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いい子でいるのはやめました ~虐げられた天才令嬢は、家族全員に容赦のない報復を始める~  作者: みやこ


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第二章 最後の一線を越えた人たち



「エマが、盗みを働いた?」


リゼロッテは義母を見つめた。


ベアトリスは豪華な長椅子に腰掛け、爪を磨いていた。


「ええ。厨房からパンを盗んだそうよ」


「パンを?」


「そう。卑しい娘ねえ」


リゼロッテは三秒ほど考えた。


(パン一個で鞭打ち。うん、この家の司法制度は終わっている)


「エマはどこに?」


「使用人用の物置に閉じ込めてあるわ。三日間、食事は抜きよ」


「なるほど」


「あなたも反省なさい。あの娘はあなたに甘やかされたせいで――」


「お義母様」


リゼロッテは遮った。


ベアトリスが眉をひそめる。


「何?」


「エマが盗んだというパンは、私が食べました」


「まあ!」


「私が頼んだのです。罰するなら私にしてください」


ベアトリスの目が細くなった。


「そう。では、ちょうどよかったわ」


「何がでしょう?」


「あなたにも罰を与える理由ができたもの」


(うわあ。すごい。話が通じない)


ベアトリスは楽しそうに微笑んだ。


「あなたの部屋にある、お母様の形見の魔導書。あれを全部、ミレイユに譲りなさい」


リゼロッテの表情がわずかに変わった。


「……母の魔導書を?」


「ええ。どうせあなたには使いこなせないでしょう?」


「ですが、あれは母の遺品です」


「お黙りなさい!」


扇子がテーブルを叩いた。


「誰のおかげで生活できていると思っているの? 魔力もない役立たずを、侯爵家で養ってあげているのよ!」


(この屋敷の暖房も照明も給水設備も、私が直しているんですけどね)


リゼロッテはため息を飲み込んだ。


「……承知しました」


「そう。それでいいのよ」


ベアトリスは満足そうに笑った。


「それから、エマには明日、この屋敷を出ていってもらいます」


「え?」


「当然でしょう。泥棒なんですもの。推薦状も出しません。王都で働けなくなるでしょうけれど、自業自得ね」


リゼロッテは黙った。


エマは十八歳。


病気の母親と、幼い弟を養っている。


推薦状もなく放り出されれば、まともな仕事には就けない。


そしてベアトリスは、そのことを知っていた。


知ったうえで言っているのだ。


「お義母様」


「まだ何か?」


「エマの処分は、明日までお待ちいただけませんか」


「なぜ?」


「少し、考えたいことがありまして」


「まあ、珍しい。あなたに考える頭があったのね」


ベアトリスは笑った。


リゼロッテも微笑んだ。


「ええ。私も驚いております」


(こんな面倒なことを、本気で考える日が来るとは)


そのとき、応接室の扉が開いた。


「おい、リゼ!」


弟のダリオが入ってきた。


十八歳。父譲りの金髪で、横柄な態度を隠そうともしない青年だった。


「ちょうどいい。俺の魔剣に新しい術式を刻め!」


「昨日も刻みましたが」


「もっと強いやつだ!」


「昨日のものでも、騎士団の制式魔剣の五倍の威力があります」


「十倍にしろ!」


(馬鹿に刃物。しかも十倍)


「それほどの威力では、使用者にも危険が――」


「うるさい!」


ダリオはリゼロッテの肩を突き飛ばした。


「お前は黙って言われたとおりにすればいいんだ!」


よろめいたリゼロッテの腕を、義母が冷たく見下ろす。


「ダリオ、乱暴はいけませんよ」


「だって母上、こいつが!」


「お姉様なんて、どうせ何もできないんですもの!」


そこへミレイユまで現れた。


「そういえば、お姉様! 明日の王立魔導博覧会で披露する新型星灯炉、完成しましたわよ!」


「……ああ、あれですか」


星灯炉。


空気中の魔素を熱と光に変換する魔導器で、リゼロッテが開発した技術だった。


寒い地域の暖房や、病院の照明に利用されている。


特に最新型は燃料代がかからず、貧しい人々の生活を大きく改善できる。


本来なら、素晴らしい発明だった。


「お姉様が描いた設計図、出力が低すぎたから改良しておきましたの!」


「……どのくらい?」


「三倍ですわ!」


「は?」


「三倍よ! すごいでしょう!」


リゼロッテは妹を見つめた。


「安全弁は?」


「外しましたわ!」


「冷却用の副回路は?」


「邪魔だから削りました!」


「……爆発しますよ」


「何ですって?」


「その設計では、一定時間以上稼働させると炉心が破裂します」


ミレイユの顔が真っ赤になった。


「お姉様! わたくしの発明に口出ししないで!」


(私の発明だが?)


「ですが、人が怪我をします」


「嫉妬しているのね!」


(会話が成立しない。誰か通訳を呼んで)


ミレイユは父のもとへ駆けていった。


数分後。


リゼロッテは書斎に呼び出された。


「リゼロッテ!」


父ロルフ・グランフェルト侯爵が怒鳴った。


「ミレイユの発明を侮辱したそうだな!」


「安全性について申し上げただけです」


「お前のような無能が、天才であるミレイユに意見するな!」


「しかし、あの炉心は――」


「黙れ!」


父の平手が飛んだ。


頬が熱くなる。


リゼロッテは無言で顔を戻した。


「明日の博覧会は、我が家にとって重要な機会だ。王家との大型契約が決まれば、侯爵家はさらに栄える!」


「……はい」


「お前は余計なことを言うな。ミレイユの邪魔をしたら、あの侍女を牢に入れるぞ」


「…………」


「それから、もう一つ話がある」


父は書類を放り出した。


「お前の縁談が決まった」


リゼロッテは紙面を見た。


相手はボルツ伯爵。


五十六歳。


妻を三人亡くし、現在は独身。


屋敷に雇った女性使用人が次々に辞めることで有名な男だった。


(おお。なかなかの人間の廃棄物)


「……ずいぶん年上ですね」


「光栄に思え。魔力のないお前を嫁に迎えてくださるんだ」


「伯爵が我が家に貸し付けているお金と、関係がありますか?」


父の眉が動いた。


「何?」


「侯爵家には、金貨八万枚の借金がありますよね」


「なぜ知っている!」


(帳簿をつけているの、私なんですけど)


リゼロッテは肩をすくめた。


父は顔を歪めた。


「余計な詮索をするな! 明後日、婚姻契約書に署名しろ!」


「私が断ったら?」


「エマとその家族を王都から追放する。お前の母親の墓も取り壊してやる!」


リゼロッテの瞳から、すっと感情が消えた。


父は気づかない。


「いいな! お前は我が家のために尽くす義務がある!」


しばらく沈黙が流れた。


やがてリゼロッテは、静かに頭を下げた。


「承知しました、お父様」


「ふん。最初から素直に従えばいいのだ」


「はい」


リゼロッテは書斎を出た。


扉を閉める。


一歩。


二歩。


三歩。


そして、天井を見上げた。


「…………あー」


長いため息が漏れた。


(いや、本当に面倒くさい)


我慢すれば平穏に暮らせると思っていた。


目立たなければ、いずれ家族も自分を放っておくだろうと思っていた。


けれど。


働けば働くほど、仕事を押しつけられた。


黙っていれば、さらに馬鹿にされた。


ついには、大切な人を傷つけ、母の遺品を奪い、危険な発明を世に出し、借金のかたに自分を売ろうとしている。


(もう十分でしょう)


リゼロッテは、ゆっくり微笑んだ。


「いい子でいるのは、やめよう」


その声は驚くほど明るかった。


「よし」


指を一本立てる。


「まずは、家族を破滅させますか」


まるで、明日の買い物を決めるような口調だった。

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