9話【震砕】
「情報屋、気付いてましたよね」
街道を走る馬車の中。
小窓から外を眺めていたルナが、ヴィオの対面に座り直した。
「恐らくな」
「だから釘刺しましたけど、やりすぎでしたか?」
「寧ろ喜んでると思うぞ」
「あの探る視線……信用出来るんですか?」
「全く」
ルナは怪訝な顔を浮かべるが、ヴィオは僅かに肩を竦める。
「互いに信用なんてものはない。あるのは金と情報。こちらが対価を払えば、相応の情報を用意する」
「信用出来ない相手からの情報が、間違っていたらどうするんですか?」
「簡単な事だ。殺せばいい」
「また端的ですね」
相変わらずなヴィオに、ルナから小さな溜息が漏れる。
「だが、事実だ。概ね裏社会というのはそういうもの。質の悪い仕事をすれば噂は広まり、命の危険も跳ね上がる。故に、長く生き残ってる者は相応の価値を生んでいるという事だ」
「あぁ……なんとなく分かりました。あの人に信用がなくても、間違ってても別にいい。けど、そうなっていないから仕事を頼む、というわけ……あっ」
この時、ルナは気付いた。
ヴィオが言わんとしていた事の本質に。
「これって、ヴィオさん達にも当てはまりますよね」
「そうだ」
例えば、契約した国の戦に投入された場合。
勝利を持ち帰るのが大前提であり、それが評価になる。
敗戦でも、請け負った傭兵が戦場で死ねば話は終わり。
だが、生き残ってしまった場合。
待っているのは、契約不履行の責を問う粛清だ。
「戦争に送り込むのも、情報を提供するのも、人柄なんぞ不要だからな。求めるものは対価に見合う結果のみ。その点で言えば、あいつの仕事の質は信用が積み重なっている」
「理解しました。あの人の事も、ヴィオさん達の事も」
戦乱で発展してきた大陸で、常に戦果を上げてきた【黒禍】。
それがどれだけ異常な事なのか、ルナは改めて実感した。
「疑問が晴れたところで、この馬車はどこに向かってるんですか?」
「ギドルグ……黒禍の一人、【震砕】に会いに行く」
「え?」
▽▼▽
馬車に乗る事半刻。
岩塊が転がる切り立った谷底、ゾウヒ渓谷へやって来た。
「暫くしたら戻る」
御者を払い、二人は岩壁の奥を目指す。
「どんな、人……ふぅ、なんですか?」
登っては下り、足場の悪い地形を進む。
少しよろめく華奢な体を横目に見つつ、ヴィオは次の足場を選ぶ。
「デカい、硬い、律儀」
「はぁ、そう、なんですね……ヴィオさん、みたいです」
「……そうか?」
「そう、ですよ」
「見えたぞ」
程なくして、断崖にたどり着いた。
雄大な水流の痕跡が残り、すり鉢状に窪んだ大地が視界を埋め尽くす。
その中央には、腕を組んで堂々とした巨漢が立っている。
服の上からでも分かる隆起した筋骨が、空気を一段重くしていた。
「……凄い魔素、じゃなかった、身体エネルギーですね」
「見えるのか」
「はっきりと。ヴィオさんも異常でしたけど」
「そうか」
「はい――ヴィオさん?」
その瞬間、ルナの体がふわりと浮かんだ。
分厚い腕に包まれた意味が分からず、ヴィオを見上げる。
「一気に降りる。舌を噛むな」
「先に言って――っ!」
言い切る前に、ヴィオが断崖から飛び降りた。
吹き上がる風が頬を撫で、ルナの全身に軽い振動が走る。
丁寧に下された地面は、ヴィオの足元から亀裂が入って瓦解した。
「だっはっはっはっ! 相変わらずの面だな、ヴィオ」
太く低い声が、断崖に木霊する。
勇猛な黄色の双眸、獅子の鬣の如く逆立つ黒い長髪。
ヴィオより頭一つ抜けた体躯は、完璧に鍛え上げられていた。
「お前もな」
【震砕】と対峙したヴィオは、いつもの鎧を着ていない事に軽く溜息を吐いた。
背の巨刃剣を地面に突き立て、黒革の重装を上半身だけ脱ぎ捨てる。
「……これでいいか」
「感心」
瞬間、ギドルグの空気が変貌した。
重心を落とした足から衝撃が走り、地面を割る。
大気が俄かに振動を始め、月明かりが眼光を照らし出した。
大きな溜息を吐きながら、ヴィオも構えを取る。
「幾つだ」
「二発……いや、三発だ。最後かもしれんからな」
「承知――」
刹那、大気が爆ぜた。
宙に石礫が舞い上がると同時に、ヴィオが一歩で距離を詰める。
速度を殺さぬ神速の拳が、ギドルグの脇腹へ撃ち出された。
「なんの!」
だが、ギドルグの左肘がすかさず防ぐ。
人を殴ったとは思えない金属音のような高鳴りが響き、ヴィオの左端の視界が翳った。
すんでの所で顎を引き、ギドルグの膝蹴りが空を切る。
ヴィオは回転して足払いを狙うが、巨漢は悠々と宙返りで距離を取った。
「だっはっはっはっ! 楽しいなぁ!」
「面倒だ」
視線を外さず、ギドルグが緩やかに後方へ下がる。
一定の距離で止まると、両腕を空高く掲げた。
「よもや、卑怯などとは言うまいな?」
「早くやれ」
「くっくっ……堪らん! これだから【灰燼】との死闘は止められんのだ!」
ギドルグの両手に光の膜のようなものが現れた瞬間。
叩きつけられた地面が――崩落した。
「馬鹿力が」
開かれた裂け目は、奈落への一本道。
渦を巻く土石流を巧みに足場にしたヴィオが、地上へ飛び出してくる。
その瞬間を、【震砕】が見逃す筈はなかった。
「ひとぉぉぉつ!」
「ぐっ――」
巨刃剣の腹が、ヴィオの腹を叩いた。
吹き飛ばされた巨躯が岩壁にめり込むが、すぐに抜け出してルナの元へ飛んできた。
「怪我は」
「その言葉、そのままヴィオさんに返します」
「問題ない。あいつの馬鹿力は昔からだ」
ヴィオの腹部を触って確認するが、確かに骨の損傷は見られない。
ギドルグはあの巨刃剣を振り回し、ヴィオは打ち身程度で済んでいる。
どちらも規格外という事だけは、この短い攻防で理解した。
「これ以上は厄介だ。片をつける」
「手助けは……いらないですね」
ヴィオは再びルナを下がらせ、崩落した岩場に立つギドルグを見据えた。
瞬間、巨刃剣が凄まじい勢いで飛来する。
「重ったいのぉ! よぉこんなもん振り回しとるわ」
ギドルグの呆れた声を乗せた鉄塊が、視界を覆った刹那。
ヴィオは視線を切らずに、足を一歩だけ下げた。
針の穴を通すような間合いで半身になり、躱した勢いそのままに巨刃剣の柄を左手で握る。
遠心力を最大まで引き上げた回転斬りが、ギドルグ目掛けて放たれた。
「こりゃいかん」
大気を裂く剣閃が、大地を抉りながら迫り来る。
ギドルグは足場を飛び移って回避するが、舞い上がる粉塵が視界を殺した。
一瞬の静寂。
それだけで、ヴィオには十分だった。
「一つ」
「――ぐぅっ!」
足場を変えた時には既に、ヴィオは背後を取っていた。
剣閃と共に距離を詰め、粉塵に気を取られている間に射程に入る。
鉄塊のような拳がギドルグの背面にめり込み、巨体を浮かせた。
「二つ」
「がっ!」
掌底がギドルグの顎を撃ち抜き、岩盤を砕いたような音が鳴り響く。
地面に引き倒され、鳩尾に衝撃が走った。
粉塵が晴れていき、大の字になって倒れるギドルグの口から血が溢れ出る。
その眼には、満点の星空に浮かぶ【灰燼】が映っていた。
「……堪らんのぉ」
「三つ」
振り上げた巨刃剣を、矢のように地面へ投げ付けた。
風を斬り裂きながら流れゆく鉄塊が、ギドルグの頬を薄く噛んだ瞬間。
地面は二度目の崩落に見舞われ、【震砕】の体が土石流に沈んでいった。




