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水鏡のメアリー  作者: 風太郎
悪衆

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42/48

41 正義

 厚い石壁に囲まれた小部屋は、昼だというのに薄暗かった。

 小さな窓は高い位置にあり、外の光は床に届く前に、壁の冷たさに吸い込まれてしまう。

 ジョンは、粗末な木の椅子に腰を下ろしていた。

 両手は膝の上で固く組まれている。

 指先に力を込めると、骨がきしむ音がした。

 「——執行は、滞りなく終わりました」

 そう告げたのは、若い助祭だった。

 どこか“義務を果たした者”の硬い表情が浮かんでいた。

 「ラーチェと、メアリーは」

 ジョンは、そこで言葉を切った。

 「火により、処されました」

 助祭の声は、教会での定型句そのままだった。

 「民衆の前で、主の御名と共に、教義に立ち返ることの大切さが示されました」

 「……そうですか」

 喉から出た声は、自分のものとは思えないほど乾いていた。

 「立ち返る」

 「大切さ」

 その言葉を、何度も口にしてきたのは自分だ。

 ベレスフォードで、何年も。

 「立ち返れない者が、どうなるか」までも、口にしてきた。

 けれど、いざ実際に、「立ち返る前に焼かれた」顔が浮かぶと、言葉の重さが変わる。

 メアリー。

 ラーチェ。

 喉の奥が、焼けたように痛んだ。

 助祭は、ジョンの表情をうかがうように一瞬だけ視線を上げ、それからすぐに伏せた。

 「教区長のお言葉を、お伝えします」

 「……はい」

 「あなたは、“異端の司祭”としてではなく、“判断に誤りを犯した司祭”として扱われます。処刑ではなく、監督の下での静養と教義研鑽が命じられることになりました」

 「ありがたく存じます」

 口が勝手にそう言った。

 「ありがたい」のは、自分だけだ。

 そのことに気づいた瞬間、胃のあたりに冷たい塊が沈んだ。

 「あなたの言葉は、審問の場で記録されました」

 助祭は、淡々と続ける。

 「“与えられた状況の中で、最も村を守れる選択肢を選んだ”というくだりは、教区長もご覧になっています」

 「……」

 「そのうえで“判断に誤りがあったと裁かれるのであれば、その裁きを甘んじて受ける”と述べられたことも」

 それは、たしかに自分の言葉だ。

 ラーチェの扱いについて、問われたとき。

 「誤りならば裁かれるべきだ」と、自分で言った。

 その裁きが、今こうして眼前にある。

 自分は生かされ。

 メアリーは焼かれ。

 ラーチェは「魔」として処分された。

 表向きとしては…だが、

 「……わたしの、誤りの重さは」

 ジョンは、かすかに笑ってみせた。

 「……裁きとは、随分と都合よく形を変えるものですね」

 自嘲が口から漏れた。

 助祭は、その冗談を受け取る余裕はなかったのか、表情を変えずに頭を下げた。

 「しばらくは、この部屋でお待ちください。詳細な処遇については、あらためてお伝えします」

 扉が閉まり、静寂が戻った。

 ジョンは、組んだ手をゆっくりとほどき、顔を覆った。

 指の隙間から見えるのは、石壁の灰色だけだ。

 「わたしが、守ると言ったのに」

 自分の声が、小さく部屋に響いた。

 メアリーに対して。

 ラーチェに対して。

 ベレスフォードに対して。

 そのすべてに向けて、「守る」と言った。

 結果として、誰も守れなかった。

 村は今も無事かもしれない。

 だが、あの村にとって「必要な力」となっていたものも、彼女もいなくなった。

 自分だけが、「まだ役目がある」と言われて生かされている。

 それが、何よりも耐えがたかった。


 どれほどの時間が経ったのか、はっきりとは分からない。

 扉の向こうの廊下から、人の足音と話し声が聞こえてきた。

 「なあ。昼に焼かれた女と魔のものについてだが、…」

 低い声。

 「なんだ。」

 「……死体が見つからないって話、ほんとか?」

「知らん。だが、フランドリア軍の件もあるし、街は落ち着かんぞ」

その言葉に、胸の奥がわずかに熱を帯びた。

静かに目を閉じる。

女神様が許すなら、あの子らはまだ歩いている。

だが、表情には出さなかった。

 「本当に、フランドリア軍が動くらしい」

 「まだ噂の段階だろう?」

 もうひとりが答える。

 「このあいだの徴税騒ぎで揉めたばかりですし、脅しの可能性も」

 「いや、今度は違うと」

 最初の声が、少し潜められた。

 だが、石壁は声をよく通す。

 「フランドリアの方から、すでに軍の一部が国境沿いに集結しているという話だ」

 「サンドヘイヴンにいる信徒たちから、手紙が届いている」

 「“城門の外に、見慣れない旗が見える”と」

 サンドヘイヴン。

 その名前に、ジョンの意識がはっきりと戻った。

 ベレスフォードからそう遠くない、小さな都市。

 交易路の途中にあり、海からも内陸からも人が出入りする場所。

 「サンドヘイヴンが落ちれば、その先はどうなる」

 「ロンドゥンまで、道はひとつではないが……」

 「どのみち、周辺は騒がしくなるでしょうな」

 話し声は、少しずつ遠ざかっていく。

 ジョンは、椅子の上で身を固くしたまま、その名を何度も心の中で繰り返した。

 サンドヘイヴン。

 フランドリア。

 戦。

 火刑台の炎とは別の、黒い影が頭の中に広がった。

 焼け落ちる街。

 逃げ惑う人々。

 祈りの場が踏み荒らされる光景。

 「メアリーが、もし生きていれば」

 そこまで考えて、ジョンは奥歯を噛み締めた。

 「——何をさせるつもりだった?」

 誰に向けた問いなのか、自分でも分からなかった。

 教区長か。

 教会という仕組みか。

 それとも、自分自身か。

 黒魔力を内に秘めた存在を、「村を守るために」使おうとした自分。

 今度は、戦火の中のどこかで、「同じようなこと」を思い描く者が出てくるかもしれない。

 「魔でも何でもいい、守れるなら」

 かつて自分が口にしたのと、同じ言葉を。

 メアリーも、ラーチェもいない世界で。

 自分ひとりだけが、「その先」を見せられようとしている。

 その事実が、胸の奥で重くのしかかった。

 サンドヘイヴン。

 ベレスフォードの商人たちが、ときどきその名を口にしていた。

 「港町ほどではないが、人の出入りが多くて面白い」と。

 「あそこにも、小さな礼拝堂がある」と。

 そこにいる信徒たちの顔を、ジョンは一人も知らない。

 だが、「守るべき人々」という言葉で括られたとき、その重さは、ベレスフォードの誰かと変わらない。

 「わたしは、メアリーひとりも守れなかったというのに」

 彼は、低く呟いた。

 「そんな者に、何の役目が残っていると言うのだ」

 答えは返ってこない。

 ただ、石壁の向こうから、遠くの鐘の音がかすかに響いてきた。

 ノーリッチャの鐘。

 サンドヘイヴンの鐘。

 ベレスフォードの小さな鐘。

 どれも、今は自分の手の届かないところで鳴っている。

 ジョンは、膝の上で再び両手を組んだ。

 組んだ指が白くなるほど力が入っていた。

 そこからにじむ痛みだけが、「まだ生きている」という感覚を、かろうじて繋ぎ止めていた。

 両手を組み、胸の奥、心臓のさらに奥に意識を向ける。

 「光あれ」

 そう呟くとジョンの胸から白い光の糸が西の方角へと伸びる。

 あの時の祈りは、まだ繋がっている。メアリーはやはりサンドヘイブンの方角か。

 サンドヘイヴンが落ちれば、ベレスフォードも無傷では済まない。

その未来だけは、どうしても頭から追い払えなかった。


おはようございます。こんにちは。あるいはこんばんは。

風太郎です。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


第41話をもって、いったん区切りとさせていただきます。

これから少し現実の方が忙しくなるため、更新はしばらくお休みをいただきます。

目安としては三ヶ月ほどですが、状況が整えば予定より早く戻ってくるかもしれません。


物語全体の構想はすでに最後まで固まっており、

あとは時間を見つけて文章に落とし込み、整えていく段階です。


思い出したときに、またふらりと読みに来ていただければ嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。

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