6 点
上からわずかに光が落ちてくる。
色のついた、割れた光だ。赤と青と黄と、石の壁の上で細かく砕けて、床のうえに散らばる。水面にも落ちてきて、浅い鉢の底を、揺れる模様で塗り替えていく。
その光の粒を、僕は目ではなく、輪郭で感じていた。
光の向こう側には、いつもざわめきがある。
祈りの声。うめき声。足音。布のこすれる音。血の匂いと、薬草の匂いと、人の汗の匂い。
けれど、僕にとっていちばんはっきりしているのは、音でも匂いでもない。
点だ。
世界は、いくつもの点でできている。
強く燃える点。薄く揺れる点。今にも消えそうな、小さな小さな点。
それが、この場所にいる「魂」のかたちだった。
それに気付いたのは最初に水の匂いを感じてしばらくたった後だった。
聖域と呼ばれる場所。湿った石壁。水の入った鉢。そこに詰め込まれ、絡まり合い、互いを噛み合っていた同種たち。
あのとき、僕のまわりは、濃い点で埋め尽くされていた。
飢えと恐怖と、殺し合いの熱。互いを食い合い、奪い合い、強いものだけが太く膨らむ。弱いものは、すぐにかすれて消えていく。
僕は、ただそれが怖かった。
怖いから、考えた。
どうしたら、この渦の外に出られるか。どうしたら、この噛み合いから逃げられるか。
考えているうちに、僕の中の点の周りが、別の形に変えられることに気が付いた。
黒く、激しく、深く、沈んでいくような力。
それに気づいたときには、もう遅かった。
僕は、まわりの点を、片端から吸い上げていた。
噛みついてきた同種の輪郭を、逆に内側から削っていく。絡みつく力の糸を、一つずつ抜き取っていく。黒い力は、形のあるものも、形のないものも、同じように喰う。
気づいたときには、あたりは静かになっていた。
部屋の中で、動いているのは、僕だけだった。
残っている点は、僕のものと、遠くのどこかから、かすかに差し込んでくる幾つかの細い光だけ。
しばらくして、その光の主が姿を現した。
上から差し込んでくる影。布の擦れる音。水面に落ちる、小さな振動。
人間だ。
その人間の点は、他のものよりも濃く光り、けれど、どこか擦り減った色をしていた。僕はその姿を見て少しだけ身構え、その人間も大きく身を引いて点を僕を貫くように激しく輝かせた。しかし、僕がしばらくジッとしているとその人間も僕に敵意がないことが分かったからか点が元の輝きに戻る。
「…。お前は……魔のものではないようだな」
それが、神父だった。
彼は、僕が食い荒らした聖域を見渡しながら、しばらく黙っていた。怒るでもなく、怖がるでもなく、ただ、考えていた。
やがて、決めたように頷くと、僕をそっと持ち上げ鉢に入れた。
「お前は、特別によく働いてくれそうだ」
そのとき、彼の点は、少しだけ明るくなった。
それから、僕はこの療養の部屋に置かれるようになった。
ここにも、たくさんの点がある。
熱に浮かされた点。細くなりかけた点。怒りや悔しさで、いびつに膨らんだ点。
神父が僕を患者の腕や脚に置くと、僕は皮膚の下に噛みつく。血の味と一緒に、その中を巡る細かな点の群れを舐め取る。
それは、人間のものとは少し違う、ねじれた点たちだ。
細菌とか、寄生虫とか、そう呼ばれているものだと、あとで段々分かってきた。
彼らもまた、喰って、生きている。
けれど、彼らの点は、人間の点よりもずっと粗く、壊れやすい。僕が黒い力をほんの少し流し込むだけで、あっけなく砕け散っていく。
代わりに、砕けた破片は、僕の中に溜まる。
それを、僕は水の中で、じっと寝かせておく。必要があれば、また別のところへ流し直す。神父はそのやり方を知らない。ただ、「よく効く」「よく利く」と言うだけだ。
そんなふうにして働いているあいだ、僕は、常に部屋中の点を見ていた。
強い点。弱い点。揺れている点。止まりかけている点。
その中で、ひとつだけ、異様に薄い点があった。
最初にそれに気づいたのは、夏が来る少し前、まだ空気が冷たい頃だった。
小さな点だった。
他の子どもよりも、さらに小さく、細くて、揺れていて、今にも風に消されてしまいそうなわずかな灯り。
それが、メアリーだった。
彼女が父親と一緒にこの部屋の扉をくぐったとき、僕はすぐにその点を見つけた。
父親の点は、擦り切れてはいるものの、まだ十分に太かった。神父の点も、疲れをまといながらも、芯の部分に硬さを保っていた。
その間に挟まれているメアリーの点だけが、どうしようもなく、心もとなかった。
あれは、普通なら、ここまでたどり着く前に消えている点だ。
そういうものを、僕は何度も見てきた。
聖域で、鉢の中で。互いを喰い合ううちに、跡形もなく飲み込まれていった小さな点たち。
でも、この点は、ここにいる。
震えながらも、消えずに、父親の手に引かれて、光の中に立っている。
不思議だと思った。
それから、弱いのになぜか消えない点に目が離せなくなった。
彼女が床を掃いているときも。皿を洗っているときも。水を運んでいるときも。
メアリーの点は、常に限界ぎりぎりのところで揺れていた。
がんばればがんばるほど、細くなる。けれど、完全には切れない。糸のように伸びては戻り、戻ってはまた細くなる。
危ないな、と、僕は何度も思った。
だから、彼女が暗くなりかけるたび、僕は動いた。
腰に絡みつき、背中に沿って、黒い力を流し込む。
吸いすぎないように。壊さないように。
病原体を砕くときとは、まったく逆のやり方で。
彼女の中に溜まり、濁った重さだけをそっと引き抜く。代わりに、さっき別のところから溜め込んでおいた、薄い光の破片を、少しだけ戻してやる。
そうすると、メアリーの点は、かすかに太くなる。
それでも、他の誰よりもずっと細いままだ。
――この子は、弱い。
最初にそう思ったとき、その言葉の意味が、すぐには分からなかった。
弱いから、普通なら、真っ先に喰われる。
聖域では、そうだった。
けれど、この場所では、誰もこの子を喰おうとしない。
神父は、この子を叱るときにも、他の子よりも少し声を柔らかくする。アリシアは、この子の手から重い物をそっと取り上げる。病人たちでさえ、メアリーが手を拭くときには、わずかに指の力を抜く。
世界が、この小さな点を、わずかに庇っているように見えた。
僕は、その輪の中に、自分も加わることにした。
理由は、やはり、よく分からない。
ただ、他のどの点よりも、この点の変化が、気になったのだ。
彼女が額を拭くたび。手を洗うたび。わずかに呼吸を整えるたび。
メアリーの点は、ごくわずかずつ、違う色を混ぜていく。
最初は、すり減った灰色だけだったのに。
そこに、ほんの少しだけ、白い光が差し込むようになっていた。




