ep.7
「ユハト様、人間界の商人ギルド連合から、新たな『経済顧問』が挨拶に伺いたいと申し出ております。なんでも、これまでの物流システムを根本から破壊し、新たな『効率的労働環境』を魔界にも導入したいとか」
リナリアが報告する傍らで、俺は人間界の高級ソファーに深く沈み込んでいた。平和条約の調印後、俺の元には「利権」を求める人間たちが絶え間なく押し寄せている。だが、今日の報告には、俺の背筋に冷たいものが走るような、嫌な予感があった。
「効率的労働環境? リナリア、それってまさか……」
「はい。彼らはそれを『24時間365日、魔王軍をフル稼働させる魔法のシステム』と呼んでいるようです。指導者として名乗りを上げたのは、人間界でも指折りの豪商、サトウ・ブラック氏です」
(サトウ……ブラック……だと?)
俺の脳裏に、前世の記憶が鮮明に蘇る。
あの、窓のないオフィス。鳴り止まない電話。そして、「お前の代わりはいくらでもいる」「死ぬ気でやれば死なない」と笑いながらサービス残業を強要してきた、あのクソ社長の顔。
名前こそ違うが、その響きにはあの男と同じ、強欲と搾取の臭いがプンプンした。
「……会うよ。そのサトウって男に。今すぐこの城の謁見の間に連れてきて」
「珍しいですね、ユハト様がこれほど即断されるなんて。てっきり『寝てるから追い返せ』と仰るかと」
「ああ、ちょっと……昔の貸しを、別人に返したくなったんだ」
謁見の間に現れた男は、案の定、不敵な笑みを浮かべていた。
仕立ての良い高級スーツを纏い、脂ぎった顔を隠そうともせず、俺を「商品」でも見るような目で見つめている。
「初めまして、魔王の御子ユハト様! 私は商人ギルドのサトウと申します。いやぁ、お噂はかねがね! 勇者を使い、神をも動かすその『リソース管理能力』、素晴らしい! だが、実にもったいない! そのコネがあれば、もっと世界を効率化し、利益を最大化できるはずです!」
サトウは流暢な口調で、勝手にプレゼンテーションを始めた。彼が広げた羊皮紙には、恐ろしい計画が記されていた。
魔界の労働力を24時間シフトで人間界のインフラ整備に回し、その対価として魔王軍の軍事費を商人ギルドが「管理(搾取)」するという、現代で言うところのアウトソーシングという名の奴隷契約だ。
「見てください、このグラフを! 睡眠時間をあと四時間削れば、生産性は三割向上します! 休息? それは甘えです。ユハト様、あなたのようなリーダーこそ、率先して背中を見せるべきだ! さあ、まずはこの『24時間労働合意書』にサインを!」
俺は、静かにサトウの顔を見つめた。
前世の社長と瓜二つの、あの「自分は正しいことをしている」と信じて疑わない傲慢な瞳。
こいつは、俺が一番嫌いな種類の人間だ。
自分が動かず、他人の時間と命を数字に変えて食い繋ぐ寄生虫。
「サトウさん。あんた、面白いことを言うね。……でも、一つ忘れてるよ」
「おや、何でしょう? 私の提案に何か不備が?」
「ここがどこで、俺が誰の息子かってことだ。あと、俺が何よりも『労働』を憎んでるってこともね」
俺は、おもむろに手元の魔石を握りつぶした。
それは、親父――魔王ガラムを呼び出すための緊急連絡用魔道具だ。通常の緊急事態ではなく「俺の気分が悪い」という理由で使うのは初めてだが、今はこの力がふさわしい。
「ユハトォォォォ! 誰だ、我が息子を不快にさせた不届き者はぁぁぁ!」
次の瞬間、謁見の間の壁が文字通り「粉砕」された。
親父が空間転移ではなく、怒りに任せて物理的に壁を突き破って現れたのだ。その背後には、天を焦がすような漆黒の魔力の波動が渦巻いている。
「ひ、ひえぇぇっ!? ま、魔王ガラム……!?」
サトウが腰を抜かして床にへたり込む。
親父は、床に散らばった計画書を一瞥し、その内容を瞬時に理解した。魔王は、俺に対しては親バカだが、部下を愛する領主でもある。そして何より、息子の安眠を妨げる「労働」という概念を最も嫌っていた。
「……貴様か。我が息子に『働け』などという呪いの言葉を吐いたのは」
「あ、いや、これはビジネスで……ウィンウィンな関係を築こうと……!」
「ウィンウィン? 知らんな。我が魔界のルールは一つだ。『ユハトが寝る時間は、世界が止まる時間』だ。貴様はその時間を奪おうとした。これは、我ら一族に対する宣戦布告と見なす」
親父の指先から、黒い稲妻が走る。
だが、俺はそれを手で制した。
「待って、親父。殺すのはもったいない。……サトウさん。あんた、『効率』が好きだったよね? だったら、あんた自身の人生でそれを証明してもらうよ」
俺は、横に控えていたリナリアと、そして窓の外からこちらを覗いていた天使セラフィムに指示を出した。
「セラフィム、神様に連絡して。この男の商人ギルドとしての資産、および人間界での全信用を『神の意志』として凍結させて。不当な搾取による利益は、天界の浄化対象だろ?」
「御意に! ルミナリス様も、このような強欲な魂は、天界の庭園の『肥料』にさえならないと仰るでしょう!」
「そ、そんな!? 私の資産が……! 私がこれまで築き上げた富が……!」
「まだ終わらないよ、サトウさん。リナリア、親父のコネで魔界の最深部にある『絶叫の監獄』を貸し出して。そこに、彼専用の『24時間365日休みなしの、岩削り工場』を作って。あんたが作ったあの効率的なシフト表通りに、あんた自身が働いてもらうんだ。あ、管理職だから休憩はいらないよね?」
サトウの顔から血の気が引いていく。
自らが他人に強いてきた地獄を、今度は自分が背負わされる。しかも、監視役は眠る必要のない魔族の精鋭たちだ。
「あ、ああああ……やめてくれ! 私はただ、社会を良くしようと……!」
「社会じゃなくて、あんたの財布だろ。……連れて行って。あ、あとアリア。あんた、元勇者として彼が隠し持ってた裏帳簿、全部ギルドにバラしといて。あんたの正義感、ここで使いなよ」
「……ふん。言われなくてもそうするわよ。こういう奴、一番嫌いなの! 聖剣で叩き切るより、社会的地位を抹殺するほうがよっぽど気分がいいわ!」
アリアがサトウの襟首を掴み、引きずり出していく。
セラフィムがその上空から光を放ち、サトウの罪状を世界中に宣伝するスピーカー役を務めながら、彼を魔界の底へと連行していった。
騒がしい「ブラック社長」が去り、謁見の間には再び静寂が戻った。破壊された壁からは、心地よい風が吹き込んでくる。
「ユハト、大丈夫だったか? 心配なら、人間界の商人共を全滅させてきてもいいのだぞ?」
「いいよ親父。そんなことしたら、美味しいスイーツが届かなくなる。……それより親父、壁、直しておいてね。風通しが良すぎて昼寝しにくいから」
「ははは! お安い御用だ! リナリア、今すぐ魔界一の大工を呼べ! 息子に最適な『最強の防音壁』を作らせるのだ!」
俺は、再びソファーに身を沈めた。
前世のトラウマだった「ブラックな存在」を、親父のコネと、神様のコネと、四天王の暴力で粉砕したことで、心の底からスッキリしていた。
やっぱり、自力で戦わなくて正解だ。
嫌な奴は、自分より強い誰かに倒してもらえばいい。
それが、俺が辿り着いた究極の効率化なのだから。
「あー……。これでやっと、ゆっくり寝られる」
俺は目を閉じ、再び夢の中へと旅立った。
そこには、メンテナンスを終えたばかりの神様が、俺のために「安眠用の新曲」を用意して待っているはずだった。
一方、魔界の最深部――『絶叫の監獄』。
かつての大商人サトウは、重いハンマーを握らされ、終わりのない岩削りに従事していた。
「休憩を……せめて、五分だけでも休憩を……!」
「何を言っている。お前の書いた計画書には『やる気があれば疲労は感じない』と書いてあったぞ。さあ、効率を上げろ。次の生産ノルマは今の二倍だ」
監視役の魔族が、サトウがかつて部下に放った言葉をそのまま投げ返す。
サトウの悲鳴が暗い坑道に響き渡るが、それを助ける者は誰もいない。
彼が奪ってきた「他人の時間」は、今度は彼自身の「永遠の労働」となって、その身を焼き続けるのであった。




