10話 出航
「だっはっはっはっ! いやー、今回も勝てなんだのぉ」
岩塊に腰を下ろしたギドルグは、えらく上機嫌だった。
背中、顎、鳩尾、土石流から引き上げられた時には片足。
数箇所の骨折をもろともせず、寧ろ元気になったようにさえ見える。
(はぁ。人間ってこんな感じだったっけ)
怨霊と呼ばれた存在から見ても、二人は異常だった。
ルナの溜息が、谷底の冷気に吸われていく。
「さーて、条件は果たされた。仕事の内容を聞いてやるぞ?」
「その前にルナ、頼めるか?」
「はーい」
ギドルグの前に座り込んだルナが、両手を翳す。
「これは……なんとも」
温かな光に包まれ、ギドルグの傷がみるみる癒えていく。
折れた筈の部位を叩き、全快した事を確認した。
「その紋様、やはり恩寵か。しかし、ここまで完璧に治癒出来る者はいなかった。誰に付与された?」
ヴィオはルナを見やるが、金と銀の双眸に揺らぎはなかった。
「紋様は付与型だが、治癒はルナの力――魔法だ」
「遠い昔に聞いた事があるような、ないような」
「この大陸にはない力、俺達の恩寵と似て非なるものだ」
「くっくっ……そりゃそうだわなぁ」
「なんだ」
「不能があるのに、恩寵な訳あるかってんだよなぁ! だっはっはっはっ!」
目尻の涙を拭いながら、ギドルグは豪快に笑う。
肩を叩かれ眉根を寄せるヴィオを尻目に、ルナは僅かに面食らっていた。
(驚かないんだ。本当に、よく分からない人達)
黒禍がどういう存在かは、ヴィオから聞いている。
単純な善悪などでは測れないが、今こうして向かい合っている二人の男は――新鮮だった。
「おう、忘れとった。ギドルグだ。礼を言うぞ」
「えっ、あ……ルナ、です」
唐突な名乗りに、既視感が生まれる。
差し出された手を握り返しながら、ルナの口角が上がった。
(ヴィオさんとおんなじ……あれ?)
その時、違和感に気付いた。
魔素がない渓谷では、治癒魔法を全身にかけられなかった。
治したのは特に酷かった骨折部分だけ。
それなのに、全身にあった無数の傷が完治している。
(そう言えば、ヴィオさんも同じだった。包帯を外したら、全部治ってた)
契約成立の後、ヴィオが身支度を始めた時。
最低限の治癒しかしていない身体から傷が消えていた事に、疑問を持っていた。
ルナが思案していると、ヴィオが口を開く。
「マーガとレンディルは?」
「五月蝿ぇもんだぞ。お前さんに二人掛かりでも負けちまったからな。だっはっはっはっ!」
「俺も死にかけた」
「だが、生きてる。完璧にあの小娘どもの負けよ。次はしくじらんと、【零姫】に頼み込んで無駄に鍛え上げておるわ」
「そうか」
他愛もない会話をしているようで、中身は随分と物騒な話。
【紅豹】も【死電】も、ヴィオから聞いていた。
限界まで追い込んだのに、負けたと悔しがる。
黒禍の異常な価値観に、ルナは僅かに息を漏らした。
「仕事の話だが、俺の行動範囲を撹乱してもらいたい」
「聞こう」
「大陸各地の黒禍が潰した国を中心に、騒ぎを起こして俺の名を流布してくれ」
「期間は」
「七日。それだけ引き延ばせば、新大陸まで先に着ける」
「新大陸……そうか、行くのか」
ギドルグは顎を摩りながら、頷きを見せた。
「怨みの募る国なら【灰燼】の名が広まるのも早い、か。物証はどうする? 流石に何もなしで統括は欺けん。なんせ、お前さんに斬られ、憤慨しているからな」
「邪魔だったからな」
「だっはっはっ! この目で見たかったぞ」
「その話はいい。西の果ての霊峰に行け」
「……成る程な」
ギドルグの視線がルナを捉える。
未知なる魔法の使い手、黒禍の戦いを見ても動じぬ胆力。
付与型の紋様と、霊峰という地理。
正体は分からないが、どう呼ばれているかは理解した。
「お察しの通りです」
ルナが微笑みを浮かべると、ギドルグは俄かに悪寒を覚えた。
伝承の正体が、ここまでとは。
「お前さん、死にかけたと言ってたが……嬢ちゃんに救われたな?」
「そうだ」
「仏頂面のお前さんにも、遂に嫁さんが出来たのか」
ギドルグが片眉を上げると、二人は互いに顔を見合わせた。
「その設定でいきますか」「契約主だ」
同時に喋った二人に見つめられ、ギドルグは薄く口角を上げた。
「話に戻るが、霊峰の麓に一際巨大な大木がある。その中に、俺の装備が置いてある」
「合点がいった。装備を物証として、お前さんが更に逃げ仰せた事にすれば……確かに時間は稼げる」
「違うな。再び追い込まれた俺は、伝承と共に死んだ。お前は装備を持ち帰り、そう報告すればいい」
ギドルグが見やると、ルナは静かに頷いた。
「……戻る気はねぇってことか」
「ない」
「……そうか。このギドルグ・バーグレオンの名に掛けて、全うしよう。で、報酬は?」
ヴィオが懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
紙の右端には署名とサガド大商会の押印があり、中央は空欄のままだ。
「手形だ。全て渡す」
「……確かに。で、この後は?」
「出航の時間がある」
「そうか……ヴィオ、達者でな」
「お前もな」
二人は互いに頷き合い、握手を交わした。
そして、ギドルグはルナにも手を差し出した。
「ルナの嬢ちゃん、お前さんも達者で。あの仏頂面は危なっかしい所があるから、頼んだぞ」
「はい。行ってきます」
二人はギドルグと別れ、馬車へと戻った。
▽▼▽
「本物の船とは、こんなにも大きいんですね」
月明かりの中。
岸壁に並ぶ大型船を一望したルナから、溜息が漏れた。
穏やかな波の音に混ざり、四方から鎧や武器の擦れる音が聞こえてくる。
集まったのは五十人ほどの男女。
提灯を掲げた男達が先頭に立ち、静かに場を取り仕切る。
「点呼を取ります。資格証をご準備ください」
二人が板を取り出して男達に見せると、番号札が渡された。
「私達は六番ですね。部屋は四階だそうですよ」
「あぁ」
「部屋ってどんな感じなんですかね」
「さぁな。使う予定もない」
「え?」
ルナが見上げると同時に、番号が呼ばれた。
船に乗り込むと、ヴィオは階下へ行くよう促してきた。
「ヴィオさん?」
「中間層の個室など、逃げ場がない。船底の雑魚寝部屋に行く」
「そこは安全なんですか?」
「剣を振る空間、壁役、視界の確保」
「あぁ、成る程です」
階段を降り切った頃、ヴィオが徐に口を開いた。
「……お前は、上の部屋が良いか?」
「一緒ならどこでもいいですよ」
「そうか」
微笑みを浮かべたルナを見て、ヴィオは船底の角の壁に背中を預けた。
ルナは積まれていた毛布を二枚取ってから、その隣に腰を下ろす。
その後、続々と人が出入りし、空間が埋まっていった。
「おいおーい、女連れとは良いご身分だなぁ」
「……」
ヴィオは答えない。
船が動き出して暫く、飽きてくる者も出る頃だ。
害がない内は、好きに吠えさせておけばいい。
そう思っていたが、隣は違った。
「成る程。こういう絡まれ方は記憶にないですね」
「放っておけ。労力の無駄だ」
「そんなものですか」
「害があれば潰す。それ以外は流す」
ルナは少し首を傾げたが、言う通りにする事にした。
毛布に包まり、横に座り直そうとした瞬間。
「イキがってんじゃねぇぞカスが!」
「カス……?」
声を荒げた男の方を、ぐるりと振り返った金と銀の双眸。
そこに光はなく、ただ深い穴が開いているように見えた。
「ひっ……!」
「誰に言ったんですか?」
鈴のような声音はなりを潜め、強烈な重さが耳に突き刺さる。
だが、ヴィオの手が肩に置かれた。
「止めておけ」
「……分かりました。でも、少し快適にするのは良いですか?」
「……程々にな」
ヴィオは男達に視線を移し、淡々と言葉を吐いた。
「一つ、言っておく」
「――うぐっ!」
瞬間、男達の喉が詰まった。
全身から脂汗を流し、酷い耳鳴りに頭を抱える。
「連れているのは俺じゃない。彼女だ」
解放した魔素を、ルナが再び抑え込んだ。
苦しみから解放された男達の呻き声が、暫くの間船底に響く。
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