第二十節 未来の約束 ③
「私が選んだ道を否定されたことへの怒り。そして、我が家臣、我が民──さらにはテオを傷つけ、両親を殺したアレが憎い……。その気持ちが、私のなかにある」
憎い。ユリアは、その言葉をはっきりと口にした。
〈予言の子〉、〈神の化身〉、英雄など、神聖で尊ばれる存在であれと育てられ、そうあれと望まれていた。そういう感情とは無縁であらねばならない。そう思っていた。誰もが〈予言の子〉に対して嬉しそうな顔を向け、期待したから。
無縁であろうと必死に隠していた結果、自分自身がわからなくなっていった。でも、今ならわかる。私は今も昔も『普通の人間』だ。
私は、ずっと怒っていた。自身の過去の環境や、その他いろいろな物事に対して。そして、ずっと〈黒きもの〉を憎んでいた。しかし、周囲から向けられていた期待の目を恐れて、自身の中にあった負の感情を見て見ぬふりをしていた。『期待されている英雄になるのなら、心は綺麗であらねばならない。高潔であらねばならない』という思いも無意識にあったから。でも、そうでなくてもいい。私は『私』だ。
やがて、ユリアの目にあるものが宿る。ユリアがずっと感情を殺し続けていたがゆえに『見失っていたもの』だ。
「……私しかできないというのなら、私は憎しみをもって〈黒きもの〉を倒す。一人の人間として、あいつらが切り捨てようとした負の感情をぶつけて倒してやるわ」
『獣』の目。死の恐怖や忌避感が、憎しみに覆われた。憎しみ、苛立ち、負けたくないという意地。それらが彼女の心を覆いつくし、ユリアを突き動かした。しかし、『獣』はすぐに姿を隠す──ユリアは、セウェルスをまっすぐ見つめる。
「私は、負の感情は存在していいと思う。ただ、その感情に飲み込まれれば、自分や誰かの人生や世の中が乱れることは確かだわ。だから、私は奴らに見せつけてやりたい。少なくとも私は、お前たちが忌み嫌ったものとともに平和の中で生きていけるのだと。あいつらの好みで作られた箱庭で生きる趣味はない。人間を舐めるな──とね。……だから、セウェルス。私は星の内界へ行くわ」
憎しみがあるのは〈黒きもの〉だけではない。過去の生きづらい人生の中で、少しずつ積もっていった負の感情。それは『憎しみ』に少し近いものだ。その燻ぶった感情も、〈黒きもの〉への感情に影響されている。そんな禍々しい感情があることを自覚しながらも冷静に抱えることができているのは、ユリアが小さいころから感情を殺すことに長けているからだろう。
「……わかった」
セウェルスは、まるで自分のせいでユリアにそう言わせてしまったと思っているような顔をしている。やがて、いたたまれなさそうに目をそらした。
「……ねえ、セウェルス。もしかして、自分のせいでユリア・ジークリンデはこんな選択を選ばざるを得なくなったとか、そういう感じのことを思っているの? 違うわよ。だから、そんな顔しないで」
「そう言われてもな……」
「……だったら──あなたが『アイオーン』になるというのは、具体的にどうするつもりなのか教えてくれる?」
もしかしたら、ユリアが『死ぬのはもう嫌だ』という意思のままであった場合、セウェルスはそれを受け入れて別の方法を探そうとしていたかもしれない。そのような気配が今のセウェルスにはある。
なので、ユリアは話題を変えた。この話題は、彼女が気になっていたことでもあるからだ。
「……〈黄金の杯〉の欠片のいくつかは、聖杯を作るために置いておく。残りの欠片は、すべて俺が取り込む。そして、俺ひとりで星の内界へ向かい、できるかぎり〈黒きもの〉の力を削いだ後に封印する。……だが、〈黒きもの〉は、大気中の魔力に異常を起こせるほどの力をすでに手に入れている。〈裁定者〉の役割を持っている俺であっても相打ちになるだろうな……」
「相打ち……」
ユリアの顔がかすかに曇る。
「相打ちになったからこそ、未来の俺は記憶を失ったのではないかと思う。〈黒きもの〉への対処と、再び地上に戻るための肉体の再構築を同時にしていたが、そこで何かがあって記憶を失い、元通りの姿にはなれなかったんだろうな──。だからアイオーンは、髪質、目の色、種族が違ったんだろう。『今の俺』と『未来の俺』に差異が発生するとすれば、時機はそこしかない」
「それでも、私の名前を覚えてくれていたのは──?」
「魂に記憶を刻み込んでいたのなら、可能性がある」
「魂に……?」
「今よりもさらに古い時代に使われていた契約魔術だ。魂に刻むという魔術的行為は、強い力を発揮する。かつては罪人に対する刑罰の強制にも使われていた。約束を破った場合は死ねという契約をさせていれば、手を下さずとも死なせることもできる。どれだけ記憶を失っていても、刻まれた約束は心のどこかで覚えているだろう。──そのような魔術だからこそ、俺の魂にその魔術を刻め」
「やり方は?」
ユリアが問うと、セウェルスは彼女の額に指先をくっつけた。その後、ある知識がユリアの脳内に流れてくる。
「……これは……呪文……?」
「契約魔術は言葉で術式を刻んだほうがいい。言霊というやつだ。──やるぞ」
ユリアはセウェルスの胸に片手を。もう片方の手は、自分の胸に当てた。ユリアの口が開き、呪文が唱えられる。
理はここに定まれり。
刻む誓約は永久の鎖。
星が巡りを違えても、誓いの鎖は不滅なり。
我が声を忘れるな。己が意思を揺るがすな。
「汝を縛る鎖は、導なり。──命ず。シルウェステル・ヴィーラント、ならびにカタリナ・ゲルトルーデ。その|夫婦〈めおと〉が統べるヴァルブルク王国に生を受けし第一王女に、ユリア・ジークリンデの名を与えよ。」
この時をもって、魂の契約は果たされた。
「……お前、少し改変したな……?」
すると、セウェルスは少しだけジト目でユリアを見る。
「教えてくれたものは『守れなければ死ね』というものだったもの。あなたが死ぬ必要はないわ。だから改変したの。改変しても、ちゃんとできているはずよ。変えたのは一部の詠唱だけで、契約魔術の方法自体は変えていないもの。だから大丈夫よ。アイオーンとなったあなたは、きっと約束を守ってくれると信じているから。必要なのは、何があっても私の名前を忘れないようにするだけよ」
と、ユリアは微笑む。
「……お前は、俺を信じてくれるんだな」
セウェルスは責めることも馬鹿にすることもなく、ただ少し信じられないように呟いた。
「私は、あなたとは長い付き合いだからよ。まさか、こんな遥か昔から付き合いがあるとは思わなかったけれどね」
「……すまない……。それから……今まで悪かった」
突然のセウェルスからの謝罪に、ユリアは目をぱちくりとさせる。
「どうして謝るの?」
「俺は、お前達のことを何も信じようとはしなかった」
「私は、セウェルスの態度は当然のことだったと思うわ。こんなことを信じろと言われても簡単には信じられないことだし、誰も想像しなかったことだもの。私のほうだって、記憶を見せたら未来が変わってしまうと思ってビクビクしていたし……。でも──それでも、今のあなたは全部信じてくれたじゃない。アイオーンという星霊が未来の自分だということだって、私たちが説得したわけでもなく、自分で納得して選んでくれたでしょう?」
「いろいろと繋がっていることが多すぎたからな……」
セウェルスは天を見上げた。それから、「俺が簡単には信じない性格だから、ヒノワに行くあいつらが、俺のためにいろいろと納得する証拠を残してくれていたのかもしれないな」とこぼす。
「──ねえ。また人間としての人生を取り戻せたら、あなたは『セウェルス』か『アイオーン』、どちらの名前で呼ばれたい?」
ふとユリアがその質問を投げると、セウェルスは斜め上に目線をあげる。
「……『アイオーン』と呼ばれていた時間のほうが長いからな……。アイオーンと呼ばれたほうが落ち着くかもしれない」
「現代では『セウェルス』のほうがまだ一般的な名前だけど、それでいいの? 本当は別の名前がいいという気持ちはない?」




