罪・前編
すべてを理解するためには――
過去に戻る必要がある。
小学校、最後の年の半ば。
当時のイツキは、決して模範的な生徒とは言えなかった。
少し怠け者で、
小さな問題を起こしては、何度も先生に注意されていた。
それでも、誰もが知っていることがあった。
――イツキは賢い。
年齢の割に、かなり頭が良かった。
先生が新しいことを説明すれば、すぐに理解する。
授業でもよく手を挙げて、迷いなく答えていた。
だから、その小学校では有名だった。
教師たちからの評価も高く、
生徒の間でも「できるやつ」として知られていた。
それだけじゃない。
困っている人がいれば、よく手を差し伸べた。
自分の説明で、誰かが理解できたときの表情。
それを見るのが好きだった。
胸の奥が、少し温かくなる。
シンプルな感情。
でも――本物の喜びだった。
誰かの役に立てている、そんな実感。
そして、長い間――
それが当たり前だった。
――あの日までは。
その朝、小さなイツキは半分眠ったまま学校へ向かっていた。
「はあ……こんな早く起きるの、だるい……」
あくびをしながら呟く。
まだ太陽は昇りきっておらず、朝の空気は少し冷たい。
片方の肩にかけた鞄が揺れる。
眠さのせいで、足取りも重い。
「今日、宿題少ないといいけど……」
教室に入ると、いつも通りの光景だった。
クラスメイトたちの話し声。
笑い声。
先生が来る前に慌てて宿題を終わらせている者もいる。
――普通の一日。
そのはずだった。
ドアが開く。
先生が入ってくる。
――そして、その隣に。
一人の少女が立っていた。
教室が、一瞬静まり返る。
「おはようございます」
「おはようございます!」
声が揃う。
先生は少女に軽く合図をした。
「こちらはミカリさん。今日からこのクラスの一員です」
イツキは顔を上げた。
そして――少し見つめる。
(……へえ)
(けっこう可愛いな)
黒い髪が肩に柔らかくかかり、
瞳には落ち着きと、ほんの少しの緊張が見えた。
イツキはすぐに視線を逸らす。
(でも、別に好きってわけじゃない)
(そもそも、誰のことも――)
(……今はまだ)
少女は一歩前に出た。
手を軽く前で重ねている。
少し緊張しているのが分かる。
「はじめまして。ミカリです」
優しく、丁寧な声。
「両親の都合で引っ越してきました。これからしばらくここで過ごす予定です。どうぞ、よろしくお願いします」
その話し方は、とても穏やかだった。
――この教室には、少し優しすぎるくらいに。
イツキは興味を持って見ていた。
その一方で――
教室の別の場所から、ナツキがイツキをじっと見ていた。
どこか、警戒するような目で。
その後の数学の授業。
先生が問題をいくつか黒板に書いた。
教室は静まり返り、全員が解き始める。
イツキは、すぐに終わらせた。
鉛筆を置き、軽く伸びをする。
周りを見渡す。
まだ解いている者もいれば、
手が止まっている者もいる。
そして――
ミカリに目が止まった。
ノートを見つめたまま、動かない。
困っているのが分かった。
イツキは立ち上がり、彼女の席へ向かう。
「なあ、ミカリ。今日の内容、分かった?」
彼女は顔を上げる。
少し恥ずかしそうだった。
「……正直、よく分からなくて」
視線を落とす。
「イツキは分かったの?」
イツキは自然に笑った。
「うん。よかったら教えるよ」
ミカリの目が、少し明るくなる。
「……ありがとう」
イツキは鉛筆を取り、順番に説明していく。
ミカリはしっかりと聞いていた。
そして――
少しずつ、表情が変わっていく。
「……あ、分かった」
その一言。
イツキは笑った。
やっぱり、この瞬間が好きだ。
分からなかったものが、理解に変わる瞬間。
小さなことだけど――
確かな喜び。
鉛筆を置きながら、ふと思う。
(少し不安そうだな……)
(学校にも慣れてないし)
(案内してやった方がいいかもな)
口を開く。
「そういえば、俺はイツキ」
ミカリが顔を上げる。
「分からないことあったら、なんでも聞いていいから」
彼女は、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、イツキ」
短い笑顔だった。
でも――
それだけで十分だった。
自分は、ちゃんと正しいことをしている。
そう思えたから。




