あなたの想いへ
雨の音が鳴り響く。
梅雨ということもあり、ここ最近はずっと雨である。
一人でぬいぐるみにつぶやき、朝ご飯を作る。
一人暮らしを始めて一年近くがたつ。
大学も二年になり、教職の授業も多くなり、将来の夢へ近づいていく。
しかし、周りの優秀な人を見るたび、私が先生になれるのか。先生になる意味はあるのかという考えが頭を支配する。
どんどん夢から遠ざかっていく感覚が嫌で、4月に20歳の誕生日を迎えてからはお酒を逃げの手段として使っている。
今週末は葵ちゃんの誕生日で一緒にお酒を飲むことになっている。
お酒好き?と聞かれても、毎日飲んで、お酒を楽しむことにつかっていないことを後ろめたく思い、苦手と答えてしまった。
そんなことを考えながら今日も月を見てお酒を飲む。
近いようで遠い月はいつも言葉を失わせる。
酔いが回り、世界がぼやけ始める。お酒を通して世界を見ると、案外脆いもので成り立っているんだなと思う。
やりがいとか想いとか。
当たり前のようにくると教えられた幸せは選ばれた人にしかこない。幸せは相対評価であると強くおもう。みんなが高級なネックレスをしていたら、みんながみんな夢を叶えれたら、そんな世界に「幸せ」なんて言葉はあるのだろうか。
幸せになれるかなれないかは、生まれた瞬間決まると思う。みんなと変わらず生まれて、勉強ができて、運動もできて、普通に話せて――。
私は負け戦を強いられているにすぎなかった。幸せな人達のための見せ物として。
お酒をもう一缶飲む。体には悪いとわかっているのに、このふわふわとした感じがたまらく、お酒を飲みたす。
大人になればなるほど、自由になるはずなのに、選択肢は狭まっていく。自分を取り巻く事情や環境が全てを決める。本人の意思は関係なしに。
次々と不満が出てくる。何に対してなのかは自分でもわからない。
つけっぱなしのテレビで辛い環境や障害を抱えていても頑張って成功した人の特集をやっていた。こういう番組は嫌いである。生きてるだけで、普通でいるだけで大変な人たちには頑張りたくても頑張れない人だっているだろう。そういう人たちは、普通の人達から見たら甘えてるように見えるのだろう。
缶を置き、テレビを消す。
もう寝ようと思い、ベッドに行く。一人暮らしの部屋はとても静かで寝付けない。
なにも考えていないのに、涙が出てくる。誰かと話したい。話したいことなどないのに。
ふと思い浮かんだのは、香澄ちゃんやきーちゃん、葵ちゃんでもなく、さゆちゃんだった。
人生で一番最初にできた友達。今は私と真反対の輝いてる人生を歩んでいるだろう。いつもかわいいお洋服や靴を履いていた。友達もいなかった私と1年間遊んでくれる優しい人。家は綺麗で、高そうな絵画があったっけ。
きっとどこかで、幸せに生きている。
彼女の人生の1ページに私がいて欲しい。それだけで満足である。
願いが叶うなら、もう一度だけ話したい。たとえ私のことを覚えていなくとも。
スマホが鳴り、飛び起きる。もしかしたらさゆちゃんかもしれないと体のどこかで思う。連絡先なんて知らないのに。
相手は葵ちゃんで、「今週末は香澄ちゃんも来るから、バーベキューにしたい。ホームセンターで炭よろしく!お金はもちろん払う!私は肉買う!香澄ちゃんはお酒持ってくるって!」とのことだった。
明日ちゃんと返事を返そうと思いそっと画面から目を背ける。
今日はただこうして自分の心にかき乱されたかった。
月の光が目に入る。
この光に魅せられる宇宙好きがいることはよく分かる。人類が月に行こうとするのも。
けど私は月に行くことができても、会いたい人と会えるならそっちを選ぶだろう。
心の奥深いところで誰かを求めている。誰かは言うまでもない。
もしかしたら私にとっての月は彼女なのかもしれない。
そう考えたところで眠りへついた。
起きて学校まで向かう。歩いているとふとこのまま誰も気づかないように消えれたら楽なのになと思ってしまう。まるで最初からだれもそこにいなかったように。
こんなことを言葉にしてしまうと、危ない願望のある人だと思われるので、そっと心に潜める。
別に死にたいなんて思っていない。ただすっと砂のように消えれたらいいなと思ってしまうだけ。さらさら風の流されるままへどこかへと。
前の信号が変わるまで待っているとぽつぽつと雨が降ってきた。遠くに見える高校生は傘を持っていないのか濡れながらこっちへと走ってくる。後ろの方では微笑ましい親子が運動会は雨じゃないといいねと話しながら、雨宿りしようとカフェに入った。
騒がしい道は雨が降るだけで一気に人気がなくなった。
私はその中1人で傘を差し、学校へと歩く。
歩いている途中、前から傘もささずに歩いてくる女性がいた。すれ違う時には人間の本能なのか、身がすくんでしまって、どんな人なのかはわからなかった。けれど、普通の人ではないだろう。
後ろから車の音がしたので振り替えると、大学行きのバスが通り過ぎた。中はすごく混雑していた。
ああそうか、みんなは雨の日はバスで来るのか。最寄駅から30分かかる大学まで、ましてや雨の日にわざわざ歩いてくる人はいなかった。
そうか私も変わりものだった。普通じゃなかった。
そう思いふと目線を横に寄せると、唯一雨を待ち侘びていたかのように咲き誇る紫陽花が目に入った。
その上にはカタツムリが1人で寂しそうに動いていた。
「最近カタツムリなんてちゃんと見てなかったな。意外とあなたも大変なんだね。」
周りに誰もいないので1人で呟く。
カタツムリは独り言に答えるかのように私に近づく。
手を差し出すと、まるで手に寄りかかっるようにしたままうごかなかった。
「寂しかったんだね。」
また呟くとカタツムリは動く気配を見せずに佇む。
雨の中でただ2人きりだった。
雨はさらに強くなってきたが、私たち2人はそのまま気が済むまで体勢を崩すことはなかった。
誰かが来る音がしたので、急いで手からカタツムリをおろし、歩いていたようなそぶりを見せる。
大丈夫。ずっと一緒だよ。と心の中てカタツムリに呟き、歩みを戻した。
結局その日雨は止むことはなかった。
帰り道に確認しに行った時にはもういなかった。
私はどこかでしっかりと生きていてほしいと祈ることしか出来なかった。
雨の中、私はまた1人で家へと歩いた。
雨でも輝く月から遠ざかるように。
葵ちゃんとの約束の日はまた雨だった。
お酒のせいかうまく寝付けず、まだ朝日が昇る前に起きてしまった。
じっとしているのも気が滅入るので、傘を差し散歩に行くことにした。
引っ越して一年近く経つが、必死な毎日の連続で、この街については何も知らない。どこかの誰かの盗み聞きで駅前のパン屋が有名なこと、有名で綺麗な砂浜が近いということしが知らない。
散歩をしていても思うが、どちらかというと田舎で自然豊かだなと思う。
公園には紫陽花が綺麗に咲いている。ゆっくり見ると本当に美しい花だと思う。桜と同じように、咲く時期は限られているが、印象はかなり違うと感じる。
桜は儚さ、紫陽花は切なさが第一印象として脳に入ってくる。
カタツムリは今日はいない。仲間が見つかったのだろうか。
公園のベンチに座り、時計を見るあとまだ朝の5時だったので、まだ散歩をすることにした。
せっかくなので、有名らしい海の方へ行くことにし、マップを頼りに歩みをすすめる。
30分くらい歩くと海水浴場という看板や整備された海が一面に見える歩道があり、犬と散歩する人やランニングをする人で賑わっていた。
ここで1人海を眺めるのはなんだか気が引けるので、もう少し先を目指した。
海を横目に20分くらい歩くと、防災林が海と目を塞いだ。
少し歩いたが、流石に疲れたので引き返そうとすると、人が1人入れそうな隙間が密集した林の中にあるのを見つけた。
引き込まれるようにはいるとそこには、静かな海と砂浜が寂しそうに佇んでいた。さっきまでのあたり一面に広がる海とは違い、山に近い大きな岩に左右を遮られて、ここだけの砂浜が広がっている。
私はここで一息つくことにした。
少し海辺に近づき、横になる。
波の音と自分の呼吸しか感じない。
近くに木の棒が落ちていたので、立ち上がり手に寄せる。
私はそれで海辺の砂浜に絵を描こうとした。
小学生の頃、よく遊んでくれた女の子と校庭の砂浜に描いた絵。自分達が手を繋いでいる姿をなぜかよく描いていた。あとは2人で先生のために探していたお花の絵。
なぜそれを描いていたのか、なんのお花をなんのために探していたのかは思い出せないが、不思議と絵はかける。
きーちゃんみたいに上手くはないが、特徴はとらえていると思う。
ふっくらした棒人間にはお互いだとわかるような特徴を描いた。私は髪につけていたお花のカチューシャを描き、彼女には前髪をピンで止めている様子を描いた。
お花はふたりがそれぞれが持っている。
結構上手く書けた、昔のこと覚えているもんだなと思いに耽っていると、大きい波がその絵を襲った。
波が引いた頃には描いた後もなく、綺麗に消え去ってしまった。
私はその光景の一瞬一瞬が目に焼きついてしまう。
確かにそこに合ったはずなのに、跡形もなく消えた。
なんだか、急に気持ちが沈む。
後ろを振り向けば、足跡も風に靡かされてきえていた。
私もこのまま跡形もなく消えちゃうのかなとふと思う。
それならそれでいいやと、また横になり自分の体が砂のようにさらさらと消えていくのを本気で待つ。
風に身を委ね、波に濡らされるのを感じると急に身が軽くなった気がする。
今まで背負わされていたものから急に解放される。
50年後に消えようが今消えようが何も残らないなら一緒である。
そのことに気づいたとき、私の口角があがる。
そうか、人生ってそういうものなんだ。生きるということは自分が消える場所を求めることなんだと。
なら私はここでいい。
最後くらい自分の意思で動こうと、吸い込まれるように海へと歩みを進める。
足の半分が浸かるくらいに入ったころ、足に鈍い痛みを感じた。
くらげに刺された。痛いというよりも、自分の最後まで自分で決められないのかと私の心から何かが溢れ出る。
言いたいことも自分で言えない。ただみんなと同じように産まれただけなのに。診断書もつかずに、ただひとり思い通り話せない葛藤を抱える。なんで私ばっか。
苦しんだ分の代償などない。神のいたずらで苦しめられ、自分のしたいようにはいつもできなかった。
スラスラ話せないことは私の全てに影響してきた。性格、職業、そして人生。常に負け戦、妥協案に沿って生きるしかなかった。私の意思なんて置き去りにして。
最後くらい自分で決めるから――。
私は痛さに耐え、必死に砂浜へと向かう。波に抗い、重い足を動かしながら。
幸いまだ浅いところまでしか入っていなかったので、海から脱することができた。
しかしそこから動けなかった。私はポケットにしまっていたスマホを取り出し、無意識に葵ちゃんに電話する。
「葵ちゃん。」
「どうしたん炭無かった?」
「足が動かないくらい痛いんだけどどうしたらいい?」
「なにそれ、いまどこにいるの?」
「家から離れた海。散歩に来たらくらげにさされちゃって。」
「なんだそれ。迎えにいくから詳しい場所教えて。」
「いいの?」
「むしろそのために電話してきたんじゃないのか?」
「そうかもしれないけど」
「けど?」
「話したかった。葵ちゃんと。」
「へ?」
「なにをするために生きてるの?」
「え、夢を叶えるためとか?」
「なんの夢か教えて。昔約束したから。」
「とりあえず迎えにいくから場所送って」
LINEに位置情報を送ると、30分くらいして迎えにきてくれた。
「なにしてるの?こんなとこで」
「自分でもわからない」
葵ちゃんは私のことをこれまで見たことがない表情で見つめる。
「こんなところで……。変なこと考えてないよね?」
「変なこと?」
「まさかさ、全て終わりにしようとか。」
「なんでもお見通しなんだね。」
「ふざけないで」
葵ちゃんは私の手を強く握る。
「あなたがいなくちゃ夢叶えられないでしょ」
「私なんていなくても葵ちゃんなら大丈夫でしょ。友達たくさんいるじゃん」
「いいかげんにして。あなたがいないと、椿じゃなきゃダメなんだよ。」
あなたがいないと、という言葉が胸の中で響き渡る。
「ごめん。冷静じゃなかった。とにかく行くよ。」
私が何かいう間もないまま、葵ちゃんは私の手を引く。
知らぬ間に少し離れたところまで流されていたようで、どこから入ったのかわからなくなってしまった。
葵ちゃんの足跡さえも風に流されて跡かもなく消えてしまった。
けれど彼女は迷いもなくきた道へと導く
「どこの隙間から入ったか覚えてるの?」
「わからんけど、体が覚えてるっしょ」
私はその言葉に目を覚ませされた。
「葵ちゃん。ほんとにごめんなさい。」
「なにが?迎えにきたことは別に大丈夫だよ。暇だったし。」
「それもだけど。こんなに優しい人がそばにいてくれるのに、生きる意味がないとか辛いことばっかの人生だとか思っちゃって。本当にごめんなさい。」
「生きる意味ね...」
「ごめんなさい。もう2度考えたり思い込んだりしないから。」
「私からは何も言えない。わからない。」
重く俯く葵ちゃんをじっと見つめる。
「私は椿が背負ってきたもの、制限されてきたもの全ては理解してあげられない。どんなに理解しようとしても。どこまで行ってもただ当事者とその傍観者にすぎないから。」
その言葉を聞いて私はさらに何もできなくなる。さっきまで葵ちゃんのそんな想いを踏みにじることをやろうとしていたのだ。
その想いにこたえる資格は私にはない。
「ごめんなさいしか言えない。」
私たちは歩くのを止め、砂と土の境界線で立ち止まる。
何に対してのものか分からない涙があふれてくる。
涙のつぶは重力の通りに砂浜へと落ち、一瞬で蒸発してしまう。
「ごめん。私が変なこと言ったよね。すぐそこから出たとこに車あるからいこう」
重い沈黙を遮るように葵ちゃんは話しかけ、手を優しく握った。
きっとこのまま何も言わずについていって、時間が解決してくれるのを待った方が無難だろう。
けれど、私はどうしてもそれをしたくなかった。
今まで葵ちゃんが私が吃音を持っていることを知っていたかを確かめたことはなかった。
高校初めの自己紹介で全体に言われた時くらいだろうか。
ずっと確かめたかったことが私の口先まで来ている。
私となんで一緒にいてくれたかということだ。
友達も多く、いわゆる陽キャである彼女にとって。私と関わる理由なんてあるのだろうか。
事実高校の三年間をずっとともに過ごしてくれた人にそんなことを確かめることは失礼すぎることは百も承知である。
けれど、確かめなくては葵ちゃんと一緒にこの砂浜を抜け出してはいけないと心で強く思った。
「最低なこと聞く。なんで葵ちゃんは私と一緒にいてくれるの?」
なんて答えてほしいかは自分でもわからない。たとえ哀れみや同情からくるものであろうが構わない。ただ隣の席だったからではないことくらいどこかで感じていた。
「椿が欲しい答えは言えないんだ。」
「いいの。それでも」
「このまま曖昧なままにはさせてはくれないよね。」
「ごめんね。私のわがまま。葵ちゃんの想いを正面から受け止めたいの。」
葵ちゃんは深呼吸をして話始める。
「最初は隣の席だから仲良くなったほうがいいかなからだった。」
「うん。」
「でもそれ以上に、きっとこの子は今までいい人と巡り会ってこなかったんだろなって。なんとなく最初の反応で分かった。活発な子をみる視線とか自分からは話しかけない様子とか。」
「よく見てるんだね。」
「それを裏打ちするかのようにさ先生に紹介されて。文字通りのままの意味でかわいそうだなって思ってしまったの。同じ高校で同じクラスで女の子。肩書は全く一緒のはずなのに。」
「うん。」
「だから私だけは一緒にいようと思った。他に誰もいなくても。」
「ありがとう。」
「きっかけはそれだったんだけど、一緒にいると居心地がよかったの。私がイライラしていようと悲しんでいようと。」
それが一番の理由。と目を見てはっきりと言ってくれた。
嘘をついている瞳ではなかった。
「そっか。ありがとう。ごめんね。こんなこと聞いちゃって。車のとこ連れてって。」
私が歩き始めた瞬間強く手を握り、葵ちゃんは拒んだ。
「骨折して強く思ったの。理解したの。」
「え?」
「自分の思う通りにいかない辛さ、苦しさをね。」
苦しさという文字に込められた重みをなぞるように記憶が語る。
葵ちゃんのまっすぐな言葉がすんなりと体に染み込む。
「そっか。」
この気持ちを言葉にするとしたらなんと言えばいいかわからずに思いつくまま返してしまった。
言われれば、私は20年も苦しみながら生活してきた。それを全て理解するなんて無理だ。
しかも私みたいな人を普通の人と完全に思って接することだって不可能だと思う。私を特徴づけているもの、プロフィール欄があれば必ず書かれるだろうし、今まで出会ってきた人のほとんどだって、そういう人として認識されてきたはずだった。
それなのに、なぜ私はこんなに葵ちゃんのことを責めるようなことをしているのだろう。葵ちゃんは私にとってかけがえのない人なのに。
下を向く葵ちゃんを慰めるようにと、声をかける。たった今自分が傷つけたくせに。
「ごめん。責めるようなことして。葵ちゃんは私にとって大切な人だから、なんというか漠然とした気持ちをわかってほしくて。」
「今椿が一番聞きたいことわかるよ。私にだけにしか聞けない大切なこと。」
「ほんと?」
「いつか一緒に勉強した時のことでしょ」
その言葉を聞き、私は自分の本当の気持ちに気づいた。
ああそうか、それがずっとを確かめたかったんだ。心にずっとあった不思議なひっかかりの正体に気づいた。
焦るように、葵ちゃんが話そうとしたのを遮る。
「今考えてみて私は本当に先生に向いていると思う?」
「うん。」
「私の全てを鑑みても?」
「うん。」
迷いもなく彼女は答える。
「確かにあの時はその場のノリというか社交辞令的な感じで言ってたと思う。まだあって日が浅かったし。」
「そうだよね。」
「でも、椿と共に過ごす度に確信に変わっていったよ。」
「どうして。」
そう言いきれる理由をどうしても知りたかった。あなたがそんなにまっすぐな瞳で話せる根拠を。
「きて。」
葵ちゃんは何も言わずに私を抱きしめる。強く強く。
「言葉じゃこの想いは伝わらない。椿を苦しめてきた言葉なんかに私の想いを託したくない。」
そう言ってさらに強く包み込んだ。
私達は時間を忘れるほど、温もりを感じながら抱きしめ合っていた。
朝からの疲れが襲い、私は砂浜に倒れ込んでしまった。
葵ちゃんは私を優しく支えながら、海を見ている。
「私の生きている理由はあなたと共に生きたかったから。」
私には抱えきれない言葉だった。噛み締める隙もなく、彼女は話を進める。
「私の将来の夢は言語聴覚士さん。骨折は治るけど、椿のそれは治らないんでしょ。それなら私がずっと支えたいって強く思ったの。私は本気であなたのそばにいる。共に生きる。」
その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れる。私は葵ちゃんに抱きつくことしかできなかった。
「つまらない夢しか無かった私にとって初めてのどうしても叶えたい夢だった。椿が私の人生を変えた。良い方へ導いてくれた。人生の先生だよ。」
先生、という言葉が私の中で鳴り響く。心はありあまる嬉しさでいっぱいだった。その嬉しさは何かに変えないと落ち着かなかった。こんなにも涙が溢れているのに、不思議と笑みが溢れてしまう瞬間など今までなかった。
葵ちゃんみたいな友人を持つことができて、私はなんて幸せなんだろう。この気持ちを全て言葉では背負えない。
けれどできる限り言葉に託して伝えてみようと思う。
「あなたの想いに応えたい。そのために私は生きる!」
つまりそうな言葉を腹で押し切り、伝えた。
葵ちゃんは泣きそうな顔で、でも嬉しそうな表情で頷く。
「一緒に生きよう。一緒に苦しもう。一緒に笑おう。」
そう彼女はいい残し、私を引っ張り、林を抜け、車へと戻る。
車窓から見る海は今までで一番綺麗に見えた。海に反射した太陽をは私達を明るいところへ導いているようだった。
私達は葵ちゃんの家から近いホームセンターでバーベキューの買い出しをして、香澄ちゃんを待った。
「香澄ちゃん18時30の電車でくるって。」
「じゃあそれまでテレビでも見るか。」
親戚の家を借りたという葵ちゃんの家は女子大生が1人住むには大きく、静かさが強調されていた。
庭から海が見える。海に近い大学が良いと必死に探したらしい。
偶然私の家と近くになったことに運命的なものを感じる。
葵ちゃんがいなかったら私は今頃どうなっていたのだろう。
そんなこと考え暇もなく、今まで溜め込んだ話を伝えあう。葵ちゃんもいろんな葛藤を抱えて、人生を生きてるのだなと実感する。
葵ちゃんは私のことを先生だと言ってくれたが、それは逆だ。
今日一日でたくさんの大切なことを教えてもらった。
彼女には人を教える資格や助ける資格がある。
なんてことない話にも、明るさや優しさが透けて見える。
「あ、電話きた。」
葵ちゃんは電話を取り、香澄ちゃんと話す。
早く着いたから迎えにきてとのことで、急いで2人で向かう。
「今日あったことは香澄には内緒でね。」
葵ちゃんは言い残し、エンジンをかけ、サイドブレーキを下した。
夜になり、会話を切り上げ、庭でバーベキューの準備を始める。
先ほどの買い出しで肉や野菜を大量に買ってきたので、その準備もしないといけない。
香澄ちゃんがこの中で一番器用なので、食材の下準備をやってもらっている。
葵ちゃんと私で、鉄板やイスの準備をする。
「やすいやつだから中々あったまらないね。」
「そのうち熱くなるよ」
「七輪用の方が趣あってよかったか」
「趣とか気にする人だっけ?」
「ずっとそうだったでしょ」
笑いながら大きな鉄板が肉が焼ける温度になるまで待つ。
「下準備できたから並べるね。」
香澄ちゃんがきれいに切った野菜が鉄板に並ぶ。
置いた瞬間なる音が食欲をそそった。
「風が気持ちいね。」
「椿ちゃんもここら辺にすんでるんだもんね。いいなあ。空気がおいしい。」
「香澄はまだ実家だもんね。高校の周りはまだ変わってない?あの団子屋とかある?」
「今ねコンビニに変わっちゃった。」
「え、そうなんだ。悲しいね。」
「時代は変わりゆくね。」
葵ちゃんが遠くにある海を見ながらそう言った。
「変わりゆく中で変わらないものが私たちでしょ。」
香澄ちゃんがにっこり微笑み話す。
「キーちゃんもこればよかったのにね。」
「遠くの大学に下宿してるもんね。いつかは絶対来てもらおう。」
「じゃあ、きーちゃんまで届くように乾杯しますか。」
葵ちゃんがグラスを上げた。
「葵ちゃんは初お酒だもんね。」
香澄ちゃんは、おしゃれなカクテルを持ちグラスを近づける。
「葵ちゃん誕生日おめでとう!」
私も二人の方へグラスを寄せる。
三つのグラスが重なり合う音は心地よく鳴り響いた。
きっときーちゃんにも聞こえたと思う。
野菜に食らいつく二人を見て、今自分は幸せだなと心の底から感じる。
小さい頃の自分は、こんなに幸せになると思っていなかった。
友達と飲み明かす。満足いくまで話す。
世間一般的に見たら、そう珍しいことではないことかもしれない。
けれど、私にはずっと叶わない憧れだった。
小さい子がショーケースに入ったおもちゃを眺めるような気持だった。
今、過去の自分に話せるなら何て言おう。
幸せになるよ。安心して生きて。悩むことなんてしなくてよい。
いろいろ伝えたいことはあるが、どれも私が本当に思っているものとは違う。
私が過去の自分に伝えたいことの根っこの部分。
それは、たくさんもがいて苦しみ、どんな辛い環境でもめげづに前を向くことをやめないでほしい。そして、そばにあるやさしさに感謝し、それに答えるように堂々と凛と生きてほしい。
険しい冬にも堂々と咲き誇る椿の花のように。
あの日から時間は流れ、日差しも強く夏を感じる。
私は今日から夏休みということで、最近作りすぎた料理をおすそ分けにいった。
「これ作ったからおつまみにでもどうぞ」
「ありがと。そういえばこの前香澄から、おいしそうなワインが届いたよ。」
「へえ、そういう上品なものくわしそうだしね。」
「一人で飲むのもったいないから、4人で飲もう。夏休みだしきーちゃんも時間あいてるだろうし。」
「そうだね。メールで聞いてみる。」
冷たいお茶を飲み干し、くつろぐ。
机の端には難しそうな参考書が並んでいた。
「こんな難しそうなことやってるんだ。」
「まあね」
「わたしのため?」
ふざけて聞いてみる。
「そうかもね。むずかしいけど勉強してて楽しいよ。誰かの力になれる自分に少しずつ近づいてる気がしてさ。」
「立派だ。」
「椿もでしょ。」
「私はあの頃の夢に近づいてるかな。」
「近づいてるでしょ。無事進級できてるんだし。」
「そうねえ……」
まだ自分が先生になって何がしたいかが見えてこない。最初に志したときは自分に唯一優しくしてくれる先生のような人になりたかったからだった。しかしいつか、叶わない可能性、うまくできない現実に直面してからは、理不尽に抗うような反抗心で夢は先生と言ってたかもしれないなと思う。どこかで悲劇のヒロインのように感じていたのかもしれない。
あと二年間卒業するまでに明確な理由を見つけたいと強く思う。そしていつか四人の前で堂々と夢を言えるようになろうと思う。かつてのきーちゃんのように。
「あ、せっかくきたし、さっき言ってたワイン飲むか。椿のおつまみもあることだし。」
「昼から飲むの?大学生って感じだね」
「大学生やし。」
たしかにと笑う。絶対こういう場面で飲むお酒じゃないのが少しおかしい。夜にもっと高級そうな食材と飲むものやつだ。
「このワインはちゃんとしたときにとっておいた方がいいんじゃない?」
「いいんだ。今日飲むんだ。もう私のものだからね。これでいいの」
「酔ってる?」
「椿が来る前にちょっと飲んでた。」
今思うと葵ちゃんの顔はちょっと赤いかもしれない。
なんだかかわいいなと思う。
「今日は飲むぞー!」
「ワインもびっくりなテンションだよ。」
二人で笑いながらグラスを進める。いろいろな話をしながら、自分たちがもう大人になったことを実感する。
けれど高校生の時と変わらない何かがある。それに支えられながら、今日まで生きてきて、今日こうしてまた葵ちゃんとお酒を飲む。
二人とも酔いが回ってきて、ソファーに寝転んだ。そこからの記憶はなかった。
目覚めるともう夕方だったため、葵ちゃんをおこし、帰宅の準備をする。
「飲みすぎたね。」
「大学生だからしょうがない。」
「そういえば自転車で来ちゃった。ここら辺からバスとかある?」
「この前買い出しに行ったホームセンター前にあるよ。本数もそこなら割と多い。」
「了解。また来るね。ありがとう」
「こちらこそ。またね。」
まだ酔いが残っているせいか、目に入るものすべてが私を歓迎しているように思う。気分の高鳴りを実感する。家に帰る親子、ばれないように手を繋ぐ高校生、いろとりどりな花そして綺麗な海。すべてが私の口角を上げる。
自分は幸せだ。お酒を飲みすぎたから余計にそう思う。
だれかに話したい。家に帰ったら、香澄ちゃんに電話してみようと思う。今の気持ち全部話したい。迷惑がられるかもしれないが、香澄ちゃんならきっと受け止めてくれる。
そんなことを考えているうちに、ホームセンターについた。
せっかく来たし、なにか買おうと中に入る。
ワイングラスでも葵ちゃんに買ってこうかなと思い、食器コーナーへと向かう。
向かう途中、バーベキューセットが目に入りでこないだのことを思い出す。
楽しかったな。そう思いながら、視線を目的地へ移そうとした時、私の体に衝撃が走った。
紗夕ちゃんである。想像の中の彼女とはだいぶ異なる格好をしていたが、絶対にそうだと確信できる。きっとその人がどうかを決めているものは雰囲気とかオーラとか目に見えないものなんだろうなと実感する。
彼女はかなりのダル着で、炭と七輪を選んでいた。
やっぱり想像通りの紗夕ちゃんで、肉を役にも本格的な七輪を選ぶんだなと思う。暮らしも丁寧そうだし。
お酒のせいか、無性に話したくなる。私の気持ちを。紗夕ちゃんと同じで幸せにやっているよって。
一番聞いてほしい人を前にしてこのまま何もしないなんてできなかった。
高鳴る心臓を抱えながら、声をかけてみる。
「すみません。紗夕さんですか?」
「え、はい」
「私、椿です。小学二年生の時一緒に遊んでた。すぐ転校しちゃったから、覚えてないかな。」
ここで覚えていないって言われたら、悲しさであふれるが、聞いてしまった。活発で美人だった彼女にとって私は小学校のときの同級生のうちの一人でしかないことくらいわかってる。でも嘘でもそれを認めたくなかった。私はずっと思い続けてきたから。
「うん、覚えてるよ」
お世辞かもしれないが、嬉しくなる。感じた思いを口にしようとしたとき、紗夕ちゃんの目が潤い始めたのを感じた。
感動してくれたの?なんて酔っていても聞けなかった。
「こんなとこで出会うなんて運命だね。」
茶化してみたつもりだったが、一分一秒ずれていたら会えなかった。そう考えると本当に運命だなと思う。
「ええ。本当にそう思うよ。」
私が口を開くより前に、彼女は私の手をとり出口へと誘導した。
「七輪買わないの?」
「それより、椿ちゃんに見せたいものがあるの」
「私に?」
「車ですぐだから」
「え、うんわかった。」
戸惑いながらも紗夕ちゃんに従う。思いだすと、かけっこした時も砂場で遊んだ時も紗夕ちゃんが私の事を引っ張ってくれてたよなと思い出す。
やっぱり変わらないものっていいなと思う。
車を走らせた先に見えたのは、防災林に囲まれたあの海だった。
「え、この砂浜ってさ有名なの?」
「どうして?」
「一度だけ私も来たことあるの。静かできれいだなって。」
「そうか。やっぱり運命かもね。」
紗夕ちゃんはそう言い、林を抜ける。私も追いかけると、目の前には大きな月と静かで壮大な海、
つぶの細かい綺麗な砂浜が広がっていた。
「どうしてここに連れてきてくれたの?」
聞いても紗夕ちゃんは答えてくれずに、まるで何かに導かれるように海へと歩みを進める。
この瞬間ようやく彼女が何をしようとしているか理解した。
「ねえ、そっち行っちゃだめ。戻れなくなる。」
「いいの」
「だめ。絶対。一緒に帰るよ。ほらおいで」
手を力いっぱいつかんでも振り払われる。
「何で止めるの」
「このまま止めなかったらこの世界から消えようとしちゃうでしょ。」
「違うよ。」
紗夕ちゃんは強く否定する。
「会いにいくの」
「え?」
予想もしなかった答えに驚く。
「お母さんに」
「お母さん?」
「私のお母さんはきっと海で自分の人生に終わりを告げたの」
「そんな、なんで」
「この前、実家を整理していたら見つけたの。お母さんが書いてたノート。私とおんなじようなことで悩んでたんだって。最後のページは砂だらけだった。きっと最後の言葉として書いたんだって。」
身に余る衝撃と焦りが私を襲う。
紗夕ちゃんのしていることが私が思っていたことと確信をもって一致したからだ。
「なんで、紗夕ちゃんまで。みんな悲しむからやめて」
「悲しむひとなんていない。私はずっと一人だった。椿ちゃんと一緒にいた一年以外。」
私もだよ、と共感した方が良かったのかもしれない。けれど、ほんの一瞬でさえ、葵ちゃんたちの存在をなかったことにしたくない。
私はただ黙って聞いていることしかできなかった。
「私は転校して私立の小学校、中学校、高校そして難しい私立大学に受かった。」
恵まれてるでしょ?と彼女は笑う。しかし彼女の表情はその言葉をどこで拒絶しているようだった。
「なんでこんな恵まれてた思う?」
「お父さんがお母さんの分まで頑張って愛情を注いでくれたんじゃないの?」
「その愛がだれかの犠牲だとしても、胸を張って生きれる?」
「どういうこと?」
「私には3つ上の姉がいる。お姉ちゃんは障害をもっていて、自分で動くことも話すこともできない。生まれたときからそうだった。」
一度だけ遊びにいったときのことを思い出す。そういえば玄関に車いすがあったなとふと情景が浮かぶ。
「私の親はまめな人だから、子供を育てるためのお金を妊娠するまえからかなり貯金していたの。お姉ちゃんと私の分。お姉ちゃんは普通の生活をみんなと送れない。自分でお金を使うようなこともできない。高校や大学のお金も使うことはなかった。だから私にすべてそのお金が回ってきたの。使うことが出来たの。」
紗夕ちゃんの抱えている気持ちの奥底が少し見えた気がした。
「私はそれを喜んで受け取っていいのかな。お姉ちゃんだって本当ならおしゃれをしたり、自分のしたいことをして遊び惚けたり、夢を叶えるためにお金をたくさん使うはずだったでしょ。同じ人間なんだから。」
「そうだね。」
ただ同意する事しかできない。当事者でない私が言っても陳腐な慰めや同情にしか聞こえないから。
「お母さんは心の奥底にある愛情の差というか子供の接し方に苦しめられてきたの。お姉ちゃんは喜びも怒りも伝えることができないから、どうしても私のほうがかわいく見えちゃうじゃん。きっとそんな自分が大嫌いだったんだともう。」
紗夕ちゃんはまた海へと歩みを進める。
「ずっと小さいときから私はお姉ちゃんの面倒を見てきた。そのたびにお父さんからは偉いねって。ただお姉ちゃんとあそんでただけなのにさ。でも、小さい私もどこか恵まれなかった人というか弱さがある人の面倒をみて、回りから優しいとか偉いって言われるの嫌いじゃなかったんだ。」
紗夕ちゃんは私の顔をみながら話を進める。
「だから椿ちゃんと会った時、面倒をみようときめた。最低だよね。」
本当なら傷つく言葉だったのかもしれない。けれど、あの時の私はただ二人でいるのが楽しくて、綺麗なお花を図書館で調べたり、おにごっこで勝つために朝家の周りを走ったりした。その日々は嘘じゃなかったから。私は強くそう思っているから、それでいいとただ感じる。この気持ちはこの場所で少し前葵ちゃんから教えてもらったものだった。
「私はそれでも嬉しい。」
「気を使わないで。今日で会うのは最後だから。」
「違う。」
「早くお母さんに会いに行くんだから。こんな世界から逃げ出すの。人生なんて生まれた時点ですべて決まるじゃんか。きれいごとを言ってる人は、努力の土俵に立てない人がいることをしらない。生まれつきでみんなと違うことを強要されて、普通とは違う人生を押し付けれて、ずっと哀れみの目を向けられて。椿ちゃんならよく分かるでしょ。」
「よくわかるよ。」
「そんな人達を差し置いた幸せとか平等とか気持ち悪くて受け取れない。じゃあどうすればみんな幸せになれるかって聞かれても私は答えられない。だから恵まれないひと、幸せになれない人がいることを許容して生きていくことをしなくちゃいけない。そんな自分が醜くて、大嫌い。」
風が吹くなか、彼女は砂をばらまいた。
「砂のように消えてしまいたい。どこか遠くへ、だれもが幸せなところへ。」
ばらまかれた砂は風の吹く方へ儚く散っていった。
私たちが歩いてきた足跡も消え失せた。
「椿ちゃん。最後に聞かせて。平等ってなに?恵まれない人にはどう接すればいいの?幸せって何?人生ってなに?」
私は固まってしまう。彼女がこちらへ戻ってこれるようなことを言える自信がない。そんな私を横目に彼女は決意を固めるように力強く私に言葉を投げ捨てる。
「あなたが生きてきた理由は何?」
沈黙が答えるように、彼女はゆっくりと確実に海へ向かう。月が照らす道をなぞるように。
月を見上げる彼女はただただ美しかった。あっけにとられるくらい。自分と極限まで向き合った結果導き出した答えなのだろう。
ならばここで彼女を止めるのが本当に正しいことなのかわからない。
きっとあのころから私と紗夕ちゃんはずっと同じようなものに苦しめられてきたのだろう。
彼女の綺麗で透き通った考えが自分自身を苦しめ、行動を縛って彼女自身の意志や人生を消してきたのだ。
最後くらいそっと自分のしたいようにしたって罰はくだらないはずだ。
私は理由もなく、彼女の手を握る。そして一緒に海へと歩き出した。
足首に水が当たる。
「冷たいね」
「うん。冷たい」
頭が働かない。私は傍観者のようにただ体が紗夕ちゃんに呼応するのに従うだけだった。
膝くらいまで水面が上がってきたころ、ポケットに入れていたスマホが布を貫通して光る。
刺激に反応する動物のように、思考することなく画面をみる。
今の時代には珍しくメールだった。
広告のメールなどは全部ブロックしていたはずである。
誰からのものか確認しようと、紗夕ちゃんの手を握るのをやめ、スマホのロックを解除する。
メールを開くと、送信者 菊池咲月 という文字が真っ先に目に入る。
「メールでごめん。スマホ変えちゃってさ。お久しぶり。みんなと連絡する手段なかったんだけど、最後に出かけたときに椿ちゃんが新しいスマホ買ったって言ってメールアドレス決めたでしょ。みんなの頭文字のやつ。あれ覚えてたから助かったの。ありがとう。それでさ8月の終わりころなら時間あるから、みんなで会いたい。とりあえずそれだけ。会ったらたくさん話したい。」
きーちゃんからだった。そういえば高校卒業してからは一回も会っていない。
おしとやかなのにどこか確固とした燃え上がる意思をもっていて、それに一直線に答える彼女。
今は美大で絵を描き続けている。そういえば初めて会った時も絵を描いていたな。
たしかその時も、入試に出す絵も海を描いていた。
まるで今日みたいな満月に照らされた海。優しく確かな月の光が私たちをどこか遠い幸せな世界へ導こうとしている。
あの絵に惹きこまれたのと同じように今私たちは、積み上げてきたもの、背負わされたものを脱ぎ捨て、一歩ずつ確かに消えようとしている。足からまるで砂のように風の流れる方へ消えてゆく。その感覚は鼓動を早くさせて、なんとも言い難い気分の高鳴りを感じさせる。
「椿ちゃん」
もう足をすべて埋め尽くすくらい深くまで進んだ彼女が私に声をかけた。
「なあに」
「見て。乾いた砂のところの足跡はなくなっちゃったけど、海のなかは残ってる。波が緩やかだからかな。まだちゃんと生きてるんだね。」
透き通る海辺の底には私たちが確かに歩いてきた後があった。紗夕ちゃんの覚悟を示すように一歩ずつはっきりとした跡がついていた。
その光景をみて、あの絵を思い出す。きーちゃんが夜遅くまで美術室で書いていた絵。
写真をそのまま絵にしたかのようだったが、風景画ではないとのことだった。
私も一つ引っかかった絵の描写があった。それは砂浜すべてまるで常に海水に浸されていたかのように濃い色で描写されていたこと。そこには無数の足跡が消えずに残っていた。透き通る海の中までも。
それはなにを伝えたい絵だったのか、聞けていなかった。高校生がなにを思い描いた絵なのか。
ふと、きーちゃんに会いたくなる。美術室でずっと絵をかいていたきーちゃんに。夢を堂々とかたるきーちゃんに。
私の憧れだった。でもきーちゃんのようには生きれなかった。
だって今こうして、紗夕ちゃんと二人でまるで砂のように流れるまま消えゆこうとしている。
上半身にまで水がつかる。まるで走馬灯のように思い出が駆け巡る。
寂しかった日々に現れた先生と紗夕ちゃん。突然消えてしまい、また暗闇が訪れる。
長い年月をおいて、夕暮れに輝く少女とであい、強く優しい私を支えてくれる友そしてしたたかな絵描きさんと出会う。みんなかけがえのない大切な人だ。
最後にさっきの紗夕ちゃんの言葉が鳴り響く。
私の生きる意味とは。
「じゃあ。ばいばい」
目を閉じる彼女をみて、すべて思い出す。いままで私を動かしてきたもの。
それは、会いたいという気持ちだった。
ねえ、紗夕ちゃん待って。まだあなたと話したい。会いたい。あなたと行きたい。また砂のように消えないで。
「ねえ、こっちきて」
「なにするの」
「今から二人で帰る」
「なんでもうすこしでお母さんに会えるのに。」
「今じゃなくていい。」
「嫌だ。」
「いいから」
抵抗する彼女をひっぱり陸へあがろうとする。
運動とは無縁だった私にとって、抵抗する成人女性をひっぱり、海の中を歩ける体力はなかった。むしろ私が負けてしまう。
ああ私が葵ちゃんだったら、困ることなく引っ張り上げれたかな。私が香澄ちゃんならこうなる前に止めれたかな。
「もう自由にさせて」
私が紗夕ちゃんだったら。いまさらになって引き留める私をどう思うだろう。もう楽にしてほしい。部外者がきれいごと言わないでって。君に私の何がわかるのって。
「わかるよ」
「え?」
「私はあなたに会いたくて生きてきた。ずっと紗夕ちゃんとの思い出に支えられて生きてきた。だから、私はあなたを救う権利がある。一緒に生きる権利が。」
「だからってまた私を気味の悪い世界に引きずり戻すつもり?」
「うん。」
「なんでよ。」
「あなたと生きていたいから。」
「私にまだ苦しめっていうの?」
「苦しくなんかさせない。私が寄り添うから、支えるから。それに世界は意外と暖かいことにすぐに気づくから。」
「寄り添うとか所詮きれいごとだよ。」
「違う。」
「なぜそう言いきれるの?」
「私が誰かにそうしてもらってきたから。」
彼女は少し抗うのをやめる。
私は必死に砂浜へと引き戻す。
それでも波に寄せ返えされ、まだ足には水の感覚がある。
私の腕力では解決できなかった。
「私はね、かけがえのない人に会うために毎日を生きてる。ただそれだけ。私はみんなと違うけど、それは誰もがそう感じながら生きてる。きっとみんな違うことを理解しながら、寄り添い誰もが生きやすいように生きてるんだよ。」
彼女は静かにこちらをみる。
「寄り添うことは共感すること。当事者じゃなくても、たくさん考えたら分かることもある。平等なんてないから寄り添うの。もちろん全ての人が寄り添ってくれるわけじゃない。でもそれもまた一つの生き方だから、認めるの。」
「共感って哀れみの同情と同じじゃん。」
「違う。同情には責任がない。共感には責任がある。」
「どうして」
「私がそうしてもらったから。私には共に生きてくれた人がいる。その想いに応えるために私の人生はあると思う。」
疲れる体に力を入れ、波に抗い言葉をかけ続けた。
「私が紗夕ちゃんにとってそんな人でありたい。ずっと悩んでたんでしょ。いろいろなことに。一個ずつ生きてく中で答えを見つけていこうよ。」
「答えが正解かもわからないのに?」
「自分が納得がいくものが正解だから。これまで生きてきた中で得たすべてのことを判断材料にして、自分の答えが正しいと証明する。生きてこそだから。」
「なぜ」
彼女は固まる。背負われるのをやめて、彼女は自分の足でたつ。彼女の顔は綺麗に涙でいっぱいだった。
「なぜあなたはそんなに強いの?」
「いつも私のそばには大切な人がいたの。その人が教えてくれた。強くしてくれた。私にとっての先生はその人達だった。紗夕ちゃんもその1人だから、少しでも恩返しをしたい。」
「こんなことをした私があなたと共に生きる資格なんてあるのかな」
「あるよ。私もこの前同じことをしようとした。」
「え」
「引き込まれるように、全てをやめたくなった。でも友達が引き戻してくれた。だから今日は紗夕ちゃんを引き戻せたの。運命みたいだよね。」
そう話した瞬間、彼女は痛いと倒れ込む。
クラゲだった。私まで刺されたら、取り返しのつかないことになる。必死に紗夕ちゃんを支えて、クラゲに刺されないように探した。
私の焦りとは対照的にクラゲは私たちから離れた。
クラゲは月の光が差し込む方へと遠くへ遠くへ進む。
私は必死に紗夕ちゃんを抱えて砂浜へ向かう。
足が水の感覚を失しない砂浜へついたとき、彼女が口を開いた。
「運命みたい。」
「でしょ。」
「椿ちゃんに助けてもらったことも。クラゲに刺されたことも。」
「クラゲ?」
「私の家に海の絵あったでしょ。」
「あったね。その絵にクラゲいたっけ。前だから覚えてないな」
「私のお母さんは海が好きだった。自分の名前の由来だから。お母さんの名前は……」
そこまでいいかけて嘆くように泣いてしまった。
私はただ彼女を包み込む。
それだけが私の想いをつたえる手段だったから。
私たちは砂浜に倒れ込み、月を見る。
美しい壮大な自然を目の当たりにすると、自分達はなんてちっぽけなのかと思う人が大半だと思う。
確かに人間のちっぽけ社会はである。
けれど、それでも誰もが苦しみながらも前を向いて生きている。そのことが分からないから人は孤独を感じてしまうのかもしれない。
「椿ちゃんはあの頃の約束通り、先生目指してるの?」
「一応ね。でもなんでなりたいか分からなくて、なれるのかもわからないし、なったって小学生じゃバカにされて終わりだよ。」
笑いながら彼女に話す。
「椿ちゃんなら誰かを正しい方向に導けるから向いてると思う。けどもし、どこかで私には無理かもとかそれで悩み続けているなら……」
彼女は深呼吸をしてから、また口を開く。
「私が椿ちゃんの夢を叶えたい。」
「え?」
「私が先生になる。変な提案だよね。今まで明確な夢とかなかったからさ、生きてく理由とかなかったけど、椿ちゃんを感じながら生きていたい。」
率直な言葉に体が反応する。私が誰かに生きる理由になれるんだ。それこそが本当の夢だったのかもしれない。
過去に私の生きる意味だった紗夕ちゃんにこんなことを言ってもらえるなんて、年月の深みをを感じる。
彼女の眼はまっすぐに私を見つめている。
この気持ちを伝えたい。ありがとうとも好きとも違うこと気持ち。なんともいえない満足感。
私もあなたを感じながら生きたい。それが最も伝わる言葉、行動を探す。
思いついたと同時に私は口に出していた。
「私も紗夕ちゃんの夢を叶えたい。みんなが幸せになれるように世界を変えてみる。」
「すごいね。世界だよ。広いよ。」
「私たちなら出来るでしょ。」
二人で微笑み顔を見合わせる。
今ならなんだってできる気がする。不可能なんてない気がする。
いつも私は誰かの力を借りて生きてきた。思い出をかかえて、ずっと悲劇のシンデレラのように生きてきた。
そんな私が、誰かの生きる意味になれた。
そしてきーちゃんのように自分の本当の夢を自信をもって言えた。
これまで私を大切に思ってくれた人たちに伝えたい。
私は恵まれている。幸せでたまらない。と。
今日までたくさんの人に支えられてきたようにこれからも支えられて息をする。
これからは私も少しずつその想いを返していく。
そしてまた悩める誰かに温もりをつなげていく。
自分たちがそうされてきたように。
「ねえ、椿ちゃん。」
「なあに。」
「今人生で一番幸せ。」
「私も。幸せ。」
そう言って二人は立ち上がる。
濡れた砂の上をかみしめるように一歩ずつ歩く。
林の隙間に着いた頃、なんとなく振り返った。
月は海を照らし、光り輝く。
今日の月は特に綺麗で、手に入れて飾りたくなる。
ふと手をかざすとすべて隠れてしまった。
手を握ると、月をつかんだ。
きっと半分くらいつかめたはずだ。
手を握ったまま紗夕ちゃんのほうへと駆け寄り、この場をあとにした。
未来へと二人で歩く。
きっと何度もつまずき、悩むだろう。
けど二人なら乗り越えられると感じる。
確認しなくても、彼女もそう思っていることは分かる。
20年生きてきてようやく気付いた。
誰かのために生きることが尊いことだと。自分は幸せだと自信を持って言えることが強さだということ。
不平等さや不条理はそれに気づくための道具だと。
誰かの想いを受け取り、返していくあるいは誰かに繋いでいくことが生きている意味だと。
このことが合っていることは生きていく中で証明する。
人生とはそういうものだと私は思うから。
だから明日も明後日も、来年も再来年も時間が許す限り息をする。
あなたの想いへ答えられるように




