罪・中編
こうして、イツキはミカリを手伝うようになった。
最初は、とても単純なことだった。
授業で分からないところを彼女が聞き、
イツキがそれを分かりやすく説明する。
「ほら、この問題は見た目より簡単なんだ」
ノートを指差しながら言う。
「まずはここをこうして――」
「……こう?」
ミカリは少し不安そうに聞き返す。
「うん、その通り」
やがて、一人で問題を解けたとき。
「……できた」
ミカリは小さく微笑んだ。
ほんのわずかな笑顔。
でも――それで十分だった。
誰かが自分のおかげで理解できた。
それだけで、胸の奥に不思議な満足感が広がる。
本当に、誰かの役に立てているような気がした。
日が経つにつれ、二人の距離は少しずつ縮まっていった。
休み時間には近くに座ることもあれば、
校庭を歩きながら他愛のない話をすることもあった。
「前の学校って、ここより違った?」
ある日、イツキが尋ねる。
「少しだけ……」
ミカリは答えた。
「ここより小さかったかな」
「じゃあ、まだ慣れてないだろ」
「うん……少しだけ」
イツキは力強く頷く。
「大丈夫。俺、この学校ほとんど分かるから」
自信ありげな笑顔。
「何かあったら、遠慮なく言って」
それは彼にとって、当たり前のことだった。
昔から、深く考えずに人に近づくタイプだった。
そしてミカリは――助けを必要としているように見えた。
それだけで、十分な理由だった。
数週間が経つ頃には、
イツキは学校のいろいろなことを教えるようになっていた。
どの先生が厳しいか。
誰が宿題を多く出すか。
どこが休み時間に過ごしやすい場所か。
時には、授業とは関係のないことまで話した。
「放課後、裏庭に行ってみろよ。空、結構きれいなんだ」
「本当に?」
「うん。あんまり人も来ないし」
ミカリは、静かに聞いていた。
頷くこともあれば、
短く答えるだけのときもある。
それでも――
イツキは、うまくいっていると思っていた。
周りの生徒たちも、少しずつ気づき始めていた。
「なあ、イツキ」
「なんだよ」
「最近さ、新しい子といつも一緒じゃん」
「え?」
「もしかして、好きなの?」
「ち、違うって!」
すぐに否定する。
周りは笑う。
でもイツキは、あまり気にしていなかった。
ただ誰かを助けているだけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
一方で――
ミカリも、その会話を聞いていた。
そういうことを言われるたびに、
彼女は少し視線を落とす。
ぎこちない笑顔を浮かべることもあった。
でも――
イツキは気づかない。
彼にとって、それはただの子供の冗談だった。
大事なのは、ミカリが一人にならないこと。
それだけだった。
だから、変わらず続けた。
問題を教え、
宿題を手伝い、
他の生徒を紹介し、
学校に馴染めるように支えた。
そして――
ミカリが少しでも笑ったり、理解したりすると、
イツキは小さな満足を感じていた。
何か、良いことをした気がして。
彼にとっては、すべてが単純だった。
ただ――
良い友達でいたかっただけ。
けれど――
イツキがその時間を楽しんでいる間、
一つだけ、気づいていないことがあった。
ミカリは、
彼の隣を歩き、助けを受けながらも――
少しずつ、居心地の悪さを感じ始めていた。
イツキには、すべてが順調に見えていた。
でもミカリにとっては、違った。
最初、この学校に来たとき――
彼女は完全に迷っていた。
知っている人はいない。
どう話せばいいかも分からない。
そんな中で、
最初に声をかけてくれたのがイツキだった。
数学を教えてくれて、
学校を案内してくれて、
まるで昔からの友達のように話してくる。
最初は思った。
――優しい人だな、と。
いい人だな、と。
でも、日が経つにつれて、
説明できない違和感が生まれ始めた。
ミカリは、静かに視線を落とす。
(どうして……いつも私の近くにいるの……?)
席からイツキを見る。
彼はいつものように楽しそうに話している。
――いつも、嬉しそう。
(最初は、ただ助けてくれてるだけだと思ってた……)
(でも……)
(どんどん、話しかけてくる)
休み時間も。
授業中も。
放課後さえも。
イツキにとっては普通のこと。
でもミカリには――
少しずつ、重く感じられた。
(……ちょっと、距離が近すぎる)
視線を落とす。
(悪い人じゃない……でも……)
(少し、怖い)
そして――
誰にも言えないことがあった。
彼女には、別に好きな人がいた。
そして、それだけははっきりしている。
――イツキではない。
小さく息を吐く。
(避けなきゃ……)
でもすぐに、別の感情が出てくる。
(でも……かわいそう)
イツキは、いつも笑っていた。
本当に楽しそうに。
最初に助けてくれた人。
最初に話しかけてくれた人。
――傷つけたくない。
それでも、
その違和感は消えなかった。
近づかれるたびに、
胸に小さな圧迫感が生まれる。
そして――
ある考えが、頭に浮かぶ。
(……もしかして)
(私に執着してる……?)
ノートを強く握る。
(いや……考えすぎかも)
でも――
一度生まれたその考えは、
ゆっくりと大きくなっていった。
ミカリは、何も言わないことにした。
無視すれば、消えると思ったから。
でも――
現実は逆だった。
周りの生徒たちが、気づき始めた。
イツキがいつも近くにいること。
ミカリが時々困ったような表情をしていること。
そして――子供たちは。
それを、放っておかない。
「ねえ、ミカリ」
「イツキのこと好きなの?」
「いつも一緒じゃん」
「付き合ってるみたい」
最初は、すぐに否定した。
「ち、違うよ……」
でも、止まらない。
「じゃあなんで一緒にいるの?」
「なんか、ずっとくっついてるよね」
その言葉が、
ミカリの中の不安を強くしていく。
そして――
ある日、ついに聞かれた。
「ねえ……イツキがずっと一緒にいるの、嫌じゃないの?」
ミカリは――
一瞬、迷った。
ほんの一瞬。
でも、それで十分だった。
「……少しだけ」
小さな声で答える。
――その一言。
それだけで、十分だった。
そこから、噂は広がっていく。
最初は、ただの話。
次は、からかい。
そして――
やがて、
「疑い」へと変わっていった。




