21 芯
ビショビショになった身体を拭いて療養所に戻ると、 神父様とラーチェは、すでに男の足の周りを念入りに調べ終えていた。
神父様は、折れた骨の角度と、どこに力がかかればさらに悪化するかを、 白い糸をほんのわずかだけ通して確かめていた。
ラーチェは、寝台の下から黒い糸を細く伸ばし、 骨の隙間、筋の張り、血の流れの滞りを、 まるで“匂いを嗅ぐ”ように探っていた。
「……ここが一番危ないな」
神父様が、折れた骨の端に沿って指を置くと、 ラーチェの輪郭がかすかに震えた。
それは「そこは触るな」「そこは支えろ」と言っているようだった。
「メアリー。戻ったか」
神父様は、わたしに気づくと、 ようやく“治療の手順に入れる”という顔をした。
倒壊した家から運び込んだ男は、そこの一番手前の寝台に寝かされた。
右足は添え木で固定され、胸にも打撲の跡が残っている。
神父様は、アリシアとわたしを振り返る。
「ここからは、道具と手の仕事だ。アリシア、お前の出番が多い」
アリシアは小さく頷いた。
腕と脚の中に通した白魔力は、まだ薄く残っている。
けれど、今度は筋肉を動かすためではなく、“物”を扱うために使わなければならない。
「まずは、添え木と包帯をもう一度調整する」
神父様はそう言って、棚から木の板と布を取り出した。
板は、どれもそこまで丈夫ではない。
これで男の足を支えるには、少し心許ない。
「アリシア」
神父様が、板の一本を差し出した。
「魔力を通してみなさい。ただし、“壊さないように”だ」
アリシアは、板を両手で持った。
目を閉じ、静かに息を吸う。
彼女の白い魔力が、指先から板の中へと染み込んでいく。
わたしには、それが薄い霧のように見えた。
ただし、霧は均一ではない。
板の端の方では、すぐに薄く散っていく。
真ん中に近いところには、少し濃く、粘度を持って集まっていく。
「木目の向きと、節の位置を感じろ」
神父様の声が飛ぶ。
「節の回りは、あまり厚く塗るな。逆に、素直な木目のところは、少し濃くしていい」
アリシアは、小さく頷いた。
白い魔力の“密度”が、板の中で変わっていく。
節の回りでは、わざと薄く、さらりと流す。
真っ直ぐな線の部分には、筋のように濃い白を通す。
まるで、見えない漆を、場所によって厚さを変えながら塗っているようだった。
「あのっ強くし過ぎると、どうなりますか」
わたしが尋ねると、神父様は即座に答えた。
「木の限界を越えて固くすれば、力がかかったとき、柔らかい部分から先に割れる。つまり、一番守りたいところから折れる」
アリシアの指先が、一瞬だけ震えた。
だが、すぐにまた、白い筋を慎重に通し直す。
「“この板全体を固くする”と思うな」
神父様は続ける。
「“折れてほしくない場所の回りだけ、少し芯を増やす”と思え」
アリシアの魔力が、その言葉に応えるように変わる。
板の真ん中を一本の棒のように固めるのではなく、
足の骨を包む位置に合わせて、いくつかの帯のように集中していく。
「……こんな感じでしょうか」
アリシアが目を開ける。
神父様は板を受け取り、指で軽く叩いた。
コツ、コツ。
自然な木より、わずかに高い音。
だが、石のような硬さではない。
「今はこれでいい」
神父様は、板の端を見つめながら言った。
「だが、このままでは“ただのまっすぐな板”だ。人の足は、こんなに素直ではない」
そう言って、板を男の足の横にそっと当ててみる。
板と足首の間に、いくつもの隙間ができた。
ふくらはぎのふくらみ、足首のくびれ、かかとの丸み。
そのどれにも、板はきちんと沿っていない。
「ここからは、わたしの仕事だ」
神父様は、板からほんの少しだけ白い糸を引き出した。
アリシアが通した白い魔力は、そのまま残したまま。
その上から、ごく薄く、「形を変えるための白」を重ねる。
「硬くした木を、まだ少しだけ“粘土”に戻す感じで見なさい」
そう言って、板の内側に手を沿わせた。
白い糸が、板の片面だけを柔らかくする。
外側は硬いまま。
内側だけ、ゆっくりと曲がる余地を残した。
神父様は、その柔らかくなった面を男の足に押し当てた。
ふくらはぎの丸みに合わせて、板の内側がわずかに沈む。
足首のくびれに沿って、板がゆっくりとくびれる。
かかとの形に沿って、下の方が少しだけ反る。
「強くし過ぎたら、骨を押し潰すだけだからな」
神父様は、板の動きをよく見ながら、白い糸の量を細かく調整していた。
内側だけを、少しずつ曲げる。
外側の硬さは、アリシアの魔力がそのまま支えている。
やがて、板は一本の棒ではなく、「男の足の線に沿う殻」のような形になった。
神父様は、手を離し、白い糸を板からゆっくり抜き取る。
内側の柔らかさが固まり、形が定まった。
「これで、“この人の足専用の板”になった」
神父様は、板を軽く持ち上げ、再び音を確かめた。
コツ、と高めの音が返ってくる。
だが、さきほどよりも、どこか芯が分厚くなったような響きだった。
「アリシア、再確認だ」
板を渡され、アリシアはもう一度、白魔力を通した。
今度は、形の違いを確かめるように、内側の曲がり方に沿って魔力を流す。
「硬さは足りていますか」
「充分だ」
神父様は、男の足の下に板を滑り込ませた。
内側の曲面が、ふくらはぎからかかとまで、ぴたりと沿う。
板と肌の間に、大きな隙間はない。
そのうえで、アリシアは包帯を手に取った。
さきほど魔力を通しておいた布だ。
「ここからが、お前の“壊さない仕事”だ」
神父様が、包帯を巻いていく位置を指でなぞる。
「板と足を一緒に固定するが、締め過ぎれば血を止める。緩すぎれば骨が揺れる」
アリシアは、小さく息を吐き、包帯を男の足に当てた。
最初の一巻きは、足首の少し上から。
その回りに、ごく薄く白魔力を通す。
布全体ではなく、「引っ張りを受ける線」にだけ、密度を少し増やす。
次の一巻きは、板とふくらはぎの境目を押さえる位置。
そこに、ほんの少しだけ濃い白を乗せる。
結び目の周りには、あえて白を薄くする。
「板と足が一緒に動いて、“骨だけが遅れて動く”ことがないように」
アリシアは、巻きながら小さく呟いた。
包帯の重なり方に合わせて、魔力の濃淡を変えていく。
きつく締める部分には、布自体の強さを少しだけ上げる。
肌に近いところでは、あえて柔らかさを残す。
最後の結び目を作るとき、アリシアは、そこにほとんど魔力を通さなかった。
「ここは、あとで解けるようにしておきたいので」
そう言うと、神父様は「それでいい」と頷いた。
男の足全体を支える装具が、ようやくひとつの形になった。
内側は、神父様が形を合わせた板の面。
外側は、アリシアが密度を調整した包帯の帯。
その間を、わたしの細い白い糸が、ときどきなぞって確かめる。
板が足の線に沿っているか。
包帯が、変なところで血を止めていないか。
ラーチェは、寝台の下から、黒い触手を1本伸ばし、“重さのかかり方”を静かに探っていた。
「これで、動かせない足を、少しだけ動かせるようにしておいた」
神父様は、全体を一度見渡してから、そう結んだ。
「完全には治せない。だが、これ以上悪くならないように、今のこの人に合わせて形を決めた」
アリシアは、自分の手を見つめていた。
硬くするだけなら、もっと簡単だったはずだ。
けれど、“壊さないように”という条件がつくと、魔力の濃淡と形の両方を見なければならない。
板を強くした場所。
神父様が曲げた内側の形。
包帯に通した白の帯。
それらが、ひとつの「密度と形の地図」として、彼女の中に刻まれていく。
「アリシア」
神父様が、穏やかに呼びかけた。
「今やったことは、剣や槍にも応用できる。刃や柄を壊さずに力を通すには、“どこまで形を変えてよくて、どこで止めるべきか”を知らなければならない」
アリシアは、短く息を飲み、それから小さく頷いた。
「今日の板のこと、忘れません」
その横で、わたしは男の足からそっと手を離した。
自分の白い糸は、どこまでも“線”としてしか流せない。
けれど、その外側で形と密度を整えてくれる誰かがいれば、
わたしはもっと細かいところに、安心して糸を通せる。
ラーチェは、その全部を下から眺めていた。
黒い糸で、板、布、骨、筋、血の流れを一緒に嗅ぎ分けながら。
アギューの夏と、嵐の夜と、倒れた家。
それぞれの場面で、「人に合わせて形や濃さを変える白」が、少しずつ増えていくのを感じた。




