7話 白いリボン
落ち着いた雰囲気の服飾店。
カーテンで仕切られた試着室の前で、壁際に背中を預けてヴィオが立っていた。
(追手の気配はない。まだ猶予はあるか)
契約成立から三日が過ぎ、二人は川港の町へやって来ていた。
道中立ち寄ったのは、霊峰から最も近い村だけ。
あとは森と平原、岩場を抜けて、人目は避けてきた。
(段取りは済ませた。あとは――)
黒革を重ねた重装に黒い外套、背に巨刃剣を収めたその姿。
街着としては異質だが、不思議と浮いてはいなかった。
その時、眼前にあるカーテンがゆっくりと開かれる。
「着ました、けど」
少し俯いたルナは、袖口を摘まんでは離す。
慣れない生地が肌に触れるたび、大きな瞳が小さく揺れた。
「……どうですか?」
白を基調とした上衣と短パンに、肩には濃紺の外套が掛かる。
胴を引き締める同色の布地は、斜めに長く落ちる腰布と重ねた造りで、一見すればロングスカートにも見えた。
両脚を覆う黒タイツと革のショートブーツが、肌を守っている。
「問題ない」
全身を一瞥したヴィオが淡々と答えると、誇らしげに立っていた店員から溜息が漏れた。
「こういう感じの服は、初めてなので」
「装備だ」
「あ、装備ですけど……似合ってますか?」
「あぁ」
「……なら、いいです」
ヴィオが店員とカウンターへ向かう傍ら、ルナは少し伏目になった。
試着室の前で、視線だけ鏡に戻す。
濃紺の外套を指先で撫でながら、広がりかけた口角を必死に押し留めていた。
「では、二人分頼む」
「かしこまりました。ご旅行ですか?」
「そんな所だ」
「お連れ様、とても良くお似合いで」
「そうか」
会計を待つ間、カウンター脇に並ぶ品が目に入った。
数字を叩いていた店員は、その瞬間を見逃さない。
「お気に召されたようで」
「……近くに、床屋はあるか?」
「あら、切ってしまわれるんですか? それは残念です」
店員の眼差しに、ヴィオは首を傾げた。
「残念?」
「あれだけ美しい長髪は、そうはお目にかかれません。確認ですが、そのお話――お客様の事ではございませんよね?」
「無論だ」
「でしたら尚のこと、あのままを推させて頂きます。手入れもほど良くされていらっしゃるのに……勿体ない」
店員は首を振りながら、また溜息を吐いた。
ヴィオが後ろを見やると、ルナは鏡の前で頭を左右に揺らしていた。
艶を帯びた漆黒の長髪は楽しげに動きを重ね、耳元から垂れる純白の一房が映えている。
店員に向き直ったヴィオは、僅かに片眉を下げながら疑問を呈した。
「邪魔、ではないのか?」
「お客様、女には纏めるという術がございます。邪魔かどうかは、お連れ様の判断が宜しいかと」
「……そうか」
「えぇ」
程なくして会計が終わり、二人は店を後にした。
▽▼▽
次の目的地に向かう為、二人は大通りを歩く。
ルナが半歩前、ヴィオは全てが視界に入るようにその後ろに陣取る。
道中の間に、自然と固定された立ち位置だ。
(特に気にする様子はないか)
周囲に視線を走らせながら、ルナの歩き方にも注意を払う。
村でもそうだったが、人間に対して過剰な反応は見られない。
無駄な事は喋らず、愛想良く立ち回っていた。
「気にしてない、訳ではありませんよ」
濃紺の腰布が反転し、ルナがこちらを振り向いた。
「……魔法は心も読めるのか」
「そういった魔法もあるにはありますが、私は不得手でして」
「……そうか」
口角を緩ませ、ルナが小首を傾げる。
こうして見ると、二十歳そこそこの普通の女。
その実、四百年以上を生きる大賢者の系譜。
人は見かけによらないとは、よく言ったものだ。
「ただ、全ての人間が悪い訳ではありませんから。向かってきた者と同種だからといって嫌悪していたら、私も同列になっちゃいますからね」
「達観しているな」
「お姉さんですから」
ルナは顎に指を添え、尊大なポーズを取る。
殺し合いをした時から、随分くだけたものだ。
こちらが素の性格なのかもしれないと考えながら、さっさと歩くように促した。
「ところで、髪は邪魔か?」
「ヴィオさんてホント、唐突に話変えますよね。要点しか言わないし」
「邪魔か」
「ん〜」
目の上で切り揃えられた前髪を弄りながら、ルナが全体に視線を移す。
霊峰を出る前は、地面すれすれまで伸びていた髪。
それをヴィオに整えてもらい、今は太腿の辺りで綺麗に収まっている。
長い間髪など気にしてこなかったが、櫛入れに戸惑っていたヴィオを思い出すと口元が緩む。
「切った方がいいですか?」
「お前に聞いている」
「……たまには、櫛入れしてくれますか?」
「もう自分で出来る長さだろ」
「私、こう見えて体が固いんですよ」
ルナが腕を背中に回し、ひらひらと動かしてみせる。
確かに、両手の先が付く事は決してないだろう。
ヴィオは溜息を吐くと、静かに頷いた。
「ついでの時だ」
「では、邪魔ではありません。ヴィオさんみたいに短く切り揃えるのは、またの機会にします」
「そうか」
ヴィオは懐から包みを取り出し、ルナに手渡した。
「これは?」
「女は纏める術を持っているらしいからな」
包みを開けると、手触りの良い素朴な造りのリボンが入っていた。
ルナの純白の一房と馴染みそうな、初雪のような白色。
「ちょっと待ってくださいね」
ルナは両手で漆黒の長髪を掬い上げた。
指の間を零れる髪を慌てて集め直し、白い一房を少しだけ前に逃がしてから、純白のリボンを結ぶ。
高い位置で纏められた大振りな一房が、確かめるように軽く跳ねた。
ルナはリボンに触れ、一房の毛先を胸の前で確かめる。
「ヴィオさん、ありがとうございます」
「あぁ」
微笑みを浮かべたルナが歩き出すと、ヴィオに先ほどの光景が過った。
毛先を自分で確認していたルナの姿が。
瞬間、大振りの一房がこちらを振り返り、金と銀の双眸が妖しく緩んだ。
「ついでの時、ですよね? ヴィオさん」
「……あぁ」
四百年を侮っていたなと、ヴィオはまた一つ溜息を吐いた。
しっかり仕事を増やされてしまった。
(体が固いというのも、鵜呑みに出来んな)
そんな事を思いながら歩いていると、川の匂いが吹き抜ける船着場まで辿り着いた。
木製の舟の先端では、船頭が待機している。
「先ずは川を下り、アルスゥムに向かう」
「了解です」
頷いたルナが意気揚々と舟に飛び乗り、ヴィオは舟を傾かせながら乗り込む。
船頭が合図を出し、川の流れに乗って舟が走り始めた。
(さて)
頬を撫でる風を受けて、ルナが顔を綻ばせる。
その傍らでヴィオは舟の隅に腰を下ろし、視界と距離を確保した。
(仕込みが上手くいくかどうか)




