41 正義
厚い石壁に囲まれた小部屋は、昼だというのに薄暗かった。
小さな窓は高い位置にあり、外の光は床に届く前に、壁の冷たさに吸い込まれてしまう。
ジョンは、粗末な木の椅子に腰を下ろしていた。
両手は膝の上で固く組まれている。
指先に力を込めると、骨がきしむ音がした。
「——執行は、滞りなく終わりました」
そう告げたのは、若い助祭だった。
どこか“義務を果たした者”の硬い表情が浮かんでいた。
「ラーチェと、メアリーは」
ジョンは、そこで言葉を切った。
「火により、処されました」
助祭の声は、教会での定型句そのままだった。
「民衆の前で、主の御名と共に、教義に立ち返ることの大切さが示されました」
「……そうですか」
喉から出た声は、自分のものとは思えないほど乾いていた。
「立ち返る」
「大切さ」
その言葉を、何度も口にしてきたのは自分だ。
ベレスフォードで、何年も。
「立ち返れない者が、どうなるか」までも、口にしてきた。
けれど、いざ実際に、「立ち返る前に焼かれた」顔が浮かぶと、言葉の重さが変わる。
メアリー。
ラーチェ。
喉の奥が、焼けたように痛んだ。
助祭は、ジョンの表情をうかがうように一瞬だけ視線を上げ、それからすぐに伏せた。
「教区長のお言葉を、お伝えします」
「……はい」
「あなたは、“異端の司祭”としてではなく、“判断に誤りを犯した司祭”として扱われます。処刑ではなく、監督の下での静養と教義研鑽が命じられることになりました」
「ありがたく存じます」
口が勝手にそう言った。
「ありがたい」のは、自分だけだ。
そのことに気づいた瞬間、胃のあたりに冷たい塊が沈んだ。
「あなたの言葉は、審問の場で記録されました」
助祭は、淡々と続ける。
「“与えられた状況の中で、最も村を守れる選択肢を選んだ”というくだりは、教区長もご覧になっています」
「……」
「そのうえで“判断に誤りがあったと裁かれるのであれば、その裁きを甘んじて受ける”と述べられたことも」
それは、たしかに自分の言葉だ。
ラーチェの扱いについて、問われたとき。
「誤りならば裁かれるべきだ」と、自分で言った。
その裁きが、今こうして眼前にある。
自分は生かされ。
メアリーは焼かれ。
ラーチェは「魔」として処分された。
表向きとしては…だが、
「……わたしの、誤りの重さは」
ジョンは、かすかに笑ってみせた。
「……裁きとは、随分と都合よく形を変えるものですね」
自嘲が口から漏れた。
助祭は、その冗談を受け取る余裕はなかったのか、表情を変えずに頭を下げた。
「しばらくは、この部屋でお待ちください。詳細な処遇については、あらためてお伝えします」
扉が閉まり、静寂が戻った。
ジョンは、組んだ手をゆっくりとほどき、顔を覆った。
指の隙間から見えるのは、石壁の灰色だけだ。
「わたしが、守ると言ったのに」
自分の声が、小さく部屋に響いた。
メアリーに対して。
ラーチェに対して。
ベレスフォードに対して。
そのすべてに向けて、「守る」と言った。
結果として、誰も守れなかった。
村は今も無事かもしれない。
だが、あの村にとって「必要な力」となっていたものも、彼女もいなくなった。
自分だけが、「まだ役目がある」と言われて生かされている。
それが、何よりも耐えがたかった。
どれほどの時間が経ったのか、はっきりとは分からない。
扉の向こうの廊下から、人の足音と話し声が聞こえてきた。
「なあ。昼に焼かれた女と魔のものについてだが、…」
低い声。
「なんだ。」
「……死体が見つからないって話、ほんとか?」
「知らん。だが、フランドリア軍の件もあるし、街は落ち着かんぞ」
その言葉に、胸の奥がわずかに熱を帯びた。
静かに目を閉じる。
女神様が許すなら、あの子らはまだ歩いている。
だが、表情には出さなかった。
「本当に、フランドリア軍が動くらしい」
「まだ噂の段階だろう?」
もうひとりが答える。
「このあいだの徴税騒ぎで揉めたばかりですし、脅しの可能性も」
「いや、今度は違うと」
最初の声が、少し潜められた。
だが、石壁は声をよく通す。
「フランドリアの方から、すでに軍の一部が国境沿いに集結しているという話だ」
「サンドヘイヴンにいる信徒たちから、手紙が届いている」
「“城門の外に、見慣れない旗が見える”と」
サンドヘイヴン。
その名前に、ジョンの意識がはっきりと戻った。
ベレスフォードからそう遠くない、小さな都市。
交易路の途中にあり、海からも内陸からも人が出入りする場所。
「サンドヘイヴンが落ちれば、その先はどうなる」
「ロンドゥンまで、道はひとつではないが……」
「どのみち、周辺は騒がしくなるでしょうな」
話し声は、少しずつ遠ざかっていく。
ジョンは、椅子の上で身を固くしたまま、その名を何度も心の中で繰り返した。
サンドヘイヴン。
フランドリア。
戦。
火刑台の炎とは別の、黒い影が頭の中に広がった。
焼け落ちる街。
逃げ惑う人々。
祈りの場が踏み荒らされる光景。
「メアリーが、もし生きていれば」
そこまで考えて、ジョンは奥歯を噛み締めた。
「——何をさせるつもりだった?」
誰に向けた問いなのか、自分でも分からなかった。
教区長か。
教会という仕組みか。
それとも、自分自身か。
黒魔力を内に秘めた存在を、「村を守るために」使おうとした自分。
今度は、戦火の中のどこかで、「同じようなこと」を思い描く者が出てくるかもしれない。
「魔でも何でもいい、守れるなら」
かつて自分が口にしたのと、同じ言葉を。
メアリーも、ラーチェもいない世界で。
自分ひとりだけが、「その先」を見せられようとしている。
その事実が、胸の奥で重くのしかかった。
サンドヘイヴン。
ベレスフォードの商人たちが、ときどきその名を口にしていた。
「港町ほどではないが、人の出入りが多くて面白い」と。
「あそこにも、小さな礼拝堂がある」と。
そこにいる信徒たちの顔を、ジョンは一人も知らない。
だが、「守るべき人々」という言葉で括られたとき、その重さは、ベレスフォードの誰かと変わらない。
「わたしは、メアリーひとりも守れなかったというのに」
彼は、低く呟いた。
「そんな者に、何の役目が残っていると言うのだ」
答えは返ってこない。
ただ、石壁の向こうから、遠くの鐘の音がかすかに響いてきた。
ノーリッチャの鐘。
サンドヘイヴンの鐘。
ベレスフォードの小さな鐘。
どれも、今は自分の手の届かないところで鳴っている。
ジョンは、膝の上で再び両手を組んだ。
組んだ指が白くなるほど力が入っていた。
そこからにじむ痛みだけが、「まだ生きている」という感覚を、かろうじて繋ぎ止めていた。
両手を組み、胸の奥、心臓のさらに奥に意識を向ける。
「光あれ」
そう呟くとジョンの胸から白い光の糸が西の方角へと伸びる。
あの時の祈りは、まだ繋がっている。メアリーはやはりサンドヘイブンの方角か。
サンドヘイヴンが落ちれば、ベレスフォードも無傷では済まない。
その未来だけは、どうしても頭から追い払えなかった。
おはようございます。こんにちは。あるいはこんばんは。
風太郎です。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
第41話をもって、いったん区切りとさせていただきます。
これから少し現実の方が忙しくなるため、更新はしばらくお休みをいただきます。
目安としては三ヶ月ほどですが、状況が整えば予定より早く戻ってくるかもしれません。
物語全体の構想はすでに最後まで固まっており、
あとは時間を見つけて文章に落とし込み、整えていく段階です。
思い出したときに、またふらりと読みに来ていただければ嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。




