29 尋問
夕方、視察から戻ったリチャードは、一通りの礼儀的な報告を済ませたあと、あらためてジョンを小部屋に呼んだ。
粗末な机と椅子が二つ。
窓は小さく、外の光はほとんど入らない。
「本日は、お忙しいところ案内をお任せしてしまい、失礼いたしました」
リチャードは、形式通りの言葉から入った。
ジョンは向かいの椅子に腰を下ろし、小さくうなずく。
「村の様子は、いかがでしたか」
「ええ。…………」
リチャードは、わざと少し間をあけた。
「嵐の痕もまだ残ってはいるものの、白魔術による支えが、よく働いているように見受けました」
その言葉だけなら、ほめ言葉に聞こえた。
ジョンも、「ありがとうございます」とだけ答える。
リチャードは、そこで視線を少しだけ鋭くした。
「足を折った男と、指を折った子どもの話も、うかがいました」
「……そうですか」
ジョンの喉が、かすかに鳴った。
「村人は、あなたと、アリシア嬢と、メアリー嬢に深く感謝しておりました」
リチャードは、事実を淡々と並べる。
「そして、あなた方と“もうひとつ”に」
「……“もうひとつ”」
「ええ」
リチャードは、あえてゆっくりと言葉を選んだ。
「“ラーチェさま”、“床の神さま”に、です」
ジョンの眉が、ぴくりと動いた。
短い沈黙。
やがて、彼は深く息を吐いた。
「…………。子どもたちの口が、軽いことは承知しています」
ジョンは、正直に認めた。
「大人も、疲れから、つい言い回しを誤ることがある」
「誤る」
リチャードは、その一語を拾う。
「つまり、あなたも“ラーチェさま”“床の神さま”という呼び方は、教義に沿わないとお考えだ」
「もちろんです」
ジョンは、はっきりとうなずいた。
「ラーチェは、神ではない」
そこでいったん言葉を切り、続ける。
「教義に照らせば、“神の座を脅かすもの”でもある」
リチャードの目が、わずかに細くなる。
「では、なぜ村に留めているのです」
問いは、静かだった。
だが、その奥には「矛盾を突く」硬さがあった。
ジョンは、少しだけ視線を落とした。
「……この村では、ラーチェは、白魔術を補助するものとして働いています」
リチャードは、笑わなかった。
代わりに、先ほど井戸端で聞いた言葉を思い出す。
“教会さまもラーチェさまも、一緒になってうちらを助けてくれてる”
「あなたの報告書でも、“白魔術の補助存在”と書かれていましたね」
リチャードは、机の上の紙を軽く指で叩いた。
「ですが、村人の言い方は少々違います。“教会さまの一部”と」
ジョンは、目を細めた。
「そう言いましたか」
「ええ。無自覚に、ですが」
リチャードは、肩をすくめるような仕草をした。
「彼らに悪意はないようです。ただ、“神”と“それ以外”の境目が曖昧になりつつある」
ジョンは、机の端に置かれた自分の手を、ぎゅっと握った。
「その危うさは、わたしも理解しています」
静かな声だった。
「だからこそ、ラーチェを“神”として扱うことは、断じて認めません」
「しかし、実際には“さま”づけで呼ばれ、“床の神さま”と囁かれている」
リチャードは、一歩も引かない。
「あなたは、それをどこまで許容しているのですか」
ジョンは、視線をリチャードから外さなかった。
「許容はしていません」
はっきりと言う。
「村全体に浸透する前に、順々に訂正している最中です」
「訂正」
リチャードは、またその一語に釘を打つ。
「どのように」
「ミサのときに、“神はひとつである”ことを、これまで以上に強く説いています」
ジョンは、淡々と答える。
「ラーチェは、“教会が今、借りている手”に過ぎないと」
「借りている手」
リチャードは、机に軽く指を置いた。
「それは、教義にない表現ですね」
「教義にないからこそ、です」
ジョンは、逆に踏み込んだ。
「教義に名のある天使や聖人として語れば、ラーチェを“神の側”に置いてしまうことになる」
「しかし、実際には」
リチャードが口を挟もうとしたのを、ジョンは小さく首を振って制した。
「わたしは、ラーチェを“教義に反するもの”だと理解しています」
はっきりと言った。
「白でも黒でもない。教会の文書に載っていないものです」
リチャードの目が、わずかに見開かれた。
ジョンは、続けた。
「だからこそ、“神”でも“聖なるもの”でもないと、村に向かって繰り返し伝えている。あれは、今この村にとって、“白魔術を補助する道具のようなものだ”と」
“道具”という言葉に、わずかな苦みがにじんだ。
リチャードは、その細かな揺らぎも逃さない。
「では、あなたにとってラーチェは、“異端の可能性を持つ道具”ということですか」
「そうです」
ジョンは、目を逸らさなかった。
「教義から見れば、危うい存在です」
「それでも、あなたは村に留めている」
「今この村で、あれを排除すれば」
ジョンは、わずかに声を低くした。
「川も、土手も、怪我人も、守りを一つ失います」
「白魔術だけでは、足りないと?」
「足ります」
ジョンは、即座に否定した。
「足りるように、わたしも、アリシアも、メアリーも動いています」
少しの間をおいて、静かに言葉を足す。
「ただ、ラーチェがいれば、“余裕”が生まれる」
「余裕」
リチャードは、その響きを転がすように繰り返した。
「余裕があるからこそ、村人は“さま”をつける余裕まで持ち始めているのではありませんか」
ジョンは、しばらく黙った。
やがて、ゆっくりとうなずく。
「……その危険も、分かっています」
「だからこそ、教区長に報せたのです」
リチャードの目が、少しだけ細まった。
ジョンは、続ける。
「隠せば、もっと悪くなると知っているから」
ジョンは少し目を伏せて続ける。
「わたしは、ラーチェを“異端ではない”と言いたいのではありません。教義の外にあるものとして、危うさを認めたうえで今この村では、“白魔術を補助するもの”として扱う方針をとっている」
リチャードは、机の上で指を組んだ。
「その方針は、教区長が決めるべきことでしょう」
静かな言葉。
「あなた一人の裁量で、教義の外の存在の位置づけを決めるのは、いささか僭越ではありませんか」
ジョンは、その批難を正面から受け止めた。
「だからこそ、教区長に問うために手紙を書いたのです」
「今ここで、わたしが一人で“神”と決めることも、“魔”と決めることもできない。村を守りながら、上の判断を待つ。その間に、村人の口から“さま”を外していく」
リチャードは、しばし黙考した。
「……訂正は、どこまで進んでいますか」
「子どもたちには、“ラーチェ”とだけ呼ばせています」
ジョンは答える。
「“さま”をつけるたびに、“神さまはひとりだろう”と、ちゃんと話す大人たちには、“ラーチェさま”と言いかけたときに、“ラーチェは教会の道具だ”と、少しきつく言い直している最中です」
その言葉には、自分でも覚えのある苦さが滲んでいた。
ラーチェは、道具ではない。
それでも、村と教会を守るために、その言葉を選ぶしかなかった。
リチャードは、その矛盾を見逃さなかった。
だが、今は追い詰めなかった。
「分かりました」
彼は、ゆっくりとうなずいた。
「今のお話も含めて、教区長に報告いたします」
それは、「まだ断じない」という宣言でもあった。
ジョンは、小さく頭を下げた。
「どうか、ベレスフォードの現状を、なるべく正確にお伝えください」
「ええ」
リチャードは、静かな目でジョンを見た。
「“白魔術を補助するものとして扱っている”」
「“今は村全体には浸透していないが、順に訂正中である”」
「その二つの言葉を、そのまま記します」
視線が、机の下の床へと一瞬だけ落ちた。
黒い輪郭が、影に紛れるように静かに身じろぎする。
ラーチェは、そこにいた。
何も語らず。
ただ、教義の枠の外側で、三人と一匹の日常と、教区からの冷たい視線の両方を、じっと見ていた。




