25話 半月刃
ひたひたと。
裸足を引き摺るように、クチナシは冷えた石畳を歩く。
一定の距離で後ろに付きながら、ヴィオはその風貌を観察していた。
(口無し、か)
一体、何人目なのか。
薬に溺れ、甘えに逃げた先に用意される使い潰しの終着点。
(道が違えば、ああなっていたかもな)
あの少年にとっても、過去の自分にとっても。
白髪頭にたまたま拾われ、気分で鍛え上げられた。
それから黒禍に属し、数多の命を奪ってきた。
後悔はないが、与えた影響は計り知れない。
(……皮肉なもんだ)
その時、クチナシの足が止まった。
ヴィオが僅かに視線を上げると、重厚な鉄製の扉が鎮座している。
人差し指を再び曲げたクチナシに続き、扉の前までやってきた。
青白い指が叩き金を数回揺らすと、扉に付けられた小窓が開いた。
「見せろ」
男の低い声が吐き出され、クチナシはフードを取り払う。
剃り上げられた頭頂部には、焼き印が押されていた。
淡く発光しているのを見届け、男はヴィオに視線を移す。
「……ぁ」
クチナシの言を待ってから、袋を広げて金貨を見せると、男は静かに頷いた。
「入れ」
錠が外され、錆びた甲高い音が響く。
鉄の扉が開き、男は一歩下がってヴィオに道を開けた。
クチナシは赤色の粉を貰い、暗がりに消えていく。
「ちっ、見えねぇのか。奥の階段を下りて、部屋の前の奴に金を渡せ」
「承知した」
ヴィオは頷き、一本道の廊下を棒でつつく。
背後で鍵が閉まる音が響く中、視線を周囲に送った。
床、壁、天井と瞳が動き、最後には小さく溜息を吐いた。
(窓も扉もない、わざわざ地下をねぐらにする。不測の事態を何も想定していない)
常に最悪を考えるならば、逃げ道の確保は常識。
魔法文明であるならば、尚更の事。
(金を見せただけで通し、木の棒を持っているだけで身体検査もしない)
策略や罠でもない限り、小物である事は先ず間違いないだろう。
この杜撰な体制で、五等級の巨漢が使用していた類の丸薬を扱っているとは思えない。
階段を下りながら、ヴィオは取引の中身を数段下げた。
(得られるだけの情報を取ったら、ここに用はないな)
踊り場に着くと、肉塊が息をしているような肥満体の男が寄ってきた。
肉厚な手が無言で出されるが、ヴィオは動かない。
「……金!」
置かれた袋の中身を確認すると、最奥の扉が開かれた。
甘ったるい匂いが、鼻をつく。
「頭ぁ、客が来たぜぇ」
喉が詰まったような声を出し、部屋の中央にいる男に袋を投げた。
片手で受け取ると、男は中身をテーブルの上に広げる。
豪勢な造りのソファーで足を組みながら、上機嫌に顔を歪めた。
「ご苦労。お前は下がれ」
肥満体の男が部屋を出ると、ヴィオに座れと手で示す。
「あぁ……座れ。数歩歩けば、ソファーがある」
木の棒を先に歩かせながら、ヴィオは対面のソファーに腰を下ろした。
(取り巻き四人。長剣、湾刀、素手二人)
さして広くもない部屋。
ソファーに座る頭の後ろに二人、部屋の隅に一人、奥の机の前に一人。
ガタイはいいが、鍛えているとは言い難い街のチンピラ。
そう形容するのが妥当だが、気になる点が一つだけあった。
(頭と呼ばれた男……かなり上等な得物だ)
体躯、仕草、表情。
そのどれもが、腰に差している武器の質と見合わない。
持ち手の片側から大きく湾曲した、艶やかな光沢を纏う黒銀の刃――二振りの半月刃。
意匠が彫り込まれた刀身は、見事に研がれていた。
「あんた、目ぇ見えねぇんだな」
木の棒に手を預けるヴィオを見て、頭は薄ら笑いを浮かべる。
「殆どな」
「そりゃ難儀だ。この金は……身体でも売ったかぁ? ははははっ! 物好きはいくらでもいるからなぁ」
「違ぇねぇ!」
下卑た笑い声が部屋に充満する。
「そんなところだ」
「はははっ、まぁ色々あるわな。で、何が欲しい? 粉か液か、睡眠・精力・痛覚麻痺、ウチのはそこらの薬師の工房じゃ買えねぇ質だ」
(成る程。それらは基本合法という事か)
効果のほどか、製造過程なのか。
どこから違法扱いになるかは、まだ不明。
だが、頭が言い並べた種類の薬は、何処にでもある系統。
一旦は、普通のものであると分かった。
すると、頭が片眉を上げながら、ゆっくり頷いた。
「悪ぃ、俺が測り違えた……あんたもイケる口だな?」
「……それなりに」
思考の整理の沈黙を、別商品への不満として頭は解釈したらしい。
薄ら笑いを浮かべるその態度は、ヴィオにとって好都合だった。
ここからは、ハッタリの時間だ。
「例えば、丸薬の類は扱っているか」
「……丸薬ねぇ。残念だが、ウチじゃまだ仕入れてねぇな」
頭の声に不機嫌さが滲んだ所で、ヴィオは次の一手に移る。
「気を悪くしたなら、謝ろう。俺は数日前にここに来たばかりだ。規則も、縄張りも理解していない。ただ……腕利きの問屋があると聞いてな」
「ほぅ……誰に聞いた?」
頭の声が、微かに上擦った。
「スリに合いそうになってな。声から察するに、十五、六のガキだ。金を渡して、クチナシの事を聞いた」
「あぁ……小僧か。そいつは十七、ウチの常連だ。はははっ、良い仕事してくれたぜ。あんたみたいな上客を寄越してくれるなんてよ」
テーブルに広げられた金貨を見て、頭が口角を吊り上げる。
「薬と共に、情報も買いたい。この都市の顔役や、今みたいに通すべき筋を教えてくれ。その金で買える分だけでいい。面倒も、お縄も御免だからな」
「そうだな、筋は大事だ。あんた、世の中の渡り方っつーのを知ってるなぁ」
ヴィオは自分の目元を指差し、軽く頷いて見せる。
案の定、頭はテーブルを挟んでこちらへ顔を近付けて来た。
あんたは格上だと上客に暗に言われれば、機嫌を良くしない訳がない。
ヴィオへの警戒心は、ほぼなくなったと見ていいだろう。
「あんた、普段は東にいるのか?」
「……東? 大体、ギルドの近辺だ」
わざとらしく首を傾げて見せると、頭は片手を振りながら頷いた。
「そうか、来たばっかで目も見えねぇんだったな。なら、西の事は知っておけ。リザディアは東西で地区が分かれててな。俺らの仕事場は西、歓楽街だ」
「成る程」
「歓楽街は西側の東から南西まで、六区画ある。そこで覇権争いしてんのが、ノスコラーダファミリーと娼館の元締めだ。南西より下に"兎人族"の集落がある。この三つが、西の顔役みてぇなもんだな」
(マフィア、元締め、部族か。ありがちな権力争いだな)
ヴィオが静かに頷くと、頭も満足気に頷いた。
取り巻きの一人に指示を出し、洒落た造りの小箱を持って来させる。
テーブルの上に置き、ヴィオに問い掛けた。
「で、本題だが……どんな薬が欲しい?」
「そうだな……上等なものを」
「だと思ったぜ。あんたとは長い付き合いになりそうだから、初回はマケとくぜ。これはモノが違う……おいっ!」
今度は二人に指示を出し、部屋の隅へ行かせる。
頑丈な檻籠を頭が座るソファーの横に下ろし、掛けられていた布を取り払った。
「ラリってた所を運良く拾ったんだ。見えねぇのが惜しいが、相当な上玉だぜ」
檻籠の中には、目隠しをされた女が入っていた。
白銀の長髪、褐色の肌。
黒を基調に金の刺繍が施された、布を幾重にも被せたような服装。
踊り子と流しを合わせたような、独特な出立ち。
頭上には、長く大きな両耳が生えていた。
「……何が入っている」
「さっき言った兎人族だ。特殊な種族でな……とんでもなく強ぇが、呆れるほどに美しい」
小箱から取り出されたパイプは、半透明の紅い粉で満たされていた。
頭は一度自分で大きく吸い込み、芳醇な甘みを振り撒く煙を吐く。
「……っはぁ〜、堪んねぇわ。あんたに先ず、効果を見せて――聞かせてやるよ。最高にぶっ飛ぶぜ」
頭は惚けた笑みを浮かべ、檻籠の前にしゃがみ込んだ。
力なく格子に寄り掛かる兎人族の女の首を掴み、眼前に近付ける。
薄く吐息を漏らす端正な顔を覗き込み、頭の顔が醜悪に歪んだ。
再び吸い込んだパイプの吸気口を、女の口へ近付ける。
「――ぎゃあぁぁぁぁぁ!」
瞬間、耳を劈く悲鳴が響き渡った。
苦痛に悶える頭の両腕が床に転がる。
「……当たり」
斬り裂かれた檻籠の上にしゃがみ込む、白銀の兎人族。
怜悧な声音を落とし、取られた目隠しの奥から黄金色の双眸が光る。
その手には、あの半月刃が握られていた。
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