から幾重にも兵を起こす事は、時宜に適っておらぬのではありますまいか? 兄上、この事をどうかご熟慮ください」
孫堅は答えて、
「弟よ、多くは申すな。私の目的は天下を縦横する事であり、どうして讎に報いずにおれようか」
その射竦めるような眼光の前には孫静も引き下がる他は無い。そこで、長子の孫策が意を決したように言い放った。
「父上、どうしても行かれるならば、俺も随行させてください!」
孫策は十七歳。孫堅がかつて父の制止を振り切って銭唐の海賊を相手に大立ち回りをやってのけた砌と、同じ歳の頃であった。
孫堅は突っぱねたが、孫策はどうしてもと言って引き退がらない。
(血は争えぬか──)
心中にて忖った孫堅は、とうとう孫策の従軍を許可した。孫策はかくて舟に飛び乗り、江東の軍勢は樊城に向かって漕ぎ出したのである。
孫権ら諸子は、ただ愁然とその船出を見送っていた。




