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水鏡のメアリー  作者: 風太郎
悪衆

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30/50

29 尋問

 夕方、視察から戻ったリチャードは、一通りの礼儀的な報告を済ませたあと、あらためてジョンを小部屋に呼んだ。

 粗末な机と椅子が二つ。

 窓は小さく、外の光はほとんど入らない。

 「本日は、お忙しいところ案内をお任せしてしまい、失礼いたしました」

 リチャードは、形式通りの言葉から入った。

 ジョンは向かいの椅子に腰を下ろし、小さくうなずく。

 「村の様子は、いかがでしたか」

 「ええ。…………」

 リチャードは、わざと少し間をあけた。

 「嵐の痕もまだ残ってはいるものの、白魔術による支えが、よく働いているように見受けました」

 その言葉だけなら、ほめ言葉に聞こえた。

 ジョンも、「ありがとうございます」とだけ答える。

 リチャードは、そこで視線を少しだけ鋭くした。

 「足を折った男と、指を折った子どもの話も、うかがいました」

 「……そうですか」

 ジョンの喉が、かすかに鳴った。

 「村人は、あなたと、アリシア嬢と、メアリー嬢に深く感謝しておりました」

 リチャードは、事実を淡々と並べる。

 「そして、あなた方と“もうひとつ”に」

 「……“もうひとつ”」

 「ええ」

 リチャードは、あえてゆっくりと言葉を選んだ。

 「“ラーチェさま”、“床の神さま”に、です」

 ジョンの眉が、ぴくりと動いた。

 短い沈黙。

 やがて、彼は深く息を吐いた。

 「…………。子どもたちの口が、軽いことは承知しています」

 ジョンは、正直に認めた。

 「大人も、疲れから、つい言い回しを誤ることがある」

 「誤る」

 リチャードは、その一語を拾う。

 「つまり、あなたも“ラーチェさま”“床の神さま”という呼び方は、教義に沿わないとお考えだ」

 「もちろんです」

 ジョンは、はっきりとうなずいた。

 「ラーチェは、神ではない」

 そこでいったん言葉を切り、続ける。

 「教義に照らせば、“神の座を脅かすもの”でもある」

 リチャードの目が、わずかに細くなる。

 「では、なぜ村に留めているのです」

 問いは、静かだった。

 だが、その奥には「矛盾を突く」硬さがあった。

 ジョンは、少しだけ視線を落とした。

 「……この村では、ラーチェは、白魔術を補助するものとして働いています」

 リチャードは、笑わなかった。

 代わりに、先ほど井戸端で聞いた言葉を思い出す。

 “教会さまもラーチェさまも、一緒になってうちらを助けてくれてる”

 「あなたの報告書でも、“白魔術の補助存在”と書かれていましたね」

 リチャードは、机の上の紙を軽く指で叩いた。

 「ですが、村人の言い方は少々違います。“教会さまの一部”と」

 ジョンは、目を細めた。

 「そう言いましたか」

 「ええ。無自覚に、ですが」

 リチャードは、肩をすくめるような仕草をした。

 「彼らに悪意はないようです。ただ、“神”と“それ以外”の境目が曖昧になりつつある」

 ジョンは、机の端に置かれた自分の手を、ぎゅっと握った。

 「その危うさは、わたしも理解しています」

 静かな声だった。

 「だからこそ、ラーチェを“神”として扱うことは、断じて認めません」

 「しかし、実際には“さま”づけで呼ばれ、“床の神さま”と囁かれている」

 リチャードは、一歩も引かない。

 「あなたは、それをどこまで許容しているのですか」

 ジョンは、視線をリチャードから外さなかった。

 「許容はしていません」

 はっきりと言う。

 「村全体に浸透する前に、順々に訂正している最中です」

 「訂正」

 リチャードは、またその一語に釘を打つ。

 「どのように」

 「ミサのときに、“神はひとつである”ことを、これまで以上に強く説いています」

 ジョンは、淡々と答える。

 「ラーチェは、“教会が今、借りている手”に過ぎないと」

 「借りている手」

 リチャードは、机に軽く指を置いた。

 「それは、教義にない表現ですね」

 「教義にないからこそ、です」

 ジョンは、逆に踏み込んだ。

 「教義に名のある天使や聖人として語れば、ラーチェを“神の側”に置いてしまうことになる」

 「しかし、実際には」

 リチャードが口を挟もうとしたのを、ジョンは小さく首を振って制した。

 「わたしは、ラーチェを“教義に反するもの”だと理解しています」

 はっきりと言った。

 「白でも黒でもない。教会の文書に載っていないものです」

 リチャードの目が、わずかに見開かれた。

 ジョンは、続けた。

 「だからこそ、“神”でも“聖なるもの”でもないと、村に向かって繰り返し伝えている。あれは、今この村にとって、“白魔術を補助する道具のようなものだ”と」

 “道具”という言葉に、わずかな苦みがにじんだ。

 リチャードは、その細かな揺らぎも逃さない。

 「では、あなたにとってラーチェは、“異端の可能性を持つ道具”ということですか」

 「そうです」

 ジョンは、目を逸らさなかった。

 「教義から見れば、危うい存在です」

 「それでも、あなたは村に留めている」

 「今この村で、あれを排除すれば」

 ジョンは、わずかに声を低くした。

 「川も、土手も、怪我人も、守りを一つ失います」

 「白魔術だけでは、足りないと?」

 「足ります」

 ジョンは、即座に否定した。

 「足りるように、わたしも、アリシアも、メアリーも動いています」

 少しの間をおいて、静かに言葉を足す。

 「ただ、ラーチェがいれば、“余裕”が生まれる」

 「余裕」

 リチャードは、その響きを転がすように繰り返した。

 「余裕があるからこそ、村人は“さま”をつける余裕まで持ち始めているのではありませんか」

 ジョンは、しばらく黙った。

 やがて、ゆっくりとうなずく。

 「……その危険も、分かっています」

 「だからこそ、教区長に報せたのです」

 リチャードの目が、少しだけ細まった。

 ジョンは、続ける。

 「隠せば、もっと悪くなると知っているから」

 ジョンは少し目を伏せて続ける。

「わたしは、ラーチェを“異端ではない”と言いたいのではありません。教義の外にあるものとして、危うさを認めたうえで今この村では、“白魔術を補助するもの”として扱う方針をとっている」

 リチャードは、机の上で指を組んだ。

 「その方針は、教区長が決めるべきことでしょう」

 静かな言葉。

 「あなた一人の裁量で、教義の外の存在の位置づけを決めるのは、いささか僭越ではありませんか」

 ジョンは、その批難を正面から受け止めた。

 「だからこそ、教区長に問うために手紙を書いたのです」

 「今ここで、わたしが一人で“神”と決めることも、“魔”と決めることもできない。村を守りながら、上の判断を待つ。その間に、村人の口から“さま”を外していく」

 リチャードは、しばし黙考した。

 「……訂正は、どこまで進んでいますか」

 「子どもたちには、“ラーチェ”とだけ呼ばせています」

 ジョンは答える。

 「“さま”をつけるたびに、“神さまはひとりだろう”と、ちゃんと話す大人たちには、“ラーチェさま”と言いかけたときに、“ラーチェは教会の道具だ”と、少しきつく言い直している最中です」

 その言葉には、自分でも覚えのある苦さが滲んでいた。

 ラーチェは、道具ではない。

 それでも、村と教会を守るために、その言葉を選ぶしかなかった。

 リチャードは、その矛盾を見逃さなかった。

 だが、今は追い詰めなかった。

 「分かりました」

 彼は、ゆっくりとうなずいた。

 「今のお話も含めて、教区長に報告いたします」

 それは、「まだ断じない」という宣言でもあった。

 ジョンは、小さく頭を下げた。

 「どうか、ベレスフォードの現状を、なるべく正確にお伝えください」

 「ええ」

 リチャードは、静かな目でジョンを見た。

 「“白魔術を補助するものとして扱っている”」

 「“今は村全体には浸透していないが、順に訂正中である”」

 「その二つの言葉を、そのまま記します」

 視線が、机の下の床へと一瞬だけ落ちた。

 黒い輪郭が、影に紛れるように静かに身じろぎする。

 ラーチェは、そこにいた。

 何も語らず。

 ただ、教義の枠の外側で、三人と一匹の日常と、教区からの冷たい視線の両方を、じっと見ていた。


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