ep.10
俺は、いつものようにふかふかのソファーに沈み込み、神様から提供された最新の安眠BGMを聴きながら微睡んでいたのだが、背筋を撫で上げるような妙な寒気に目を覚まされた。
リナリアが俺の傍らに立ち、その紅い瞳を鋭く細めている。彼女の指先は、すでに腰の魔剣の柄にかけられていた。その殺気は、訓練中のアリアに向けるような教育的なものではなく、真に敵を屠るための実戦的なものだ。
「ユハト様、お目覚めを。どうやら、東の魔女の敗北を聞きつけて、さらに厄介な連中が『掃除』に現れたようです」
リナリアの声は冷徹だった。彼女の視線の先、空間がガラスを割るような音を立てて歪み、そこから漆黒の甲冑に身を包んだ騎士たちが音もなく現れた。その数、およそ十二。彼らが纏う空気は、この世界の住人のものではない。
「因果の執行者……。魔女の上位組織、つまり世界の調律を自称する独善的な連中か」
アリアが聖剣を握りしめ、俺の前に立ちはだかる。彼女の体は微かに震えていたが、それは恐怖ではなく、相手が放つ圧倒的な「格」の差に対する本能的な拒絶反応だった。
「ユハト・ガラム。親の権能を簒奪し、世界の因果を歪める異分子よ。お前の存在は、この宇宙の均衡を崩す致命的なエラーである」
中央に立つ一際巨大な騎士が、感情を排した声で宣告した。その声が響くたび、魔王城の強固な床に亀裂が走り、天井の豪華なシャンデリアが悲鳴を上げて揺れる。
俺は大きく欠伸を一つして、重い体をゆっくりと起こした。
「因果とかエラーとか、難しい言葉はもういいよ。俺はただ、静かに寝ていたいだけなんだ。わざわざ城の中に土足で踏み込んでくるなんて、マナー違反もいいところじゃないか」
「貴様の意志など無価値。我らは摂理。我らは終わり。親の七光りで築かれた偽りの平穏ごと、無に帰せ」
巨大な騎士がその黒い大剣を振り上げた。その瞬間、城の空気が一変した。物理的な風ではなく、魔力の密度そのものが跳ね上がり、呼吸することさえ困難な重圧が俺たちを襲う。
「リナリア、アリア。ちょっとあいつら、うるさすぎる。適当に黙らせて」
俺の言葉は、戦場においてはあまりにも場違いで、甘ったるいものだった。だが、リナリアはその言葉を待っていたと言わぬばかりに、不敵な笑みを浮かべて跳躍した。
「仰せのままに。ユハト様の夢路を邪魔する不届き者、その存在ごと消去して差し上げましょう」
リナリアの魔剣が闇を裂き、執行者の甲冑を打つ。火花が散り、激しい金属音が謁見の間に響き渡る。リナリアの動きはもはや肉眼では追えないほどの神速であり、一太刀ごとに空間を凍結させるほどの冷気を帯びていた。
一方、アリアも聖剣を黄金色に輝かせ、執行者たちの包囲網を突破しようと奮闘する。
「あんたたちの理屈なんて知らないわよ! 私はこの男を倒すまで、誰にも邪魔させないって決めてるんだから!」
アリアの一撃が執行者の一人を吹き飛ばし、壁に激突させる。しかし、執行者たちは痛覚を持たない機械のように、即座に姿勢を立て直し、再び無機質な連携で二人を追い詰めていく。
俺は戦いを見守りながら、手元の魔石を指で弄んだ。これは親父が「退屈した時に使え」と渡してきた、魔王直属の影の軍勢を召喚するための触媒だ。本当は使いたくなかった。これを使うと、後で親父が「どうだった!? 我が軍の活躍は!?」と一晩中自慢話を聞かせてくるからだ。だが、このままリナリアたちが怪我をするのも寝覚めが悪い。
「……はぁ。後で親父の相手をするのは面倒だけど、背に腹は代えられないか」
俺が魔石を軽く床に転がすと、そこから黒い霧が噴出し、執行者たちの背後から無数の漆黒の腕が伸びた。
「なっ、これは……深淵の呪縛!? まさか、この小僧、自らの魔力を使わずに、魔王の権能をそのまま『外部出力』しているというのか!」
執行者のリーダーが驚愕の声を上げる。
「そうだよ。自分でするのは面倒くさいだろ? だから、親父の力を自動化して使えるように調整しておいたんだ。コネっていうのは、ただ頼るだけじゃなくて、こうやってシステム化してこそ価値があるんだよ」
影の腕は執行者たちの手足を拘束し、その力を吸い上げていく。リナリアとアリアはその隙を逃さず、全力の一撃を叩き込んだ。
「氷華・葬送陣!」
「聖なる裁き(ホーリー・ディヴィジョン)!」
青白い氷の刃と黄金の閃光が交差し、執行者たちの漆黒の甲冑を粉々に砕く。謁見の間を揺るがした爆鳴が収まった時、そこには力なく膝をつく騎士たちの残骸だけが残っていた。
「……信じられん。我ら因果の執行者が、これほどまでに無惨に敗れるとは。貴様は、一体何なのだ……」
リーダー格の騎士が、崩れゆく兜の下から俺を睨みつける。
「俺? 俺はただの、実家が太いだけの男だよ。あんたたちが守ろうとしてる『因果』とやらは、俺の『コネ』よりも脆かった。それだけのことだ」
俺は立ち上がり、動けなくなったリーダーの頭を軽く叩いた。
「次に来る時は、もっと静かな方法にしてよ。例えば、夢の中で交渉するとかさ。まあ、神様がガードしてるから無理だと思うけど」
執行者たちが塵となって消え去ると、城の中には再び元の静寂が戻ってきた。だが、その静寂は、より深い平穏へと繋がるものだった。
リナリアが剣を鞘に収め、乱れた前髪を整えながら俺の前に跪く。
「お見事でした、ユハト様。敵の戦術を逆手に取り、ガラム様の力を最小限の労力で運用する。その合理的なお姿、まさに魔王の正当な後継者に相応しいものでした」
「いや、ただ面倒だっただけだって。アリア、あんたも大丈夫?」
アリアは聖剣を杖代わりに立ち上がり、肩で息をしながら俺を睨みつけた。
「……あんた、本当に最低ね。あんなバケモノ相手に、欠伸しながら勝つなんて。正義とか努力とか、バカバカしくなっちゃうわ」
「そう思ったら、あんたも俺のコネの一部になればいいんだよ。楽だぞ、誰かに守られながら生きるのは」
俺は再びソファーに倒れ込み、今度は完全に意識を手放そうとした。窓の外では、セラフィムが「戦闘で汚れた窓の掃除」を再開し、遠くでは親父が「我が息子が我が力を使った!」と狂喜乱舞している気配がする。
世界は相変わらず騒がしいが、俺の周りだけは、鉄壁のコネによって守られた絶対的な安眠区画だった。
「……おやすみ。リナリア、明日の朝食はパンケーキでいいよ。もちろん、最高級の蜜をたっぷりかけてね」
俺の独り言に、リナリアが「畏まりました」と優しく微笑むのを感じながら、俺は深い深い眠りの底へと沈んでいった。
コネこそが世界を救う――いや、俺の睡眠を救うのだ。




