ep.13
魔王城の朝食というのは、本来であれば魔界の最高位にふさわしい贅を尽くしたものが並ぶ。しかし、ここ最近の俺の舌は、神界の清廉な果実や、サンライト王国の王女クラリスが持ち込んだ人間界の繊細な味付けに慣れすぎていた。
「……リナリア、なんだか今日の献立は、パンチが足りない。もっとこう、脳が直接とろけるような、甘美で暴力的なパンケーキが食べたい」
俺がソファーで寝返りを打ちながら呟くと、リナリアは手に持っていたスケジュール帳を即座に閉じ、恭しく一礼した。
「左様でございますか。ユハト様がそこまで仰るのであれば、もはや魔界の宮廷料理人では力不足でしょう。幸い、私には心当たりがございます。天界で禁忌とされている『至福の小麦』を育てている農家と、地獄の最下層にある『虚無の業火』を操る伝説の料理人……。その二つのコネを掛け合わせれば、ユハト様のご要望に応えられるかと」
「……至福の小麦に、虚無の業火? それ、パンケーキ焼くのに必要?」
「究極を目指すのであれば、必須でございます。今すぐ手配いたしましょう」
リナリアの行動は迅速だった。彼女は魔王軍の通信網を駆使し、天界のセラフィムを通じて「神の庭」で密かに栽培されていた幻の小麦を横流しさせ、さらに親父――魔王ガラムの権威を用いて、地獄で数千年の刑期を終えようとしていた「絶望の料理人」を仮出所させた。
数刻後、魔王城の厨房には異様な光景が広がっていた。
真っ白な翼を広げた天使セラフィムが、神の光で浄化された最高級の小麦粉を抱えて立ち、その対面には、全身から黒い煙を噴き出し、手には地獄の業火を宿したフライパンを持つ料理人が不敵な笑みを浮かべている。
「……おい、誰が俺を呼び出した。俺は地獄の王にしか料理を作らんと言ったはずだ」
料理人の男が、その禍々しい魔圧を周囲に撒き散らす。厨房の温度が一気に跳ね上がり、近くにあった予備の食材が恐怖で(物理的に)弾け飛んだ。
「この魔界の主……ではなく、その御子であるユハト様が、パンケーキをご所望だ。文句があるなら、ガラム様に直接申し上げろ。その前に、貴様の魂が消滅することになるがな」
リナリアが冷たく言い放つと、料理人は舌打ちをして、俺が座るソファーのほうを睨みつけた。
「フン、あの寝ぼけたガキか。いいだろう、作ってやる。だが、俺は中途半端な客には料理を出さん。この俺が『魂を懸けて』焼く一皿を食うなら、食う側にもそれ相応の覚悟を見せてもらおう。俺と、料理の完成度を懸けて『魂の勝負』をしろ!」
「……魂の勝負? やだよ、面倒くさい。俺はただ、美味いパンケーキを食べて二度寝したいだけなんだ」
俺が欠伸をしながら断ると、料理人の男は激昂した。
「貴様、俺の料理を侮辱するか! 勝負を受けぬなら、地獄の業火で城ごと焼き尽くしてやる!」
「あー、もう……。セラフィム、ちょっと来て」
俺は空中で羽を休めていたセラフィムを指招いた。
「はい、ユハト様! 私に何か御用でしょうか!」
「あそこの料理人が勝負したいって言ってる。俺の代わりに、あんたが相手をして。神様の使いなんだから、地獄の業火くらいどうにかできるだろ?」
「えっ、私がですか!? ですが、私は料理など一度も……!」
「いいんだよ。あんたは神の光で小麦粉を混ぜていればいい。完成したものを俺が食べて、美味しかったほうが勝ち。負けたら……そうだな、セラフィム。あんた、神様に頼んでこいつの地獄の刑期をさらに一万年くらい延ばしてあげて」
「お、お安い御用です! ルミナリス様も、ユハト様のパンケーキを邪魔する者には容赦しませんから!」
セラフィムが神の槍を麺棒に持ち替え、気合を注入する。料理人の男は、まさか天使を代理人に立てられるとは思っていなかったようで、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「ふざけるな! 天使などに俺の業火が扱えるものか!」
「ユハト様の命令は絶対です。さあ、始めなさい。さもなくば、今すぐこの場で私が貴様を調理しますよ」
リナリアが背後の魔剣に手をかけると、料理人は渋々コンロの前に戻った。
こうして、魔王城の厨房を舞台にした、前代未聞の「天空と地獄のパンケーキ勝負」が開幕した。
セラフィムは「神の慈愛」を込めて、小麦粉と卵(これも魔界最強の怪鳥が産んだ貴重なものだ)を混ぜ合わせる。彼女が混ぜるたびに、生地から神聖な光が溢れ出し、厨房全体が教会のような厳かな雰囲気に包まれていく。
「見なさい、この純白の生地を! 食べた者は、天国へと昇天するでしょう!」
対する地獄の料理人は、フライパンから立ち昇る黒い炎を自在に操り、生地を一気に焼き上げる。香ばしい、それでいてどこか背徳的な香りが鼻を突き、食欲を極限まで刺激する。
「黙れ、天使! パンケーキに必要なのは、魂を焼き焦がすような情熱だ! この『奈落のソース』をかければ、どんな賢者も欲望の虜になる!」
二人の激しい火花が飛び散る中、俺はソファーでアリアに耳掃除をさせていた。
「……ねえ、ユハト。あいつら、完全に殺し合ってるわよ。パンケーキ作ってるだけなのに、魔圧で城が揺れてるんだけど」
「いいじゃん、平和で。アリア、そこ、もう少し右」
「……あんたって、本当に自分の欲望のためなら、天界と地獄をぶつけることに躊躇いがないわね。私の正義感が、最近どんどん麻痺していく気がするわ」
やがて、二皿のパンケーキが俺の前に運ばれてきた。
一皿は、セラフィムが作った「光り輝く雲のようなパンケーキ」。もう一皿は、料理人が作った「黒檀のように艶やかで濃厚なパンケーキ」。
俺はまず、セラフィムのほうを一口食べた。
「……ん、ふわっふわ。口の中で消える。神様の膝枕で寝てる時みたいな優しさだ」
次に、料理人のほうを一口食べる。
「……こっちは、ガツンとくる。甘いのに辛い、中毒性がある味だ。一度食べたら、死ぬまでこれしか欲しくなくなるような、恐ろしい味」
二人は息を呑んで、俺の判定を待っている。料理人の男は、すでに敗北の際の刑期延長を恐れて震え始めていた。
「……判定。二人とも、コネの力で最高に美味い。だから、どっちの勝ちとか決めるのは面倒だ。二つの皿を混ぜて、半分ずつ食べたらちょうどいいよ」
「「えええええ!?」」
「セラフィムの優しさと、料理人の暴力。これが合わされば、俺の理想のパンケーキになる。リナリア、明日からはこの二人に協力してこれを作らせて。料理人は、特別に魔王城の専属シェフとして雇おう。もちろん、逃げたら即座に天界送りだけど」
俺の裁定により、地獄の料理人は強制的に魔王城の社員食堂へと配属されることになった。彼は自分の魂を懸けた勝負が「ニコイチ」という形で決着したことに愕然としていたが、セラフィムと一緒にエプロンをつけて皿を洗う姿は、案外様になっていた。
「……あー、お腹いっぱい。リナリア、次は三日後まで起こさないで。クラリス、マッサージの準備して」
「承知いたしました、ユハト様。シェフには、三日後の起床に合わせて、さらに改良を加えた一品を考案させておきます」
俺は、天界の小麦と地獄の業火が融合した至高の余韻に浸りながら、再び眠りの深淵へと落ちていった。
勇者、天使、王女、そして地獄の料理人。
俺の周りには、また一つ、面倒な——しかし最高に便利な「コネ」が増えていく。
自力で料理をする必要なんてない。
世界中の最高級を、コネで引き寄せ、混ぜ合わせる。
それが、俺の選んだ「最強の食卓」なのだから。




