26話 灼刃
頭の悲鳴が響き渡った頃。
ヴィオは既にアジトを出て、裏通りを駆けていた。
(あの女……わざとだな。半月刃の違和感も取れた)
あの見事な武器。
十中八九、女の得物で間違いない。
パイプを近付けられた瞬間からの手捌きは、幾多の死線を潜り抜けてきた者のそれ。
売人達のその後は、見なくとも容易に想像が付いた。
(……兎の身体能力を持つ、か。面倒だ)
ヴィオは小さく溜息を吐くと、その足を止めた。
少年に返さなかった短剣を腰の後ろで握り、前方を見据える。
壁に据え付けられた、まばらな角灯の先。
視界を狂わせる暗がりから、静かな足音が響いて来る。
「へぇ……この距離で気付いちゃうんだ。ていうか、やっぱり見えてるんだ」
角灯の燐光の下、白銀の髪が揺らめく。
背後を染める闇の中で、強烈に光を灯す黄金色の双眸。
見透かすように瞼を細め、口元が微かに緩んだ。
一定の距離で止まり、半月刃を構える。
(七……いや、八歩か。間合いが長い)
女の歩幅を計算しながら、ヴィオは周囲に視線を走らせる。
高い壁、一本道、広くない道幅。
跳ねられる足場が左右にあっては、機動力は雲泥の差だ。
「寡黙だね。強いんだねぇ……肥満も門番も、一撃で意識を刈り取られてた」
怜悧な声音に興奮を滲ませ、女が一歩近付く。
「……面倒は避けたいんだがな」
「んー、無理かな。目撃者だし、違法薬物を買おうとしてたし。それに――戦ってみたいし」
瞬間、女の空気が一段冷えた。
緩む口角とは対照的に、瞳が研ぎ澄まされていく。
「奴等はどうした」
「殺したよ。頭も取り巻きも、肥満も門番も全員ね。部族の子供達に変な薬売り付けてたからさ。あ、取引の邪魔されて怒ってる?」
「別に」
状況によっては、ヴィオも同じ判断を下す。
問題はそこではなく、一人を除いて目撃者がいなくなったということ。
女の脚には敵わない――それは、無傷での逃走を考慮した場合の話。
(残る目撃者は俺だけ……証拠が残る事はない)
女も同じ事を思っているだろう。
だからこそ、臨戦態勢を取っている。
視界の端から昇り来る月が、時間の経過を物語っていた。
これ以上無駄な時間は使えない――ヴィオは判断を下した。
(殺すか)
外套で短剣を掴む手を隠したまま、ヴィオは僅かに腰を落とした。
「いいね。やる気になったね。じゃあ……いくよ」
四足獣のように前傾となった女が、石畳を弾いた瞬間。
間合いが消え去り、ヴィオの眼前に飛来する。
巨刃剣ならば、取れる距離。
だが、今は小ぶりな短剣しかない。
ヴィオは限界まで引き付ける為、薄く深く息を吐き出した。
「――やるねぇ」
その刹那、女の姿が消える。
気配を感じた矢先。
ヴィオは左半身を後方に流し、迫っていた黒銀の刃に短剣の腹を沿わせた。
首を狙った初撃を躱され、女は再び壁を足場に宙を跳ねる。
角灯の上にしなやかに舞い降り、ヴィオを見下ろしながら声を弾ませた。
「短剣の使い方が上手いね。まともに受けてたら、それごと首飛んでたよ」
「だろうな」
巨刃剣と同様に拘って造られた業物。
対して短剣は、そこら辺に転がるような粗末な物。
性能は段違い。
だが、やりようはある。
受け止められないなら、受け流せばいい。
(後は……機を待てばいい)
視線が交差した刹那――女が跳ねる。
角灯を足場に弾丸のように肉迫し、半月の刃が眼前に躍り出た。
ヴィオは顔をずらして躱し、上段から頭を狙う二本目の刃の腹を拳で弾く。
衝撃で態勢を崩した女の腹へ、逆の拳をめり込ませた。
「ぐぅ――!」
呼気を漏らし、女の体が飛ばされる。
だが、回転して衝撃を殺すと、壁を蹴って攻めに転じた。
斜め十字に振り抜き、返す刃でヴィオの足を狙う。
バックステップで躱されるが、間髪入れずに次の刃で胴を狙った。
これも振り下ろした拳に遮られ、再び態勢を崩す。
今度は顔面に拳が迫ってくるが、女は空中で身を捻って躱した。
直後、地面に両手を付き、回転蹴りを放つ。
「っ……」
ヴィオの頬に強烈な鈍痛が走り、視界が一瞬揺らいだ。
その隙に、二本の刃が右腕を裂いていく。
鮮血が舞い踊る中。
女はしゃがみ込んで体を回し、今度こそ胴元へ刃を振り抜いた。
が、得物を握る手を弾かれると同時に、背中を蹴られて再び壁の方へ飛んでいく。
「つぅ……いちいちさ、重たいんだよね」
衝突のすんでで身を翻し、女は距離を取った。
口から滲む血を拭い、端正な顔に苛立ちと興奮を浮かべる。
「お互い様だ。お前の袖、武器……やり辛い」
ヴィオは外套を千切り、右の上腕を固く絞める。
指を開け閉めしながら、短剣を握り直した。
女の肘から下を覆う、膨らんだ作りの袖。
これがいちいち半月刃の軌道をくらませる。
得物自体も重さではなく、鋭さに特化している。
女の身体能力と合わせて突き出す刃は、空気でさえ断ち切れそうだ。
「それにさぁ、なんか慣れてるよね? 兎人族と戦った事ある?」
「ない。お前のような戦い方をする女がいた」
「へぇ……その子と私、どっちが強い?」
「知らん。興味ない」
互いに攻めあぐねる中での、僅かな情報収集。
それは、息を整える間の野次のようなもの。
標準装備ではないヴィオと、得意な得物を持つ戦慣れした女。
ここまで渡り合ってこれたのは、ヴィオの段違いの戦闘経験値と肉体のお陰。
だが、それを一笑に付す可能性が、この大陸には存在する。
「そっか。じゃあ……終わりにしようかな」
そう言うと、女は壁を蹴って跳ね回り始めた。
速度はみるみる上がり、もはや点でしか追えない。
その最中、怜悧な声音が詠唱を紡いだ。
「燃えろ豪火 紅く紅く 焦がせ炎熱 赫く赫く」
一節毎に大気が震え、唸る熱波が喉を焦がす。
「焔纏いて 万象を溶れ――《属性付与・灼刃》」
膨大な魔素が、半月刃に収束されていく。
月明かりの中、煌々と燃え滾る二本の刀身。
赫く輝く残像が、ヴィオの視界を埋め尽くす。
「もう、その玩具では受けれないよ。灼刃は、全てを溶るからね」
「……だろうな」
炎を吹き出すのではなく、それ自体が灼熱と化している。
飛び跳ねる度に大気を焼き切る音が耳を付き、焦げた匂いが漂ってくる。
ヴィオは短剣を逆手に持ち替え、女目掛けて投げ付けた。
「あはははっ! 利き腕は使い物にならないみたいだねぇ!」
威力も速度もまるでない。
女は躱わす事すらせず、赫い刀身を前に出した。
何も遮るものが存在しないかのように、短剣は二つに溶けて流れていく。
その刹那、女が踏み込みながら二振りの柄を合わせた。
一本の円月刃となった煌めく剣閃が、回転しながらヴィオの心臓を狙う。
「――なっ!?」
瞬間、女の視界が闇に覆われた。
外套に阻まれたと理解する迄の、瞬きのような隙。
その間に、何かが迫る音が響く。
女は即座に円月刃を振り抜き、外套を焼き切った。
視界を確保し、ヴィオを見据えながら距離を取る。
「残念、まともな武器があれば――なに、これ!」
いや、取ろうとした。
後方に下がる筈の体が、異常な力で引っ張られ前のめりになる。
ヴィオの左手と、円月刃の持ち手を繋ぐもの――査察船から持ってきた鎖が、両者を縛っていた。
「持ち手は灼刃に出来ないだろ?」
「くっ……!」
本当に、尋常ではない力だ。
気を抜けば、直ぐに体を持っていかれる。
だが、円月刃を離したらそれこそ終わりだ。
女の額に冷や汗が流れ、鼓動が徐々に速くなっていく。
(どうする! このままじゃ……ていうかなんで利き腕じゃないのにこんな力が……あれ……?)
瞬間、女に悪寒が走った。
木の棒も、短剣も右手で持っていた。
構えの足も、体幹の捌き方も、全て右利きの者の所作だった。
でも、もしそれが――偽装だったら。
女の思考が停止する直前、淡々とした声音が響いて来る。
「一つ、教えておこう」
異常な力を、もう受け止めきれない。
引かれた鎖に、円月刃が巻き取られていく。
女は踵を返し、石畳を蹴った。
「戦場では全てを疑え」
後方で石が粉砕する音と共に、あの声音が耳元で響いた。
「――ぐぁっ!」
同時に、横腹に激痛が走った。
堪らず血溜まりを吐きながら、壁に激突。
ぼやける視界の中。
追撃の拳が鳩尾にめり込み、女は意識を失った。
お読み頂きありがとうございます。
ブックマーク登録や、評価して下さると大変執筆の励みになります。
宜しければ、応援のほどお願い致します。




