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水鏡のメアリー  作者: 風太郎
導流

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22/47

21 芯

 ビショビショになった身体を拭いて療養所に戻ると、 神父様とラーチェは、すでに男の足の周りを念入りに調べ終えていた。

 神父様は、折れた骨の角度と、どこに力がかかればさらに悪化するかを、 白い糸をほんのわずかだけ通して確かめていた。

 ラーチェは、寝台の下から黒い糸を細く伸ばし、 骨の隙間、筋の張り、血の流れの滞りを、 まるで“匂いを嗅ぐ”ように探っていた。

 「……ここが一番危ないな」

 神父様が、折れた骨の端に沿って指を置くと、 ラーチェの輪郭がかすかに震えた。

 それは「そこは触るな」「そこは支えろ」と言っているようだった。

 「メアリー。戻ったか」

 神父様は、わたしに気づくと、 ようやく“治療の手順に入れる”という顔をした。

 倒壊した家から運び込んだ男は、そこの一番手前の寝台に寝かされた。

 右足は添え木で固定され、胸にも打撲の跡が残っている。

 神父様は、アリシアとわたしを振り返る。

 「ここからは、道具と手の仕事だ。アリシア、お前の出番が多い」

 アリシアは小さく頷いた。

 腕と脚の中に通した白魔力は、まだ薄く残っている。

 けれど、今度は筋肉を動かすためではなく、“物”を扱うために使わなければならない。

 「まずは、添え木と包帯をもう一度調整する」

 神父様はそう言って、棚から木の板と布を取り出した。

 板は、どれもそこまで丈夫ではない。

 これで男の足を支えるには、少し心許ない。

 「アリシア」

 神父様が、板の一本を差し出した。

 「魔力を通してみなさい。ただし、“壊さないように”だ」

 アリシアは、板を両手で持った。

 目を閉じ、静かに息を吸う。

 彼女の白い魔力が、指先から板の中へと染み込んでいく。

 わたしには、それが薄い霧のように見えた。

 ただし、霧は均一ではない。

 板の端の方では、すぐに薄く散っていく。

 真ん中に近いところには、少し濃く、粘度を持って集まっていく。

 「木目の向きと、節の位置を感じろ」

 神父様の声が飛ぶ。

 「節の回りは、あまり厚く塗るな。逆に、素直な木目のところは、少し濃くしていい」

 アリシアは、小さく頷いた。

 白い魔力の“密度”が、板の中で変わっていく。

 節の回りでは、わざと薄く、さらりと流す。

 真っ直ぐな線の部分には、筋のように濃い白を通す。

 まるで、見えない漆を、場所によって厚さを変えながら塗っているようだった。

 「あのっ強くし過ぎると、どうなりますか」

 わたしが尋ねると、神父様は即座に答えた。

 「木の限界を越えて固くすれば、力がかかったとき、柔らかい部分から先に割れる。つまり、一番守りたいところから折れる」

 アリシアの指先が、一瞬だけ震えた。

 だが、すぐにまた、白い筋を慎重に通し直す。

 「“この板全体を固くする”と思うな」

 神父様は続ける。

 「“折れてほしくない場所の回りだけ、少し芯を増やす”と思え」

 アリシアの魔力が、その言葉に応えるように変わる。

 板の真ん中を一本の棒のように固めるのではなく、

 足の骨を包む位置に合わせて、いくつかの帯のように集中していく。

 「……こんな感じでしょうか」

 アリシアが目を開ける。

 神父様は板を受け取り、指で軽く叩いた。

 コツ、コツ。

 自然な木より、わずかに高い音。

 だが、石のような硬さではない。

 「今はこれでいい」

 神父様は、板の端を見つめながら言った。

 「だが、このままでは“ただのまっすぐな板”だ。人の足は、こんなに素直ではない」

 そう言って、板を男の足の横にそっと当ててみる。

 板と足首の間に、いくつもの隙間ができた。

 ふくらはぎのふくらみ、足首のくびれ、かかとの丸み。

 そのどれにも、板はきちんと沿っていない。

 「ここからは、わたしの仕事だ」

 神父様は、板からほんの少しだけ白い糸を引き出した。

 アリシアが通した白い魔力は、そのまま残したまま。

 その上から、ごく薄く、「形を変えるための白」を重ねる。

 「硬くした木を、まだ少しだけ“粘土”に戻す感じで見なさい」

 そう言って、板の内側に手を沿わせた。

 白い糸が、板の片面だけを柔らかくする。

 外側は硬いまま。

 内側だけ、ゆっくりと曲がる余地を残した。

 神父様は、その柔らかくなった面を男の足に押し当てた。

 ふくらはぎの丸みに合わせて、板の内側がわずかに沈む。

 足首のくびれに沿って、板がゆっくりとくびれる。

 かかとの形に沿って、下の方が少しだけ反る。

 「強くし過ぎたら、骨を押し潰すだけだからな」

 神父様は、板の動きをよく見ながら、白い糸の量を細かく調整していた。

 内側だけを、少しずつ曲げる。

 外側の硬さは、アリシアの魔力がそのまま支えている。

 やがて、板は一本の棒ではなく、「男の足の線に沿う殻」のような形になった。

 神父様は、手を離し、白い糸を板からゆっくり抜き取る。

 内側の柔らかさが固まり、形が定まった。

 「これで、“この人の足専用の板”になった」

 神父様は、板を軽く持ち上げ、再び音を確かめた。

 コツ、と高めの音が返ってくる。

 だが、さきほどよりも、どこか芯が分厚くなったような響きだった。

 「アリシア、再確認だ」

 板を渡され、アリシアはもう一度、白魔力を通した。

 今度は、形の違いを確かめるように、内側の曲がり方に沿って魔力を流す。

 「硬さは足りていますか」

 「充分だ」

 神父様は、男の足の下に板を滑り込ませた。

 内側の曲面が、ふくらはぎからかかとまで、ぴたりと沿う。

 板と肌の間に、大きな隙間はない。

 そのうえで、アリシアは包帯を手に取った。

 さきほど魔力を通しておいた布だ。

 「ここからが、お前の“壊さない仕事”だ」

 神父様が、包帯を巻いていく位置を指でなぞる。

 「板と足を一緒に固定するが、締め過ぎれば血を止める。緩すぎれば骨が揺れる」

 アリシアは、小さく息を吐き、包帯を男の足に当てた。

 最初の一巻きは、足首の少し上から。

 その回りに、ごく薄く白魔力を通す。

 布全体ではなく、「引っ張りを受ける線」にだけ、密度を少し増やす。

 次の一巻きは、板とふくらはぎの境目を押さえる位置。

 そこに、ほんの少しだけ濃い白を乗せる。

 結び目の周りには、あえて白を薄くする。

 「板と足が一緒に動いて、“骨だけが遅れて動く”ことがないように」

 アリシアは、巻きながら小さく呟いた。

 包帯の重なり方に合わせて、魔力の濃淡を変えていく。

 きつく締める部分には、布自体の強さを少しだけ上げる。

 肌に近いところでは、あえて柔らかさを残す。

 最後の結び目を作るとき、アリシアは、そこにほとんど魔力を通さなかった。

 「ここは、あとで解けるようにしておきたいので」

 そう言うと、神父様は「それでいい」と頷いた。

 男の足全体を支える装具が、ようやくひとつの形になった。

 内側は、神父様が形を合わせた板の面。

 外側は、アリシアが密度を調整した包帯の帯。

 その間を、わたしの細い白い糸が、ときどきなぞって確かめる。

 板が足の線に沿っているか。

 包帯が、変なところで血を止めていないか。

 ラーチェは、寝台の下から、黒い触手を1本伸ばし、“重さのかかり方”を静かに探っていた。

 「これで、動かせない足を、少しだけ動かせるようにしておいた」

 神父様は、全体を一度見渡してから、そう結んだ。

 「完全には治せない。だが、これ以上悪くならないように、今のこの人に合わせて形を決めた」

 アリシアは、自分の手を見つめていた。

 硬くするだけなら、もっと簡単だったはずだ。

 けれど、“壊さないように”という条件がつくと、魔力の濃淡と形の両方を見なければならない。

 板を強くした場所。

 神父様が曲げた内側の形。

 包帯に通した白の帯。

 それらが、ひとつの「密度と形の地図」として、彼女の中に刻まれていく。

 「アリシア」

 神父様が、穏やかに呼びかけた。

 「今やったことは、剣や槍にも応用できる。刃や柄を壊さずに力を通すには、“どこまで形を変えてよくて、どこで止めるべきか”を知らなければならない」

 アリシアは、短く息を飲み、それから小さく頷いた。

 「今日の板のこと、忘れません」

 その横で、わたしは男の足からそっと手を離した。

 自分の白い糸は、どこまでも“線”としてしか流せない。

 けれど、その外側で形と密度を整えてくれる誰かがいれば、

 わたしはもっと細かいところに、安心して糸を通せる。

 ラーチェは、その全部を下から眺めていた。

 黒い糸で、板、布、骨、筋、血の流れを一緒に嗅ぎ分けながら。

 アギューの夏と、嵐の夜と、倒れた家。

 それぞれの場面で、「人に合わせて形や濃さを変える白」が、少しずつ増えていくのを感じた。


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