39 二章:エピローグ
人間の成熟とは――つまり、子供の遊びの時に持っていた真剣さを取り戻すことを意味する。
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コテージのテラスにある古びた木製のテーブル。そこに置かれた一台の大型タブレット端末から、無機質な電子音が微かに漏れている。画面には、夕暮れの陽光を浴びた森と、それを分断するように打ち立てられた巨大な星戦の外郭――光の壁が、映し出されていた。月野と虚木の派手な戦闘が終わった矢先にこれとは、今回の交流電は派手なイベントに事欠かない。
「やるねぇ、君の所の団員は」
くすくす、と渡辺の対面で笑う幼女がいた。白髪のロングヘア―に、無彩色のビー玉みたいに澄んだ白色の瞳。外見年齢は愛理と同程度――つまりは小学生のようなものなのだが、渡辺は出会って早々にタブレットを奪い取った図々しさと、すっかり変貌を遂げた友人に小言を言いたいところだった。
「空。交流戦に見入るのもいいが、少しは私の話も――」
「やだね。私がいない間に同盟を締結するズルい大人の言うことなんて聞きたくありませーん」
そう唇を尖らせるのは、『星見科学研究所』の所長――星見空。渡辺と同期で、【東京大停電】の数少ない生き残り。そして年齢も渡辺と似たようなもので、二十代後半だったはずだが……何故か若返っていた。
驚くべき概念、新発見と言ってもいい。
三十路ロリという幻想上の生き物が、渡辺の前にいたのだった。
「あーあ、今年はウチが単独優勝するはずだったのになー。私が不在の間にアザミの馬鹿付け込まれてやんのー」
……頭痛が痛い、とはこういう時に使われる誤用なのだろうか。渡辺は旧知の仲である友人がロりになっているのを見て、本当に頭が痛かったし胃がキリキリするし酒におぼれて愛理を抱き枕にしながら早く寝たい。
「……薬の副作用、だったか?」
「ん、まぁね。試用段階の『Blue』……って、それ今大事な話?」
「もうアタシが見たいものは見たんだよ」
「それは薄情じゃない? 『月野初』以外の団員だって頑張ってるじゃない。才能贔屓はやめた方がいいって前にも言ったぞー、私」
「別に贔屓じゃない」
ただ、自分を追い抜かしてしまいそうな才能は、見ていて心が躍るというだけで。その他もまた、どうでもいいと言う訳じゃない。信頼がある。きっと大丈夫だし、液晶ごとに戦いを見るより、あいつらから直接、何をどう感じたのかを聞きたかった。それを楽しみにしたい、と言う意味でも、もう渡辺が交流戦を見守る意味はない。計画通りに事が進めば――何ら問題がない。それよりも、だ。
「やっぱりお前から見ても、あいつは異常か?」
「ん、まぁ……」
空は小さな両腕をテーブルの上に投げ出し、幼い指先を複雑に絡め合わせた。外見こそ小学生のそれだが、思考を巡らせる所作は歴戦の研究者そのものだ。
無彩色の澄んだ瞳がタブレットの画面から外れ、空中の見えない一点を縫うように細められる。
「そうだね……」
言葉を慎重に吟味するかのように、彼女は組んだ指の親指だけを規則的に弾き始めた。 視線は伏せられ、長い白髪が肩口からサラリと零れ落ちる。
「強い。それも圧倒的にだ。――あの『虚木響介』を打ち倒せる人材が、今の星狩りに何人いると思う? 私のデータによれば五十人程度だった。これは五ツ星や四ツ星も含めたデータだ。この希少性は分かるよね? しかも君の話によれば――まだ入団して一ヶ月なんだと言う」
空はふと唇を閉じ、テーブルに置かれたティーカップへ小さな両手を伸ばした。彼女は立ち上る琥珀色の湯気を無彩色の瞳で静かに見つめた後、ふう、と僅かに息を吹きかけてから、洗練された所作で紅茶を一口含んだ。微かに喉を鳴らして、それから、告げた。
「“上”も馬鹿じゃない。間違いなく抹殺と言う線は消える。君が危惧していた最悪の事態は起きようがない。《星飼い》だろうが、易々と絶やすべきものじゃない。上は、私たちが抱いた“予感”を同じように感じるはずだ」
「……《五ツ星》の再来ってか」
渡辺は深い溜息とともに、くたびれた様子でテラスの椅子の背もたれに深く体重を預けた。両腕の力をだらりと抜き、重力に逆らうことなく肘掛けへと無造作に放り投げる。
そのまま白いワイシャツの首元に指を引っ掛けると、窮屈そうに締まっていた赤色のネクタイをわずかに引き下げて緩めた。
「『聖女』の次は『魔人』で……その次は何になるんだろうな」
気怠い呟きを受け止める空の瞳は、凪いでいた。
逃げるな、とも言われているような気がした。
緩めた襟元から入り込む微風が心地よくて、渡辺は救いでも求めるように遠くへ視線を投げる。
コテージの眼下には、黄昏の赤と夜の静寂が混ざり合う、深く透き通った青い海が広がっていた。寄せては返す波の音が、すり減った神経を優しく慰めてくれる。どうかこの波が、星狩りの狂った業も、血生臭い未来も、すべて洗い流してしまえばいいのに。
「月野の前に、まずは君だよ、ルカ」
こちらが答えないのをいいことに、空は続けた。
「この前の『特別案件』、お疲れ様。報告書は私も読ませてもらったよ。……【極点:γ】を使えるようになったんだって?」
「まぐれだよ、二度と出来ない」
「だが君は今回の件で……異星体の手から『名古屋』を取り戻し――《五ツ星》の単独討伐に成功した。……そして、何より君は、上層部に『信用』されてる」
渡辺は自嘲するように、短く鼻で笑った。
緩めたばかりのネクタイを弄る指先には、確かな徒労感が滲んでいる。
どれだけ自分が、上の都合のいいように使われたのか、いつの日か数えることも辞めていた。
「従順な犬の素質があります、ってか?」
「【東京大停電】の英雄を犬のように扱ったりはしないさ。だけど、君も彼と同じように――星に愛されてるのさ、分かるだろ。今の規模で星団を維持するのは不可能だ」
「これ以上ウチを大きくするつもりはねぇよ。『醜態』の連中がいるんだったら、それも一言言っとかねぇとな。アタシは周囲の人間が皆、平穏無事な生活を送ってくれればそれでいいんだよ」
渡辺は深く腰掛けていた椅子を乱暴に尻で押し退け、ゆっくりと立ち上がった。
木製の脚がテラスの床を重く擦る音が、波の音を一時だけ遮る。
彼女は先ほど緩めたばかりの赤色のネクタイを再び無造作に締め直し、ワイシャツの皺を片手で払った。
「もう行くのかい?」
「ああ。タブレットは置いて行ってやるよ。好きに見てろ」
それから、空はタブレットを手に取り、一言。
「……次は『火災』だと思うな」
「冗談よせよ」
「強情だな」
笑う空を他所に、苦い顔をしたまま、渡辺は歩き出していった。
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――あっけないと言えばそうだが、交流戦が終わった。
結果と言えば、渡辺探偵事務所の単独優勝――他の星団を全滅させての勝利。五十鈴先輩の大規模星戦により、『渡辺探偵事務所』以外のチームは大方欠員が生じたことや、結姫乃の悪辣な策略に宇都宮の高い適応力と言った、ウチの強みを生かしての勝利だった。しかし、まぁ、勝ったところでトロフィーが授与されるわけでもなければ、豪華な景品が贈られるわけでもない。得られるのは精々、星からの評価とちょっとした縁の広がり程度のものだ。二日間寝込んでいた僕とは違って、他の皆は夏を満喫できたみたいで、羨ましい。そんな愚痴を結姫乃に漏らしたところ――
「じゃあそうね、可愛い恋人の家に『お泊りデート』をする権利をあげるわ」
行きと同じように、帰りも結姫乃の所のリムジンで送ってもらっていたのだが――車はどうにも僕の家には止まらず、このまま結姫乃邸へと向かうらしかった。
また妹にどやされる……僕は内心でぼやきつつ、『急遽恋人の家に泊まることになった』とライン。既読が爆速で付く。返信を見るのが怖くなったので僕は携帯の電源を消した。
「あら、妹さんに弁明はしなくていいの?」
「恋人のことを根掘り葉掘り聞かれると困るんだよ。いろんな要素が混じりそうで……ましてや二股――いや三股か……してることがバレたら――」
「現代日本では縛り首ね」
「そんなに重い罪ではねぇよ!?」
「冗談よ、冗談」
結姫乃はくすりと笑う。
「それに、最近になって“一夫多妻制”が解禁されたから、法的に問題はないのよね」
「そういやニュースになってたな……」
「何それ?」
行きとは異なり、完全に女性姿の宇都宮(交流戦が終わった後で、髪型を女性陣にいじられまくった影響でツインテールとなった可愛い宇都宮)は、僕の腕に、もはや当然のように胸を押し付けながら、純粋に問いかけた。
「いつから認められるようになったの? その……一夫多妻制? って」
「今年の八月ね」
「つい最近じゃん!」
「そうね。話題にもなったし、ネット上で論争が巻き起こっているのだから目に入れないくらいが難しい情報なのだけど……」
「うっ……」
鋭い視線に気圧され、宇都宮は決まずそうに唸ると、結姫乃から逃げるようにギュッと僕の腕にさらに強く抱きついた。豊かな胸が僕の二の腕に押し潰される。色仕掛けをしようと言うつもりがないのが余計にたちが悪い。ただ純粋に庇護を求めるような子供のような態度で――それで体つきがエロいのが本当にズルい。股間に熱が集まるのが分かった。ぜひとも結姫乃に冷やしてもらいたい。他意はない、いや本当に。結姫乃の涼しげな体温を摂取したい。それを察したのか何なのか、結姫乃の方からぴとっと肩を合わせてきて――僕と目を合わせて微笑み、それから続けた。
「まぁ、ミヤは生まれたての赤ちゃんだし、仕方ないわ」
「む。……確かにまだまだ未熟だけどさ……」
そう、ボクっ子の宇都宮は――本体とは異なる個性(青髪・一人称・性格)などを獲得したことにより――元々の『宇都宮有』が持っていた“高度な知性”を失い――別種としての能力を開花させつつある――いわば、蕾の状態なのだ。
個人的な感想を言うんだったら、有は理性に特化しているが、宇都宮は本能に特化している――夜の技巧の話ではなくて――たぶん、脳に偏りが生じているのだ。
その偏りが個性になって、彼女はもう、『宇都宮有』の純粋な分身と呼べない。
一人の人間、なのだと思う。
「……冷静に考えて、生後一か月か」
「あ、月野まで子ども扱いやめてよー! 子供っぽいところはあるけどさ! うん。……あるかも、だけど。…………ん、あるかも、だから。……がんばる、ボク。馬鹿のままじゃいられないもんね」
「えらいわね、ミヤ」
「えへ、褒められちゃった」
……『宇都宮』なら。宇都宮有なら。宇都宮/有なら。僕が工場で殺した、いや殺す以前の宇都宮なら褒められただけでこんなに可愛らしく頬を綻ばせない。絶対にこんなにかわいくない。僕が廃工場で殺した、最後に握手を交わした宇都宮なら――。
「……“ミヤ”」
初めて呼んだ。
宇都宮を文字った“彼女”の名前。
皆こう呼んでいたけど、僕はそれを口にしたくなかった。
だってミヤと呼んだら。
宇都宮と呼びかけることがなくなったら。
せっかく蘇った親友を、二度、手にかけるような気がして。
「ん、どうした、月野?」
宇都宮――いや、ミヤは、対して驚いた様子もなく小首をかしげて見せた。
「――……」
声には出さなかったが、思った。ミヤの中では、宇都宮もミヤも同じことなんだ。ミヤは、当然、僕が亡き親友に面影を重ね、そう呼んでいたことを知らない。愛称ではなく通称として、当然のように受け入れていた。僕にとっては全然違うことで、その呼び方を捨てることは親友の死を受け入れることで、彼女の存在を、改めて受け入れることだ。
僕の愛しい彼女の一人で、大切な、大切なミヤ。
僕はお前のことを二度と宇都宮なんて呼べない。
抱き寄せてから、頬にキスした。
「愛してる」
さよなら、宇都宮。
ここまでのご高覧、ありがとうございました。
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