表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡のメアリー  作者: 風太郎
悪衆

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

38/47

37 審判

 朝から街が落ち着かないのは、エドリンにも分かった。

 広場に近い店は、いつもより早く戸を開け、逆に、路地の奥の家は戸口からこちらをうかがう顔が多い。

 「教会が“魔”を連れてきたらしい」

 そう言ったのは、向かいの店の主人だった。

 「“床にいる黒いもの”が、広場で吐いたんだとよ」

 「黒い塊を、どろっとな。そこから火が出たって話だ」

 火。

 エドリンは、その言葉に胸がざわついた。

 火は、寒さを追い払う。

 だが、何かを焼き尽くすときの火は、得体が知れない。

 「教会前で、審問があるらしい」

 別の声がした。

 「ただの説教じゃないぞ。ちゃんとしたやつだ」

 「ちゃんとしたやつ」というのが何か、エドリンはよく分かってはいなかった。

 ただ、人がたくさん集まるときに鳴る鐘の音が、すでに頭の中で鳴っている気がした。

 仕事は昼前まででよかった。

 店主も、「今日は早じまいだ」と言った。

 「こんな日に無理に売ったって、客はみんな教会に行っちまう」

 エドリンは、ほこりっぽい布で手を拭きながら、胸の奥が少しだけ高鳴るのを感じた。

 大きなことが起きるとき、自分はいつも、遠くから見ているだけだった。

 今日は、近くで見られるかもしれない。

 「ちょっとだけ、様子を見てきます」

 そう言って、通りに出る。

 人の流れは、もうできていた。

 皆、教会の方角へ歩いている。

 足取りはまちまちだ。

 早足の者もいれば、慎重に様子をうかがいながら進む者もいる。

 エドリンは、その中に紛れた。


 教会前の広場は、すでに人でいっぱいだった。

 真ん中は空けられ、柵のように木の棒が並べられている。

 向こう側には、教会の扉。

 その上に掲げられた十字架。

 扉の前に、椅子がいくつか並んでいる。

 「偉い人たち」が座る席だと、エドリンは思った。

 広場の端には、さっき話に聞いた黒い痕がまだ残っていた。

 石畳の一角が、墨をこぼしたように黒ずんでいる。

 その周りだけ、人の輪が少し空いていた。

 近づきたいが、近づきたくない。

 誰もがそう思っている距離だ。

 エドリンも、そこには行かなかった。

 できるだけ前の方へ寄って、背伸びをしなくても見える場所を探した。

 同じくらいの年の青年たちが、周りに何人かいる。

 皆、目の色が似ていた。

 怖いもの見たさ。

 「魔が燃えたところか」

 誰かが呟いた。

 「燃えたのは、黒い塊だけだってよ」

 「でも、赤黒い火だったんだろ」

 「普通の火じゃねえってことだ」

 そういう言葉は、エドリンの耳にも入ってきた。

 自分も、見たような気持ちになって、うなずきたくなる。

 見ていないのに、半分は見たような顔をして。

 広場のざわめきが、鐘の音にかき消された。

 教会の塔から、重い音が降ってくる。

 人々の声が、自然と少し小さくなる。

 扉が開いた。

 最初に出てきたのは、ノーリッチャの偉い司祭たちだった。

 真っ白な衣と、飾りのついた帽子。

 その中に、いつも名前だけ聞いていた「教区長」と呼ばれる男もいるのだろうと、エドリンは思った。

 誰が誰かは分からない。

 だが、皆、自分とは違う世界の人間だということだけは分かった。

 その後ろに、三つの影が見えた。

 ひとりは、落ち着いた顔の男。

 年は、父親より少し上くらいか。

 黒い法衣を着ている。

 もうひとりは、若い女。

 自分とそう変わらない年に見える。

 その顔は、強ばっていた。

 最後に——

 エドリンは、目を凝らした。

 床に、何かがまとわりついている。

 影が、影でないように動いていた。

 よく見ると黒い紐の様なものを左右に大きく振っている。

 女がそれをみて黒い何かを強く叩く。

 「……あれか」

 誰かが、小さく言った。

 「“床の魔”だ」

 その言い方は、エドリンの中に、すとんと落ちた。

 そうか、あれが「魔」か。

 そう思うと、ほんの少しだけ、ぞくりとする。

 怖さと、期待とが入り混じった、変な感覚。


 椅子に偉い人たちが座り、その前に三人が立たされた。

 床の黒いものは、若い女の足元にぴたりとくっついている。

 時折背中から人の手の様なものを出し、中指を立てていろんな方向に振り回している。

 女はそれをみてまた黒い何かを叩いた。

 まるで“魔を手懐けている”ように見えて、エドリンはぞくりとした。

 何を意味する仕草かは分からない。

だが、「人を馬鹿にしている」ということだけは、なぜかはっきり伝わった。

きっと“魔”には、こういう礼儀があるのだろうと、エドリンは勝手に納得した。

 司教代理らしき男が、前に出て声をあげた。

 「これより——」

 何か長い言葉が続いた。

 「審問」「教義」「裁き」「証し」

 エドリンは、そのあたりの言葉は聞き慣れている。

 教会に通うたび、耳にはしているからだ。

 意味も、だいたい分かっているつもりだ。

 司教代理が、「ラーチェ」という名を口にした。

 エドリンは、小さくうなずいた。

 ああ、あれがそうか。

 「この存在は、教義に定められたものではない」

 「黒魔力を内に秘めている」

 「さきほど広場で、その一端を吐き出し、赤黒い炎となって顕れた」

 そうした言葉は、エドリンの頭の中で、きれいな形をして並んだ。

 教会で聞いてきた言い回しに似ているからだ。

 「教義にないものは、危うい」

 「黒い力は、魔の側に属する」

 難しいことを言っているようでいて、「危ないからだめだ」という話だと、エドリンは理解した。

 それで、十分分かった気になった。

 次に、黒い法衣の男——異端審問官だと誰かが囁いた——が前に出た。

 「ベレスフォード領教会司祭、ジョン」

 「見習い、メアリー」

 名前が呼ばれる。

 エドリンは、「ジョン」と「メアリー」という音を、心の中で繰り返した。

 どこかで聞いたことのあるような、ないような。

 審問官は、落ち着いた声で話し始めた。

 「ここノーリッチャにおいて」

 「我らは、魔的なものと、その影響を受けた者について、正しく見極めねばならない」

 「民草の前で、教会が迷わぬことを示さねばならない」

 「正しく」「迷わぬ」

 そういう言葉は、エドリンにとって心地よかった。

 分かりやすい。

 自分たちの前で、「ちゃんとやってくれている」と思えるからだ。

 審問官は、まずジョンに問いかけた。

 「あなたは、ラーチェと呼ばれる存在が、黒魔力を内に秘めていることを認めますか」

 ジョンは、はっきりと「はい」と答えた。

 エドリンは、その素直さに少し驚いた。

 隠そうとするのかと思っていた。

 だが、それがかえって、「なら、なおさらだ」と思わせる。

 「黒いものだと知っていて、村に置いておいたのか」

 エドリンは、心の中でそう呟いた。

 審問官は、さらに続ける。

 「教義の外にあるものを、“村の守りのため”と称して用いることを、あなたは正しいと考えた」

 「それは、今も変わらぬのか」

 ジョンは、少し目を伏せ、それから顔を上げて答えた。

 「当時の判断としては、最も村を守れると考えました」

 その言い方が、エドリンには、難しく聞こえた。

 「最も村を守れる」

 それは、「間違っていなかった」と言いたいのか、「間違っていたかもしれない」と言いたいのか。

 だが、審問官が「判断に誤りがあった」と言ったとき、エドリンは「そういうことだ」と納得した。

 難しい言い方は、結局「間違っていた」と同じなのだと。

 自分でも、そういう話し方をしてみたいと思った。

 難しい言葉で、少し回り道をして、「でも、言いたいことは分かるだろう」と言ってみたい。


 次に、若い女——メアリーに、目が向けられた。

 エドリンは、息を少し止めた。

 自分とそう変わらない年に見える彼女が、こんな場所に立たされていることが、どこか不思議だった。

 「お前は、ラーチェをどう呼んでいた」

 審問官の声が広場に響く。

 静まり返った空気の中で、その問いははっきりと聞こえた。

 「……い、今は、“ラーチェ”とだけ呼んでいます」

 メアリーの声は小さかったが、はっきりしていた。

 「最初は」

 審問官が、穏やかに重ねる。

 「“ラーチェさま”や“床の神さま”という言葉を、耳にしたことは」

 「…あります」

 メアリーは、正直に言った。

 「…こ、子どもたちがそう呼ぶのを、き、聞いて、一瞬、“うまい呼び方だ”と思ってしまいました」

 「だが、それがよくないと分かり、言い直したと」

 審問官が、彼女の言葉を整理してみせる。

 エドリンは、「ああ、そういうことか」と思った。

 自分だって、うまいあだ名をつけたくなることがある。

 それが、たまたまよくない方向の響きを持っているときもある。

 「けれど、この場合は、相手が“魔”だった」

 エドリンは、頭の中でそう結論づけた。

 だから、いけなかったのだ、と。

 審問官は、さらに続けた。

 「あなたは、祈りの中で、“神さま、ラーチェも一緒に来てくれたら”と願ったことがあると証言している」

 「それは事実か」

 エドリンは、その言い回しに、どこか胸がすく思いを感じた。

 「証言」「事実」

 そういう言葉は、物事をきちんと決めるときに使われる。

 自分も、いつか誰かに向かって、「それは事実か」と言ってみたい気がした。

 メアリーは、顔を上げて言った。

 「……は…い」

 「そのとき、わたしは、怪我人の痛みが引いてほしくて」

「“神さま、ラーチェも一緒に来てくれたら”と、心の中で思いました」

 広場のどこかで、小さなざわめきが起きた。

 エドリンも、胸の奥がひやりとした。

 「神さま」と「魔」を並べた。

 そういう話だと、自分なりに理解した。

 審問官は、少しだけ声を落とした。

 「それは、“神と魔を、祈りの中で並べた”ということだ」

 「あなたは、その意味を、今は理解しているか」

 メアリーは、唇を噛んだ。

 「……い、いけないことだったと、今は、わ、分かっています」

 その答えは、エドリンにもすっと入ってきた。

 「いけない」と分かった。

 ならば、「いけないことをした」ということだ。

 難しい言葉はいらない。

 審問官は、群集の方へ視線を向けた。

 「皆も、聞いたな」

 広場のあちこちで、小さなうなずきが連鎖する。

 エドリンも、周りに合わせるように、首を動かした。

 「この者は、若く、教義の学びも半ばである。だが、“神と魔の名を並べることが何を意味するか”、今は理解していると、自ら口にした。そのうえで、我らは裁きを下さねばならぬ」

 その言い回しは、エドリンの胸に強く響いた。

 「理解しているなら、もう分かっているはずだ」

 そういうことだ、と。

 自分にも、「分かっている」つもりになれる心地よさがあった。

 難しい話を聞いて、自分なりに意味を整理して、「つまりこういうことだろう」とまとめる。

 それが、今の自分には気持ちよかった。


 偉い司祭が立ち上がり、前に出た。

 さっき会議室で決められた言葉を、そのまま読み上げるつもりで。

 もちろん、エドリンは、そんなことは知らない。

 彼にとって、それは「今ここで決まる」ことだった。

 「ラーチェと呼ばれる存在は」

 司祭の声が、広場全体に響く。

 「教義の外にある、魔的なものと認める。黒魔力を内に秘め、その一部を吐き出し、赤黒い炎として顕した。これは、主の側に置かれるべきものではない」

 エドリンは、「その通りだ」と心の中で思った。

 見てもいない炎を、見たような気持ちで。

 「メアリー」

 名前が呼ばれる。

 若い女の肩が、ぴくりと揺れた。

 「お前は、その魔と親しく交わり、その助力を願った。祈りの中で、神と並べて名を口にした。教義を学ぶ者として、その重さは理解しているな」

 メアリーは、かすかにうなずいた。

 声は出なかったが、それで十分だった。

 エドリンは、「分かっているなら、仕方ない」と思った。

 自分だって、悪いことをして叱られるとき、「分かっています」と言う。

 そのあとで受ける罰を、「しょうがない」と飲み込む。

 それと同じだ、とどこかで感じていた。

 「司祭ジョン」

 司祭の視線が、黒い法衣の男に向く。

 「お前は、教義の外にある存在を、“村の守りのため”と称して用いた。黒魔力を内に秘めていると知りながら、排斥しなかった」

 エドリンは、「称して」という言葉の響きが気に入った。

 「本当は違うのに、そう言ってごまかしていた」という意味だと、自分なりに理解した。

 その理解は、本当は少し違っていたかもしれない。

 だが、エドリンは、それで十分だと思った。

 「しかし、お前は、危うさを知りつつ上に報せ、判断を委ねた。主への信仰を捨てたわけではない。ゆえに、処分は異なる」

 そうした言葉が続く。

 エドリンは、「つまり、あの司祭は焼かれないのだな」と理解した。

 難しい理屈がいくつも挟まれたが、最後の「処分は異なる」というところだけ聞いていれば、意味は分かった。

 「ラーチェとメアリーは、魔とその関わりを断つために聖なる火により、処す」

 その言葉が落ちたとき、広場に、目に見えない波が走った。

 誰かが息を呑み、誰かが小さくうなずいた。

 エドリンは、自分の胸の中に生まれた奇妙な感覚を、うまく言葉にできなかった。

 怖さ。

 納得。

 少しの興奮。

 「やっぱり、そうなるのか」と思う自分と、「本当にやるのか」と思う自分が、胸の中でぶつかっている。

 だが、口から出たのは、別の言葉だった。

 「……仕方ないな」

 自分でも驚くほど、平坦な声。

 その言葉にすがらないと、足がすくみそうだった。

 隣にいた青年が、うなずいた。

 「そうだな」

 「魔をそのままにしておくわけにはいかねえし」

 「神さまと魔を一緒に呼んだんだろ」

 「いけねえことだ」

 エドリンは、うなずきながら、自分の中で「分かったつもり」を固めていった。

 難しい言葉は、半分も覚えていない。

 でも、「魔」と「神」と「火」と「仕方ない」は、ちゃんと胸に残った。

 それで、十分分かった気がした。

 本当は、何ひとつ自分の頭で確かめてはいないのに。

 床にまとわりついていた黒いものが、かすかに震えた。

 エドリンは、それを“怒りの震え”だと思った。

 若い女の横顔は、青ざめていた。

 司祭の顔は、どこか遠くを見ていた。

 エドリンは、それぞれの表情を見ながら、「これが“正しいこと”なのだ」と、必死で自分に言い聞かせた。

 そうしないと、足元がふらつきそうだったからだ。

 鐘が、再び鳴った。

 今度の音は、「始まり」ではなく、「終わり」と「次の始まり」を告げる音に聞こえた。

 火が灯されるのは、もう少し先だろう。

 だが、エドリンの中では、すでにひとつの答えが固まっていた。

 「今日は、何か大事なものを見た」

そう、いつか誰かに話せるだろうと、思い込んでいた。

まるで、自分も“正しい側にいた”かのように。

自分が本当に何を見たのかを、深く考えないままに。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ