SS⑥『脳内ピンク』(♡シーン有)
■SS⑥
8月20日。夏休み終盤。あと三日でめでたく二学期が始まる――。
夏休みの終盤と言えば、どういうイメージがあるだろうか。
行く夏を惜しむように夜空を彩る花火大会や、しばらくの見納めとなる海での最後の水遊び。あるいは、夕暮れ時、蝉時雨を浴びながら、特有のノスタルジーに浸る者もいるだろう。夏の終わりはいつだって、少しだけ感傷的な気分にさせられるものだ。
今年の夏は忙しかった。宇都宮も高校受験も意識する必要がなくなった僕は、星団の『交流戦』を除けば比較的自由の身で――まぁ、最愛の彼女たちに束縛されたり家族旅行に行ったりで、実は一人の時間はあまりなかったのだが、自分の意志で受け入れた、と言う意味では自由だ。彼女たちと花火大会も家族との北海道旅行も楽しかったし――その他諸々、充実した夏休みを過ごしたと言えるのだろう。
さて、夏休みももうすぐ終わる。
そして、学生にとって最も現実的で、かつ残酷な風物詩といえば一つしかない。
――机の上に山積みになった、手付かずの宿題の消化である。
「助けてくれ……月野……」
特に、僕たちの通う高校は県内有数の進学校だ。
夏休みという概念は存在せず、『一ヶ月間の長期学習期間』と呼ぶのが正しい。
計画的に膨大な課題を終わらせた賢者だけが優雅に冷えた麦茶を啜り、後回しにし続けた愚者は泣きながら夏休みの宿題と格闘するハメになる。
宿題を終わらせていない人間に待っているのは、ただの地獄だ。
「月野ぉ……」
迷子の子供のようなうるうるとした瞳で、有はこちらを見つめてきた。
有の家にて。有はダイニングテーブルの上で分厚い問題集と格闘していた。
彼女曰く、問題集を開いたのは今日が初めてらしい。
――つまり、一ページも解いていないという事。百ページを優に超える問題集を……。
「……意外と計画性とかないのな、お前」
「だって忙しかったし……」
「むぅ。だからって、分身のボクまで巻き込まなくたっていいじゃんか」
そう言って別の課題――英語の問題集を解いていたミヤは、手を止めて不服そうな目を有に向けた。実際、分身の正しい運用方法ではある。自分の分身と協力して夏休みの課題に取り組むなんて、誰もが夢想したロマンだ。いや、分身に全部任せて本体はサボる、みたいな事をしていないだけ、有は偉いのかもしれない。
「だってどう考えても一人じゃ終わらない量だし……」
「それはそうだけどさ。月野にまで課題を手伝わせる気? それは看過できないかなぁ」
ミヤはペンを置くと、ぷくっと頬を膨らませて有を睨みつけた。その瞳には、自分の本体である有への呆れと、宿題を忘れた姉を叱るような愛情が滲んでいる。
腰に手を当てて抗議するその姿は、ひどく献身的で、めっちゃ可愛い。
「月野の顔を見るだけでモチベ上がるだろ?」
「それはそうだね」
「月野が傍にいるってだけで元気が出るし、全部宿題を終わらせたら月野に愛でてもらえるわけだ。もうやるしかないって気分になるだろ? これは背水の陣なんだよ」
「なるほど……」
丸め込まれた。あっけねぇ。……有もミヤも僕が絡むとポンコツになる傾向がある。頭を撫でてふにゃりと笑うときの二人が一番かわいいのだけど、とは言え甘やかしすぎでこれ以上ダメ人間になられても困る。だから甘やかしすぎは厳禁だ。
「月野、終わったら頭なでなでしてくれるよな?」
そう言って、有はダイニングテーブルから身を乗り出した。上目遣いでこちらを覗き込むその瞳は、エメラルドのように輝いていた。
「まぁ、それくらいならいいぞ」
「やった!」
「月野っ、じゃあっ、エッチなことはいい?」
ミヤもまた、期待に満ちた瞳で僕を見つめてきた。ほんのりと朱に染まった柔らかな頬に両手を添え、もじもじと身をよじるその姿は、純粋にご褒美を待つ子犬みたいだ。
上目遣いで僕を覗き込みながら、無意識に豊かな胸を机にむにゅりと押し付けている。とろんと甘く蕩けた声と、一切の邪気がない真っ直ぐな欲望の眼差し。そんなあどけない顔でとんでもないおねだりをしてくる無自覚な破壊力。無自覚で無垢なのが逆にエロい。
「一回(戦)だけだぞ」
「やったぁ! じゃあボクも頑張っちゃうよ!」
僕は甘いのだろうか。
二人が可愛すぎるのが悪いのだけど……いや、まぁ、これくらいセーフだろ。たぶん許容範囲だ、大丈夫なはず。二人の理性を信じよう。
そうしてモチベーションを取り戻したらしき二人は、とんでもない勢いで課題に取り掛かった。スマホをいじりながら静かにその様子を見守っていたが……ダラダラ解いていた時の三倍は早かった。どうなっているんだこいつらは……これがラブパワーって奴なのか……そんなことを思いつつ、ふと疑問が思い浮かんだ。
「そう言えば、学校にはどっちが登校してくるんだ?」
「あ、その件? そういえば話してなかったね、月野に。結論だけ先に言うと、有が登校するよ」
そう言って、ミヤは有の方に手を置いた。労うようなミヤの手を有は素直に受け入れ、それから溜息を吐いた。
「本来ならミヤに登校させたかったんだけどな……。オレにしかできないことが山のようにあるし……」
「何か弊害があるのか?」
「うん。……えーっとね、ボクって元々は何にでも変身できたんだけど……その、月野に愛されたせいなのかな……? ボクの魂が性別をメスって定義してて……男の子に変身できなくなっちゃったんだよね……」
ミヤは言いづらそうに視線を泳がせ、ほんのりと耳の先まで赤く染めながら、もじもじと両手の人差し指を胸の前で突き合わせた。
「マジで?」
「うん……」
娘に妊娠報告をされた父親の気持ちを初めて味わったかもしれない。こんな感じなのかよ、びっくりした。マジで変身できないのか――となると有は?
「あ、オレは大丈夫だぞ。ちゃんと男の姿にもなれる」
「どうして有は大丈夫なんだ?」
「うーんとね、女の子の身体でいた時間の長さだと思うな。ボクが男の子でいたのって、本当に最初だけで、あとはずーっと女の子でいたし……ボクが『雌』だって魂が覚えちゃったんだろうね……」
「まぁ、ミヤの方が雌に近いのは確かだろうな。――喘ぎ声もデカいし」
「それセクハラだからっ!!」
有の意地悪な笑みとあまりにも直球すぎる発言に、耳の先どころか首筋まで朱に染め上げた彼女は、両手でパシパシと有の肩を叩いて抗議する。
しかし、その声は羞恥で微かに上ずっており、涙目になって僕をチラチラと盗み見る様子はもうマジで可愛かった。
……切実にちんこがイライラした時の対処法を教えてほしい。いや、僕の場合は二人を抱きつぶせば済む話なのだけど、これ以上ポンコツになられても困る――!
「――初様、本日の昼食はいかがしましょうか?」
廊下の掃除を終えて現れたのは、メイド服姿のレイナだ。
いつもは顔を見るところ――しかし、僕の視線は彼女の顔よりも先に、その身に纏うメイド服へと吸い寄せられた。有が『僕のために』とメイド服に施した“改造”は、あまりにも直球で、悪趣味なほどに扇情的だった。
クラシカルな黒い布地は、鎖骨の下からみぞおちの辺りまでが大胆に円形に切り抜かれており――覗けるし、前かがみになれば“見える”のだ。
その開かれた『窓』からは、まだ陽の光を知らない雪のように白い、無垢な肌があられもなく晒されていた。未成熟ゆえの細い鎖骨のラインと、十四歳としては平均的で健全ともいえる確かにある胸の膨らみ。
しっかりと見える浅くも確かな谷間から目が離せない。
レイナは僕の視線に気づいているのか――僕の前まで歩を進めると、前かがみになり、ちらりと桃色を覗かせ――笑った。それから、言い争いをしている二人を他所に、僕にだけ聞こえるような声量で、耳元で囁いた。
「……デザートはわたくしにしますか?」
頷きかけた首を理性で御し、「今日はいいかな……」と振り絞って言うと、「残念です」と何事もなかったように返された。




