4 仁愛
その日は、そのまま療養の部屋の隅の寝台に寝かされることになった。
薄い布団の下から、固い板の感触が背中に伝わる。さっきまで冷たく感じていた石床が、今は少し恋しい。ぼんやりとそんなことを考えているあいだに、足音が近づいてきた。
「具合はどうだね」
神父様の声だ。
顔を向けると、神父様が寝台の脇に腰を下ろしていた。いつもの質素な法衣のままなのに、どこか、それが鎧のように見える。
「……すみません。仕事の途中で」
やっとの思いでそれだけ言うと、神父様は小さく首を横に振った。
「謝ることではないと言ったはずだよ、メアリー」
名前を呼ばれて、胸の奥が少し落ち着いた。
「……ここに来る子は、最初はみな、倒れる」
「みんな……ですか」
「みんなだ」
神父様の目が、一瞬遠くの方を向いた後わたしの背後の寝台の列を一度なぞる。
「ただ、倒れ方が違う。君は、限界の少し前で、ちゃんと身体が悲鳴を上げてくれた。それは、悪くないことだ」
よく分からなかったけれど、「悪くない」と言われたことだけは分かった。
「この子は、体がもともと弱いようです」
横から、アリシアの声がした。振り向くと、彼女は寝台の足元に立っていた。さっきまでの慌てた顔とは違い、今はどこか落ち着いている。
「歩き方も、呼吸も、朝からずっと……その、ちょっと無理をしているみたいでした」
「そうか。よく見ているな、アリシア」
神父様は感心したように頷く。
「メアリー、アリシアの言うことは、よく聞きなさい。この子は、自分も弱かったぶん、人の弱さにもよく気づく」
アリシアが、少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……あの」
わたしは、喉の奥でひっかかっていた問いを、やっとのことで押し出した。
「わたしは……ここで、ちゃんと……やっていけますか」
自分でも子どもっぽい質問だと思った。けれど、今のわたしには、それしか聞けなかった。
神父様は、ほんの少しだけ考えるように目を細めてから、はっきりと頷いた。
「……やっていけるようにするのが、わたしの務めだ」
言葉の調子が、祈りのときと同じだった。
「重いものを運ぶ仕事や、長く立ちっぱなしになる仕事は、しばらくは任せない。掃除や洗い物も、アリシアと一緒のときだけにしよう」
「はい」
アリシアが返事をする。
「この子には、細かい仕事と、見て学ぶ仕事を多く任せる。手先は器用そうだし、目も悪くない」
そう言って、神父様はわたしの目をのぞき込んだ。
「痛そうな顔をしている人を見るのは、辛いかね」
不意の問いに、言葉がつまる。
「……辛い、です。でも、見ないよりは、たぶん、ましだと思います」
自分でも、どうしてそんな言い方になったのか分からなかった。けれど、口から出た言葉は、それだった。
神父様は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「なら、きっとここで学べることがある」
立ち上がりながら、神父様はアリシアの方を向いた。
「アリシア。メアリーに、当分は療養の部屋の“水と布”を任せてやってくれ。重い桶は君が持つこと。メアリーには、患者の額と手を拭かせなさい」
「分かりました」
アリシアは真面目な顔で頷いた。
「それから」
神父様は、足元の浅い鉢にちらりと目を落とした。
「この子がまた倒れたときは――ラーチェ、お前も、頼むぞ」
水面が円を描き、黒い影が一度だけ、ゆらりと動いた。
返事の代わりに、それだけがあった。
そのやりとりを、わたしは半ば夢の中のような感覚で見ていた。
ラーチェ。
まだ名前を知らないその存在が、これから何度も、わたしの身体の底から重さを引き出し、代わりに薄い冷たさを残していくことを、このときのわたしは、もちろん知らない。




