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水鏡のメアリー  作者: 風太郎
導流

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25 手紙

  翌日。

 夕の祈りが終わり、村人たちがそれぞれの家へ戻ったあと、教会にはまた静けさが戻っていた。

 アリシアとメアリーは、奥の小部屋で灯りを落とし始めている。

 礼拝堂の片隅では、ラーチェが床に輪になり、ほとんど影と見分けがつかない。

 神父様は、古びた机の前に座っていた。

 一枚の羊皮紙と、インク壺と、羽根ペン。

 宛名のところには、すでに「ロバート教区長殿」と丁寧な文字が書かれている。

 問題は、その下にどう続けるかだった。

 しばらく、神父様は空白を見つめていた。

 やがて、静かにペンをとる。

 まずは、村の状況を書いた。

 嵐と川の氾濫。

 土手の補強。

 倒壊した家。

 足を折った男と、指を挟んだ子ども。

 それらを、できるだけ淡々と、事実だけを並べるように。

 「……ここからだな」

 小さく呟き、ペン先を一度だけインクに浸す。

 「本教会におきましては」

 そう書き出して、少し間を置いた。

 「白魔術の術者三名と、これを補助する特異な存在一体とが、村の保全と治療にあたっております」

 “特異な存在一体”。

 ラーチェの名は、この一行の中に押し込められた。

 「当該存在は、姿かたちこそ獣に似ておりますが」

 神父様は、ラーチェの輪郭を横目で見ながら書き進める。

 「その働きは一貫して、白魔術の効果を補助し、これを底支えするものと見受けられます」

 “補助”。

 “底支え”。

 軍の報告書に載るような「戦闘力」や「危険性」という言葉から、あえて遠ざかる言い回しばかりを選んだ。

 「具体的には、白魔術により固定された骨折部位において、浮腫および熱の過剰な集積を抑えるような働きが観察されました」

 神父様は、できるだけ中立的な語を選ぶ。

 「抑える」「観察された」。

 「足の壊死を防いだ」とは書かない。

 「奇跡的な治癒」とも書かない。

 ただ、「白魔術による処置の結果を、良好な方向へと導く補助的な作用」と表現した。

 「また、当該存在は自律行動をとるものの、現時点で攻撃性や敵意は確認されておらず、白魔術行使者の指示に従い、教会内に留まっております」

 「従い」という言葉を、ほんの一瞬ためらう。

 ラーチェは、本当の意味で「従って」いるわけではない。むしろこちらが理解できない行動をすることも多々ある。

 何だか柱に張り付いて身体を曲げたり下ろしたりとか、身体をリズムよく揺らしてみたりだとか、コウモリの羽のようなものを出して羽ばたいてみたりだとか……

 しかし、少なくとも今のところ、暴れまわったり、村人を襲ったりといった事実はない。

 教会上層部に最初に伝える情報としては、「制御不能な怪物」ではないと明示しておく必要があった。

 「その性質上、白魔術の行使を補助する“器具”ないし“補助存在”として扱うことが妥当かと愚考いたします」

 “魔”。

 “怪”。

 “異形”。

 そういった語を、すべて避けた。

 代わりに、「器具」「補助存在」という、どちらかといえば無機質な表現を重ねる。

 白魔術の杖や聖具と同じ欄に並べられるように。

 「なお、当該存在の働きにより、村の負傷者二名において、従来の経験よりも速やかな回復が見られておりますが」

 そこで、ペン先が一瞬止まる。

 「これはあくまで白魔術による処置を主とし、その補助効果と見なすべきものと考えます」

 村人が口にし始めた「ラーチェさま」という二文字は、どこにも書かなかった。

 村人が抱き始めている信仰の色も、報告書の中からは完全に抜き取った。

 教会上層部が最初に見るべきなのは、「教会の白魔術を支える補助要素」であって、「新しい神」ではない。

 神父様は、一度目を閉じた。

 そこまで書き上げてから、ようやく大きく息を吐く。

 最後に、自然災害が続いたことによる村の疲弊と、今後も白魔術による支援を続ける決意を短く添えた。

 文末に、ベレスフォード領教会司祭ジョンと自分の名を書き入れる。

 「……これでいいとは限らないが」

 小さく呟きながら、神父様は手紙を読み返した。

 ラーチェを、「白でも黒でもない何か」としてではなく、

 「白魔術を補助するために観察中の特異な存在」

 として紹介する文になっている。

 上層部が「即時排除」を命じる可能性を、少しでも減らすために。

 かといって、完全に隠すこともしていない。

 存在を伏せておいて後から発覚した場合の方が、村にとっては致命的だ。

 村の状態を優先しつつ、ラーチェ自身が「教会にとって有用なもの」と見なされるように。

 そのぎりぎりの線を狙った文面だった。

 封筒に手紙を入れ、封蝋を落とす。

 教会の紋章を押しつけると、蝋が静かに固まる。

 それを見届けてから、神父様はようやく椅子の背にもたれた。

 足元で、ラーチェが輪郭をわずかに震わせる。

 「お前が、ただの“補助具”でないことは、わたしが一番よく知っている」

 神父様は、誰にも聞こえない声で言った。

 「だが今は、その言葉を借りるしかない」

 ラーチェは、何も答えない。

 ただ、封をされた手紙の影の上に、そっと身を重ねた。

 それはまるで、「ここから先は、お前たちの言葉の世界だ」とでも言いたげな、静かな動きだった。

 翌朝。

 神父様は、その手紙を町へ向かう行商人に託した。

 村の空は、ようやく晴れ間が続き始めていた。

 けれど、教会の中には、新しい波がいつか届く予感が、かすかに漂い始めていた。


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