ep.2
「ユハト様、こちらが今月分の『親子の絆(お小遣い)』でございます」
目の前に置かれたのは、魔界の希少金属である黒金貨が山積みになった袋だ。
一つあれば、人間界の村を丸ごと買い取れる価値がある。それが十袋。
「お小遣い……? 親父、これじゃ昼寝用のハンモックを新調するくらいにしかならないよ」
俺は欠伸をしながら、贅沢に慣れきった口調で不満を漏らす。
実際には一生遊んで暮らせる額だが、ここで「十分だ」なんて言ったら「努力して稼ぐこと」を期待されてしまう。常に「もっと寄越せ、もっと楽をさせろ」と要求し続けるのが、最強のニート道を往く者の嗜みだ。
「はっはっは! 流石は我が息子、器がデカい! よし、では次の遠征で人間界の聖都を落とした暁には、その国庫を丸ごとくれてやろう!」
親バカ魔王・ガラムは、俺のふてぶてしい態度にさえ感涙している。
だが、俺は「聖都を落とす」という物騒な単語に反応した。
「親父、戦争なんて面倒なことしないでよ。軍勢が動くと足音がうるさくて、俺の安眠が妨げられる」
「ぬ……しかし、あの聖都の連中は、我らが魔界の領土にちょっかいを出してきておるのだぞ?」
「だったら、もっとスマートに解決してよ。……あ、そうだ。リナリア。この前、親父が『領土拡大に興味がある』って言ってた他国の魔王がいたよね?」
俺の適当な振りに対し、四天王リナリアは電光石火の速さで反応する。
「はい。東の国を治める暴虐王バアル閣下ですね。彼は常に戦場を求めております」
「親父、バアルの親父さんに『聖都の攻略権』を売れば? 代わりに、あそこの領地にある『万年雪の降る温泉地』を譲ってもらうんだ。俺、最近暑くて寝苦しいんだよね」
「な……!? 攻略権を売るだと!?」
親父は目を見開いた。
本来、領土は血を流して奪い合うもの。それを「売買」するなど、魔族の常識にはない。
「そうすれば魔王軍の兵士は死なないし、親父はバアルに恩を売れる。俺は温泉で涼しく寝られる。全員ハッピーだろ?」
「……おぉ、おおおぉぉ! ユハトよ! お前は何という深謀遠慮を!」
親父がまた勝手に感動し始めた。
「バアルと聖都をぶつけ、両者の力を削ぎつつ、我らは労せずして最高の保養地を手に入れる……! まさに漁夫の利! まさしく覇道の極み! リナリア、直ちに交渉の使者を送れ!」
「御意! 流石はユハト様、戦わずして二つの勢力を手玉に取るとは……!」
いや、ただ温泉に行きたいだけなんだけど。
まあいい。これで俺の安眠は守られた。
数日後。
俺は親父のコネをフル活用して手に入れた、北方の温泉地『スノー・パラダイス』にいた。
露天風呂に浸かりながら、最高級の魔力酒を嗜む。
周囲には親父が配備した、エリート中のエリートである『魔王親衛隊』の面々が、物々しい雰囲気で周囲を警戒している。
「あー、極楽。やっぱり実家が太いって最高だわ」
前世の俺が見たら、嫉妬で発狂して死ぬだろう。
だが、その静寂は不意に破られた。
「いたわ……! 魔王の息子、残虐非道と名高いユハト!」
凛とした声が響く。
見れば、湯煙の向こう側に、白銀の甲冑に身を包んだ少女が立っていた。
手には、眩いばかりの光を放つ聖剣。
「……誰? 掃除の人? 今、入浴中なんだけど」
「掃除の人じゃない! 私は人間界の希望、勇者アリア! あなたがバアルを操って聖都を壊滅させようとしていると聞いて、討伐に来たわ!」
(あー……。例の『攻略権の売買』、人間側からはそう見えるのか)
というか、なんでここがバレたんだ。
あ、親衛隊が「魔王の息子様が通るぞ!」ってデカデカと旗を掲げてたせいか。
「ユハト! 覚悟しなさい、あなたの悪行もここまでよ!」
勇者アリアが聖剣を振りかざし、こちらへ突撃してくる。
一国の軍勢を凌駕するという、勇者の神速。
普通ならここで死を覚悟する場面だが、俺は一ミリも動かなかった。
なぜなら。
「……何よ、これ!? 体が、動かない……っ!?」
アリアの足元から、禍々しい漆黒の鎖が伸び、彼女を雁字搦めに拘束した。
俺の背後から、影のようにリナリアが姿を現す。
「無礼者。ユハト様の御身を、その程度のなまくらで傷つけられると思ったか?」
「リナリア、遅いよ。飲み物が空になっちゃった」
「申し訳ございません。……それで、この女はどうされますか? 焼き尽くしますか? それとも、魔王城の地下牢へ?」
リナリアの瞳に殺意が宿る。
勇者は顔を真っ青にして震えていた。
ここで彼女を殺すのは簡単だ。
だが、殺すと「敵討ち」だのなんだので、また別の勇者がやってきて、俺の昼寝が邪魔される。
「リナリア、殺すのはダメ。面倒なことになる」
「……流石はユハト様。慈悲の心までお持ちとは」
「そうじゃなくて。えーっと、彼女、聖剣使いなんだよね? だったら、この温泉の『湯もみ』に使えないかな。お湯の温度、ちょっとムラがあるからさ。聖剣の光でいい感じに保温してよ」
「……は?」
勇者アリアが絶句する。
「な、何を言っているの!? 伝説の聖剣を、お湯を温めるために使えっていうの!?」
「嫌ならいいよ。リナリア、彼女の故郷に親父の名前で『苦情』の手紙を出して。ついでに、その村の食糧輸出を全部止めるようにパパのコネで圧力かけて」
「心得ました」
「待って! 待ちなさいよ! ……わ、わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば!」
勇者アリアは涙目になりながら、聖剣をお湯に突っ込んだ。
聖なる力が熱に変換され、露天風呂が心地よい適温に保たれる。
「あー、いい温度。さすが勇者、いい仕事するね」
「……屈辱。私、人類の希望なのに……っ!」
こうして、俺は「人類最強の戦力」さえも、温泉の管理スタッフとしてコネと脅しで屈服させた。
勇者を倒したのではない。
勇者を「採用」したのだ。
そのニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡った。
『最凶の魔王子ユハト、伝説の勇者を一歩も動かずに屈服させ、自らの奴隷(管理職)に任命する』
またしても俺の評価が、本人の意図しないところで跳ね上がっていく。
「ユハト様、次は背中をお流ししましょうか?」
「……リナリア、それは自分でやるからいいよ。面倒だけど」
雪景色の中、俺は勇者が温めてくれたお湯に浸かりながら、改めて決意した。
やっぱり、自力で戦うなんて、絶対にしない。
だって、こんなに楽なんだから。




