第二十節 未来の約束 ④
「どちらでもいい。俺の名付け親はお前だ。お前が決めていい」
「ちょっと。面倒くさがらないでちょうだい。意外と困るのよ。『今晩の献立は何がいい?』と聞いたら『なんでもいい』と言われたみたいに」
「なんだその例えは」
「……変な名前をつけてもいいのね?」
「時と場合で使い分けてくれ。アイオーンとセウェルスを」
セウェルスがそう願い出ると、
「あ。さすがに変な名前になるのは耐えられなかったのね」
ユリアは温かい目で言った。セウェルスはからかわれたことに対して悔しそうに顔を歪ませる。そんな兄の顔を見たルキウスは小さく笑った。
「……あとは……みんなが私たちの選択を受け入れてくれるか、ね」
ユリアがセウェルスの反応を面白がった後、残りの問題を口にする。
「ふたりはここにいて。私だけでみんなに話してくるわ」
「いえ。おれも行きます。だって、姉さんだけの決定じゃないですから」
「ああ。それに、お前だけが行くわけでもない。俺達も一緒に説明すべきことだ」
「……ありがとう」
「納得、してくれると思いますか?」
ルキウスが問う。
「……難しい、とは思う……」
きっと、誰もが反対する。特にテオドルス。彼はその決心を許してくれないだろう。
「それでも、私は……やっと……」
ユリアには、長年、心の底に淀んでいた想いがあった。今までそれを見せる機会がなかったが、まさかこんなときにやってくるとは。
「正直に言うとね……やっと『〈神の化身〉としての使命を果たすことができる』とも思っているのよ。アイオーンから『もう気にするな』と言われても、ずっと忘れられなかった……。あの立場にいた時に、果たせなかった使命が……」
ユリアをその道に突き動かしていたのは、怒りと大切な人たちを守るだけではなかった。かつて自分がやろうとしていたことを、本物の自分の手で果たせるかもしれない。あの時はアイオーンが代わりにやってくれたが──そのチャンスが訪れたからでもあった。
「だから私は、この道を選ぶ」
◇◇◇
〈黒きもの〉をすべて吸収したうえで、星の内界で共に消える。アイオーンとルキウスも一緒に。
その後、アイオーンとルキウスがユリアの魂を護りながら星を正常に戻し、彼女や自分たちの肉体を再構築して地上へと戻ってくる。
ユリアたちは、自分たちが決めたことを劇場にいる者たちへと伝えた。
「……認められない──オレは認めない」
それを伝えた瞬間、空気が急変した。
結果を言えば、誰も了承してくれなかった。だが、反対の言葉を言ったのはテオドルスだけだった。
ユリアにもう一度死ねというのか。どうしてそんな選択しかないのか。なぜユリアは自己犠牲ばかり選ぶのか。生きろと言っただろう──テオドルスは静かな怒りを込めながら言った。長年愛し続けている想い人がそうすることを決めたとしても、彼女を犠牲にするなど彼には認められない。
彼に反対されることはユリアも判っていた。それでも、こうしなければ未来はない。残された時間も、あまりない。
「この方法は自己犠牲ではないわ。また戻ってこられるのよ。セウェルスもルキウスも一緒に──」
「聞きたくない」
テオドルスの声には感情がない。表情もだ。先ほどまで明るさのあった声や目が、どこにもない。
「テオ……」
彼はそのまま踵を返し、劇場から出ていってしまった。断固として拒絶の意思を見せたテオドルスの背を見送ったあと、ほかの仲間たちは口を閉ざす。
「……テオやみんなが認めなくても、私はこの道を進むわ。──わかるでしょう? これしか方法はない。ほかの手段を探している時間なんてないのよ」
ユリアは言うが、仲間たちは黙り込む。しかし、本当は誰もが判っていることだろう。テオドルスもそのはずだ。ただ、感情が理解を拒絶する。帰ってくるとはいえ、命を消さなければならないことを『頼む』とも言えない。
「私たちのことを、信じてほしい」
長い沈黙が訪れた。
誰もその静けさを破ってくれない。ユリアは、懇願するようにラウレンティウスを見つめた。彼は苦しそうに目をそらす。やがて目を瞑り、ゆっくりと開く。
「……約束……破るなよ」
「ラルス兄……」
イヴェットが驚いたように零す。
そう言ってくれた彼に、ユリアは優しく紡ぐ。
「ええ。必ずまた戻ってくるわ。アイオーンもルキウスも」
「戻って来なかったら、俺は許さない。……恨むぞ」
「ラルスにそんな感情は抱かせないわ。ただ……少し時間がかかるかもしれない。それでも許してくれるのなら、待っていてほしい」
ユリアは三人──クレイグ、アシュリー、イヴェット──を見る。三人は黙り込んだままユリアを見ている。その目に悲観はないが、一言では言えない複雑な感情が見える。交響劇団の団員たちも同じだ。ユリアはその沈黙を『了承』と受け取った。
「……みんなは休んでいて。テオのことは大丈夫よ。私が説得するから。けれど、その代わり……しばらくはテオとふたりきりでいさせて」
そう言って、ユリアも劇場を出ていった。
◇◇◇
異空間の空の様子は、外界の空と連動している。今の時刻はおおよそ夜のはじめ頃だろう。
今日だけで状況が目まぐるしく変わった。
昼前に神殿に入り、〈黄金の杯〉を手にしたその後にチェフェロとの交戦。
チェフェロが〈黄金の杯〉に砕けるよう願って欠片にし、呪いとその欠片の影響から〈黒きもの〉へと変貌。
各地に散らばった〈黄金の杯〉の欠片は〈きょうだい〉間での争奪戦を発生させ、〈黒きもの〉が引き起こしたであろう戦いも始まった。そして、〈きょうだい〉の血筋は遥か未来で生まれた四人にも受け継がれ、セウェルスはアイオーン、ルキウスはリュシエンヌだった。
(今まで辿ってきた人生や出来事は、すべてこの時代から始まった。彼がどれだけ反対しても、私が〈黒きもの〉を討たないといけない。〈黒きもの〉によって死んでしまった者たちのためにも、私がすべてを終わらせる──)
終わらせたい。もう〈黒きもの〉から解放されたい。それもユリアの正直な気持ちだった。
(テオ……どこに行ってしまったのかしら……)
テオドルスの姿がどこにもない。エアルツから『テオドルスが出ていった』という報告はない。なので、この異空間内にいるはずだ。
ユリアは交響劇団の拠点内を巡っていく。中庭、いくつもの回廊、食堂、応接室、客室──ここにもいない。ならば、訓練所か。
(──いた)
訓練所を照らす光があたらないところに人がいる。青い髪で、長く伸ばした襟足の髪を三つ編みにした人物は、膝を抱えるようにしながら俯いている。
「……テオ」
静かに声をかける。すると、青い髪の人物はゆっくりと立ち上がった。
「……世界は……またユリアに『苦しめ』と言いたいらしいな」
テオドルスの声は静かだが、怒りがこもっている。
やがて彼が振り返り、ゆらりと彼女に近づいてくる。微笑みを浮かべているが、まとっている雰囲気は不気味だ。
手を軽く伸ばせば届く範囲まで近づくと、テオドルスはユリアの両肩に手を置き──逃げられないようしっかりと掴み──、微笑んだ顔で彼女を見る。
「世界が君を殺すなら、俺はその世界を殺そう」
「テオ──」
「なに、簡単なことだ。ユリアはなにも気にすることはない。……だから、オレに任せてくれないか? また『死を選ぶ』なんてもうたくさんだろう?」
優しい声となったが、彼の目には光がない。瞳の奥に『獣』がいる。発言から推測すると、おそらくセウェルスたちと戦うのも辞さないということだろう。
「……」
もしもユリアが『助けて』や『死にたくない』という言葉をこぼせば、彼はそれを受け入れ、彼女を守るために暴れだすだろう。そんな状況のテオドルスに言葉が届くのか。そう思ってしまうほどに空気は張り詰めている。
ユリアはゆっくりと深く息を吐き、冷静な目で彼に近づいた。
そして──。
ぺちん。
「……ははっ。どうしたんだ? やけに可愛らしい平手打ちだな?」
テオドルスの頬に平手打ちをした。音は鳴ったが、痛みはほとんどない強さで。
「だが、その行動をとったということは、異論があるのか?」
テオドルスからの問いの後、ユリアはかすかに目を釣り上げる。




