27話 不機嫌
「……冷た」
冷水を掛けられ、女が意識を取り戻した。
不貞腐れた声を出しながら、ヴィオを見据える。
何本も骨を砕かれ、指を動かすだけで激痛が走る。
呼吸をする事ぐらいしか出来ない女の、せめての反抗だった。
「聞きたい事がある」
瓦礫に腰を下ろし、真正面から女を監視する翠の双眸。
そこに一切の揺らぎはない。
左手で握る円月刃は、判断を間違えれば即座に首に飛んで来るだろう。
「……殺らないんだ」
「答えによる」
観念した女が小さく頷くと、赤いタグが投げて寄越された。
「タグと書いてある名、お前のものか?」
「そうだよー……キサラ・アラナンク、正義の四等級冒険者。兎人族は【ウリク・リュー】の戦姫」
「……姫、ね」
「うるさ……部族ではそういう称号なんだから、いいじゃん」
褐色の頬に、僅かに赤みが挿した。
首を曲げられない代わりに、瞳が斜め上を向く。
女――キサラとしても、痛い所をつかれたのは違いなかった。
「兎人族とは何だ」
「え、端的過ぎない?……ていうか、兎人族知らないとか、君何者――いたっ」
一拍の静寂。
女の視線がゆっくりとヴィオに向けられ、眉根を寄せた。
「……なんで小石投げたの」
「質問に答えろ」
「はぁ……私が言うのもどうかと思うけど、君は人として――分かった、言う」
次の小石が指に装着されたのを見て、キサラが止めに入った。
「……兎の獣人と黒森人の混血が、長い年月で血統として覚醒した種族、ってじじ様が言ってた」
「成る程。では、これを見た事はあるか」
巨漢から奪った赤い丸薬を取り出し、キサラに見えるように掲げる。
黄金色の双眸が、訝しげに細くなった。
「それ、狂人薬だよ。どこでそんな物騒なもの手に入れたの?」
「……拾った」
「へぇ。言っとくけど、それ違法だから。所持してるだけで」
「そうか」
ヴィオが躊躇なく丸薬を砕くと、キサラの口角が僅かに上がった。
「あら、いいの? それ一つに金貨一袋出すぐらい、貴重ではあったのに」
「不要だ。違法の線引きはどこからだ」
「ふーん……色々あるけど、簡単に言えば極度の変異の類だね。媚薬でも強化薬でも、度を超えたものはぜーんぶ違法。ま、薬が欲しいなら資格持ってる薬師見つけなよ」
「成る程。では、最後に取引だ」
キサラは眉根を僅かに上げた。
この状況で取引を望むと言う事は、何を求められる事やら。
「……断ったら?」
「殺す」
「それ、取引って言わなくない?」
「受ければ生かす、断れば殺す。それが取引だ」
キサラは大きく溜息を吐いた。
それは取引ではなく、二択の強要だ。
と言っても、命を握られている事実は動かない。
(死ぬ以外は……受け入れるかぁ)
覚悟を決めたキサラは、僅かに顎を上げて内容を促した。
「一つ、今日の出来事は忘れろ。一つ、今後も裏の情報は取りに行く事がある。西側でお前達の部族……なんと言ったか」
「ウリク・リュー!」
「それに会う事もあるだろうが、邪魔するなと伝えておけ。一つ、俺の契約主の如何なる邪魔もするな。以上だ」
「……え?」
「取引成立なら、お前を解放する」
「えーと」
訳が分からない。
命の対価に要求されたものが、たったこれだけの事なんて。
莫大な補償金や、従属を提示されてもおかしくない。
だが、目の前の巨躯は淡々と、普通に普通じゃない事を言ってのけた。
「答えは」
「……いいの、そんなんで?」
「そんなんで、等と甘く考えるな」
瞬間、翠の双眸に冷徹な光が宿る。
「今日についてギルドや治安部隊が俺の元に来た場合、お前を殺す。西側に行った時、お前の部族が理由もなく攻撃を仕掛けてきたらそいつを殺す。契約主の邪魔をしたと判断した場合……お前と、その部族を完全武装でもって皆殺しにする」
一切の圧を感じない、淡々と紡がれた条件。
だからこそ、キサラは首筋が冷えるのを感じた。
この男は、契約を破らない。
自分に対しても、相手に対しても。
それを生業にしているのだと、嫌でも痛感させられた。
「理由もなく、ね……分かった。取引は成立だよ」
「そうか」
立ち上がったヴィオは、円月刃を投げ返した。
顔の横の壁を抉り、キサラが再び眉根を寄せる。
しかし、ヴィオは肩を竦めるとさっさと踵を返した。
呆気ない終わり方に、思わずキサラが呼び止める。
「ねぇ、もし私が……君に奇襲をかけたら?」
ゆっくりと振り返ったヴィオは、右肩を少しだけ浮かせた。
「お前の言う通り、右腕は使い物にならん。お前と同程度の者数人で今襲えば、殺せるかもしれんぞ」
「……なに、怒んないの?」
「理由がない。取引に俺への奇襲云々は含まれていないからな。死んでやる気はさらさらないが」
血に塗れた小ぶりな唇が、明確に上向く。
そして、気付いた。
提示された取引は全て、契約主の為のものだと。
「……また、会いに行くよ。君に」
「面倒だ」
そう言い残し、角を曲がってヴィオが消えた。
キサラは月を見上げ、深く息を吐き出した。
(あんな生き物、見た事ないや……)
「こっちだ! 誰か倒れてるぞ!」
すると、反対の路地から声が響いて来た。
長い耳が震えるように動き、軍靴の音、剣が擦れ合う音を聞き分ける。
近くに、少年のような声も混ざっていた。
キサラは激痛を我慢してどうにか起き上がり、治安部隊の到着を待つ。
(翠色の目をした巨大な男……覚えちゃったもんね)
満足気に、キサラは笑みを浮かべた。
▽▼▽
「おい、なんか空気重くないか?」
「あ、分かる。纏わりつくっつーかな」
ギルドへの入り口に続く大階段を登る冒険者が、周囲の違和感を口にした。
その下方、階段の一段目に座る華奢な背中。
漆黒の一房が項垂れるように体に掛かり、両手を組んでじっと待っていた。
(……こんな感じなんだ)
離れてからずっと、ルナはここで座っている。
霊峰で出会ってから数週間、初めて明確に距離が離れた。
その時から胸に押し寄せる感情は、一言で言うなら不機嫌。
ルナ本人でさえ、今の状態に驚くほどだった。
(……都市壊すだけで、足りるかな)
昨日までは夜の灯りがあんなに明るく見えたのに、今は色を失っている。
大広場を行き交う人々の中に、あの巨躯を探す。
ルナは大きく息を吸い込むと、気を落ち着かせる為に瞼を閉じた。
そのまま、吐いては吸い込むを数度繰り返す。
「……あっ」
その時だった。
月明かりに照らされた銀灰の髪、いつもと変わらぬ翠色の瞳。
気付けば、口角が緩んでいた。
「待たせた」
頭上から落とされたいつもの声音が、沁み渡っていく。
同時に、脂汗を流すヴィオの顔から、赤黒く染まる右腕に視線が移った。
「珍しく、派手にやられましたね」
「お前の、時……ほど、じゃない……」
「……言いますね」
ヴィオが片膝を突いて崩れる瞬間、蒼い風と共にルナがその肩を支えた。
右手を血だらけの腕に添え、治癒魔法をかける。
「今日は治癒室に泊まり込みですね」
「……あぁ」
意識を失ったヴィオの銀灰の髪を、ルナが慈しむように撫でる。
「お帰りなさい、ヴィオさん」
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