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水鏡のメアリー  作者: 風太郎
導流

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23 勲章

 倒壊した家から救い出した男は、数日間、教会で寝起きを共にした。

 最初の二日は、ほとんど寝台から起き上がれなかった。

 折れた足は熱を持ち、夜にはずきずきと痛んでいるようだった。

 ラーチェは、そのあいだずっと、寝台の足元で身体を黒い板のように薄く広げていた。

 ときどき、包帯の上に足先をそっと乗せる。

 触れたところだけ、ふっと少し元の色に戻る。

 むくみでぱんぱんに張りつめていた皮膚が、ほんの少しずつ、元の張りに近づいていく。

 包帯の下で、炎症の熱が強いところほど、触れたときにラーチェの身体がやや白っぽく光っていた。

 けれど、その意味を、神父様も、アリシアも、わたしも知らなかった。

 ただ、「足先の色が悪くならない」「熱が上がり過ぎない」という結果だけを見ていた。

 男の子の中指も、同じころに、最初の夜を越えた。

 母親に連れられていったん家に戻り、その日のうちにもう一度教会へ来た。

 「痛みはどう?」

 わたしが聞くと、男の子は少し考えてから答えた。

 「昨日より、ちょっとだけまし」

 指はまだ腫れている。

 けれど、包帯の下の色は、どす黒くはなっていなかった。

 アリシアが包帯をほどき、木片ごとそっと外す。

 「動かさないでね」

 中指は、まだまっすぐとは言えなかった。

 けれど、最初に見たときのような、あからさまな“くの字”ではなくなっていた。

 わたしは、一本の白い糸で骨の輪郭をなぞる。

 「昨日より、ずれが少なくなっています」

 そう言うと、アリシアは小さく息を吐き、再び木片と包帯で固定し直した。

 「毎日、少しずつ確かめていく」

 神父様が母親に伝える。

 「ここに通ってくれれば、そのたびに見ていける」

 母親は何度も頭を下げた。

 教会では、その後も、足の男と指の子どもを交互に見る日々が続いた。

 ある朝、男の足の包帯を替えるとき、神父様は、少し長く沈黙した。

 「どうですか」

 アリシアがそっと尋ねる。

 「骨は、まだ完全にはくっついていない」

 神父様は言った。

 「だが、周りの筋肉と皮膚が、“この形”を受け入れ始めている」

 わたしも、白い糸で骨の周りをなぞった。

 最初のころに感じた、ぐらぐらとした不安定さは、かなり薄れていた。

 「そろそろ、起き上がってもらおう」

 神父様はそう言って、寝台の脇に立った。

 「いきなり歩くのは無理だ。だが、足を地面に“置いてみる”ところから始める」

 男は、額に汗をにじませながら、起き上がった。

 ラーチェが、そっと寝台の下から離れる。

 わずかによろめいた体を、神父様とアリシアが両側から支えた。

 「地面に着けるのが怖かったら、教えてください。」

 アリシアが声をかける。

 男は、小さく頷いた。

 白い板と包帯で守られた足を、ゆっくりと床に降ろす。

 最初は、指先だけ。

 それから、かかと。

 重さをかけると、板の内側がふくらはぎに沿って受け止めてくれる。

 「……折れたところに、直接重さが来ない感じがします」

 男が、驚いたように言った。

 「膝と太ももで、多くを受けている。板と包帯が、その橋渡しをしている」

 神父様は、男の背を支えながら説明した。

 その日のうちに、アリシアと神父様は、外に出て細い木を何本か選んだ。

 アリシアが木目を見て密度を調整し、神父様が少しだけ曲げて、男の肩の高さに合わせる。

 「松葉杖?」

 わたしが尋ねると、神父様は頷いた。

 「足だけではなく、腕と肩にも重さを分けてやる道具だ」

 アリシアは、杖の先に当たる部分だけ、少し強めに魔力を通した。

 地面と何度もぶつかる場所だからだ。

 反対に、脇で支える部分には、あえて柔らかさを残す。

 重さは受けるが、骨を痛めない程度の固さで止める。

 男は、まだおぼつかない足取りで、教会の中を何歩か進んだ。

 それでも、「歩ける」という事実が、彼の顔に少しずつ色を戻していった。

 数日後には、教会から自分の家まで、ゆっくりとではあるが、戻れるようになった。

 「無理をするな」

 送り出すとき、神父様は何度も念を押した。

 「板と杖は、お前の足が本当に治るまでの“仮の骨”だ。忘れるな」

 男は、深く頭を下げ、松葉杖をついて家路についた。

 そのころ、指の男の子は、毎日のように教会に通っていた。

 包帯を替えるたびに、アリシアとわたしは骨の線を確かめる。

 母親は、初めこそ不安そうに見守っていたが、数日もすると、別のことに気づき始めた。

 「……あの、この子の指」

 ある日、包帯をほどいたとき、母親が小さく言った。

 「前に、別の子が同じように指を折ったのを見たことがあるんですけど」

 言い淀みながら、続けた。

 「その子は、もっと長いあいだ腫れが引かなかったような」

 男の子の中指は、まだ少し太い。

 けれど、最初の張り詰めたような腫れ方は、もうどこにもなかった。

 軽く触っても、指先まで温かい。

 「早い方かもしれません」

 アリシアが、慎重に答える。

 「この子自身の体の強さもあるでしょうし、毎日通ってくれているおかげでもあります」

 わたしは、白い糸で骨の線をなぞった。

 折れた部分には、まだ段差がある。

 けれど、その段差の周りに、新しい骨の薄い帯が少しずつ増えているのが分かった。

 「……ねえ」

 男の子が、包帯を巻き直しているあいだに呟いた。

 「指、前とまったく同じには戻らない?」

 アリシアは、一瞬だけ言葉を探した。

 「少し、曲がったままになるかもしれない」

 正直にそう伝える。

 「でも、その曲がり方は、“ここまで頑張ってくっついた”っていう形そのものだから」

 男の子は、自分の指をじっと見た。

 「勲章、みたいな?」

 「そうだね」

 わたしが答えた。

 「嵐のあとに、片づけを手伝っててできた勲章」

 母親が、少し笑った。

 「そんなふうに言ってもらえたら、この子も指を見て泣かなくて済みそうです」

 数日が経つうちに、村の大人たちも気づき始めた。

 「あの足の人、思ったより早く杖で歩いてるな」

 「子どもの指も、あれだけ挟んだのに、もう腫れが引いてきてる」

 ぽつりぽつりと、そんな声が聞こえる。

 誰も、「魔力があるから」とは簡単には言わなかった。

 ただ、アリシアの板と包帯、神父様の形を合わせる白、わたしの細い糸、そしてラーチェの知られない冷たさが、今まで見たことのない速さで、二人の体を「日常に戻る場所」へ押し戻していることだけは、村の目にも確かだった。

 足の男は、やがて畑の端までなら、自分の足で立って見に行けるようになった。

 指の男の子は、包帯が外れるころには、曲がったままの中指を友達に見せては、「これは俺の嵐の勲章だ」と、少し得意げに笑うようになっていた。


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