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第60話:地下闘技場


 石畳は古いものと新しいものが入り混じって、モザイクタイルのような複雑な色合いをしている。

 

 その色合いを見たイリスは、この旧市街区をよく表していると思った。


 ──どんな者でも受け入れ、混沌としていながらも、一つに溶け合っている。

 

 王都の旧市街区は、特に古い建物が並び迷路のように連なる場所だった。

 昼間は狭い路地を埋めるようにたくさんの人々で行き交い、王都で最も賑やかな場所と言われている。


 しかし、路地裏に一度迷い込めば、元の道へは戻れない。 

 さらに居住区域は地下にもおよび、アリの巣のように無限に広がり、王宮でさえ全貌を知らない。


 路地裏の空はとても狭い。

 建物どうしの距離が近く、道幅は人ふたりほどの幅しかない。

 動物の糞尿の匂いが常に漂い、お世辞にも居心地のよい場所とはいえなかった。


 路地裏の行き当たりには、いつも同じ親子がいた。

 母が子供を胸に抱いて、朝から晩までずっとそこに座っていた。

 今日も、昨日と同じ姿勢で眠っていた。

 

 イリスは深い赤い色のフードを被り直して、いつもどおり、そこを通り過ぎる。

 すり減った石畳がぐにゃぐにゃと波打っていて歩きづらい。


 壁に突き刺さるようにして設置された古い街灯。

 長い間メンテナンスがされておらず、光がため息のように弱々しい。

 傾いた石畳の影が錯覚のような角度に落ちるせいで、道の突起に気づかず躓くこともあった。

 それでも、ないよりはマシだった。


 いくつもの曲がり角を抜けて、飴色の古い扉を開く。

 そこは空き家だが、無数にある地下街への入り口のひとつでもあった。


 イリスは暗闇の中、床に置かれた燭台の僅かな灯りを頼りに階段を降りていく。

 燭台のすぐそばの壁は、真っ黒な煤がひとすじ伸びて影のようになっていた。


 階段を降りると、雑多な匂いが鼻をついた。

 屋台の料理、薬草の匂い、食材の匂い、人々の生活の匂い、糞尿や生ごみの匂い、そしてかすかに胸の焼けるような甘い匂い……。


 地下街の住人は闇社会に身を置く者や貧民、そして違法移民など、地上に住むことを許されない者ばかり。

 イリスもまた、その地下街で暮らす一人だった。


 見慣れた扉を力を込めて開く。

 嗅ぎ慣れた古い油の匂いに、イリスは少し安心した。


 何やら住民から相談を受けていた部下がイリスに気づくと、駆け寄ってきた。

 

 「リーダー!妙な奴が闘技場で暴れています。どうしますか?」

 

 「いつものことでしょう」

 闘技場は荒っぽい層が集まるため、毎日のように乱闘や揉め事があった。賭けには大金がついて回り、敗者の人権は無いにも等しい。勝てば億万長者、負ければそこで人生終了。

 イリスはそこになるべく近づきたくなかった。放っておけば大抵の問題は解決するだろうと思っていたが、つぎに部下が告げた言葉は予想外のものだった。

 

 「それが……エルフのようなのです」

 

 「え?」

 イリスは耳を疑った。エルフは絶滅寸前の種族だ。歴史書によれば彼らの国は数百年前に滅亡し、わずかな生き残りが住む村は前人未到の秘境にあるという噂だ。その見目の良さから奴隷に欲しがる者は未だに多い。オークションなどに出れば高値がつくのは想像に難くない。


 (よりにもよってあの闘技場にいるなんて……敗れたらどうなることか。この地下街で奪い合いになって大きなトラブルになりかねないわ)


 イリスはため息をついた。

 

 「はぁ、仕方がないわね……分かりました、少し様子を見に行きます」



◇◇◇◇◇◇


 

 一方、貴族区にある老舗のホテルにて。

 大きなソファの上で溶けるようにぐうたらしていたクロが、部屋を見回す。


 「そういえばヨナはどこに行ったんだ?随分遅いな」

 

 「ああ、地下街じゃないかな。行ってみるかい?」

 

 「え?」


 エーギルに連れられるまま、複雑な道順を経て地下へ降りていくと、空気は次第に淀み始めた。

 明らかに堅気側ではない者たちがこちらを遠巻きに窺っている気配があった。

 さすがのクロも肩身が狭そうにエーギルに身を寄せる。


 「おい、ここ大丈夫なのか?絶対治安やばいだろ。なんか薬の取引みたいなことをしてる奴もいるし……」

 クロが声を潜めてエーギルに聞く。

 

 「大丈夫大丈夫!でも離れちゃダメだよ」

 クロはドラゴンだというのに意外と怖がりなところがある。小さな物音にも驚いて飛び上がるぐらいだ。

 そんなところも可愛いねぇ、とエーギルは思わず頬が緩んだ。


 そしてたどり着いたのは、分厚い鉄の門。

 その向こうで、大きな歓声が上がっていた。

 

 「なんだここは……?」

 

 飲んだくれのドワーフが門の近くで受付をしていた。

 「おお……エーギルか!30年ぶりじゃのう!もしかして試合に出るのか?」

 

 「今日はやめとくよ。はい、これ2人分の入場料」

 エーギルが懐から銅貨を取り出し、古びた銀皿の上に乗せる。


 鉄の扉がゆっくりと開く。

 そこには無数のスポットライトに照らされた巨大な地下闘技場が広がっていた。

 

 「着いたよ──ここがヨナの趣味兼仕事場、地下闘技場さ」


 その闘技場の中央にいるのはなんとヨナだった!

 上半身裸の彼は、バキバキに鍛え上げられた肉体を惜しみなくスポットライトの光に晒していた。

 長いポニーテールは戦いに邪魔にならないよう、後ろで編まれている。


 いつものお上品な姿からは全く想像できない姿に、クロは目を疑った。

 

 「え!?あそこにいるのはまさかヨナか!?」

 

 「そうさ。前に王都に来た時もここで賞金稼ぎをしていたんだ。せっかく来たし何か食べるかい?」

 手頃な席を探してクロに座るように促すエーギル。

 

 「おう!うまいもん大盛りで頼む」

 

 「任せて!隣の席守っててね」

 エーギルはそう言って売店の方へ向かった。


 《さぁ次はいよいよ40戦目、ラストバトル!これに勝てばヨナ選手には歴代最高賞金!賞金5億ルクスが与えられます!!》


 そのアナウンスを受けて大歓声が上がる。


 「はぁ!?あいつ40戦もしてるのか!?」

 クロが思わず声を上げると、近くの客が笑った。

 

 「驚きだよな。最初のほうなんざ、相手を5秒もかけずに次々と倒しちまったんだ!」

 その客は目を輝かせながら鼻息を荒くして語る。

  

 「なるほど……」

 鮮やかに相手を薙ぎ倒していく姿を見せられたらそりゃ熱狂せざるを得ないだろうな、とクロは思った。


 ヨナは観客席から投げ込まれた酒瓶を華麗に受け止めると、豪快にラッパで一気飲みして片手を高く掲げた。

 彼の一挙一動に、会場の空気が震えるほどの熱狂的な歓声が上がる。


 「おっ!!すげえな!」

 クロも素直に歓声を上げた。


 「ああして酒瓶を投げ込まれても、全部キャッチして飲み干しちまうんだ。酒も腕っ節も強いなんて、バケモンだぜ」

 「でも、あんな気持ちのいい試合をする奴ァ久しぶりだね」

 クロが新入りとわかると、周囲の客も我先にと口を開いた。皆ヨナの試合に相当興奮しているようだ。

 

 「20戦目ぐらいで魔物との乱闘ステージもあったんだけどよ、ほぼ無傷で突破だぜ。すげぇよな……おっ、相手の入場だ」


 

 《40戦目!最後の相手は──地下闘技場最強!!奈落王アバドンだ!!》


 そのアナウンスに観客が総立ちになって歓声を上げた。


 ヨナの反対側の門が開く。

 そこから現れたのは、大剣を肩に担いだ傷だらけの大男だった。

 いかにも裏社会を渡り歩いてきた歴戦の傭兵といった風貌だ。

 彼が大剣を地に突き立てると、闘技場全体が震えるような重低音が響いた。


「おおっ!」

「出てきやがった!」

「生で見るとやっぱ違うな……」

「今日一番のカードだ!俺ァアバドンに全賭けするぜ!!」



 アバドンは並の相手なら見下ろすほどの巨躯だった。

 しかし、ヨナもまた長身である。二人は互いに一歩も譲らぬ高さで睨み合う。

 その睨み合いだけで、闘技場の熱気は最高潮に達した。

 

 クロは隣の客へこっそり聞く。

 「あいつそんなに強いのか?」

 

 「地下闘技場の主みたいな奴だ。10年以上負けなしさ」

 

 それを聞いたクロは思わず生唾を飲んだ。

 

 

 《──試合開始ッ!!》


 アバドンが地に刺した大剣を引き抜きながら縦に大きくぶん回す。

 ヨナは地を蹴って回避する。


 リーチが長い分、相手との距離がどんどんと開いていく。

 大嵐のような薙ぎ払い。まともに受け止めるだけでも危険だ。


 《奈落王アバドンの猛攻! ヨナ選手、防戦一方だァ!!》


 「逃げてるぞ!」

 「押されてるのか?」

 「いや……これは……」

 

 《入ったァ!! アバドンの一撃が炸裂!!》

 

 ガードしたもののもろに一撃を喰らい、よろめきながら吐血するヨナ。

 奈落王の優勢に観客が沸く。


 「ヨナ……!!」

 クロは思わず身を乗り出してしまう。

 

 ヨナが口元の血を拭った──その一瞬の隙をアバドンは見逃さなかった。

 

 奈落王はぶんまわしでつけた遠心力を利用して、猛スピードで大剣を振り上げた。 


 《来た!来た!! 必殺・死のギロチン!!》

 

 (今度こそもうダメか……!?)

 

 ヨナはなんとそれを紙一重で避けた。


 《避けたァ!! 今のを避けたァ!!》

 

 そこから流れが少しずつ変わっていく。

 次第にアバドンの攻撃が当たらなくなり、じわじわとどよめく観客たち。


 《当たらない!! アバドンの剣が当たらない!! ヨナ選手、完全に剣筋を見切ったかァ!?》

 

 「今の避け方見たか?」

 「また見切ったぞ!」

 「嘘だろ!? 酒飲みながら避けてやがる!」

 「まさか……あれはわざと喰らってたのか?」



 「なるほどなァ」

 ヨナが酒瓶を上空に放る。

 その絶妙なタイミングに、アバドンの視線がそちらへ流れる。


 その一瞬にヨナは踏み込み、振り下ろされる大剣へ掌底を叩き込む。

 

 「なっ……!?」

 目の前で砕かれた愛剣に、アバドンは目を見開く。

 

 その隙を逃さず、ヨナは背後へ回り込むと、回し蹴りを叩き込んだ。

 アバドンの巨体がよろめいたその一瞬に、脚を首に絡め、その勢いのままギロチンのように地面に叩きつける。

 地面にひび割れができるほど強く叩きつけられたアバドンは、そのまま意識を失った。


 ヨナは倒れた奈落王から視線を外さぬまま、落下してくる酒瓶を受け止めた。

 

 「100年前の奈落王の方が強かったぜ」

 

 そう言って酒瓶に残った酒を一息に飲み干すと、空になった酒瓶を無造作に放り捨てた。

 乱れた髪をかき上げると、そのまま闘技場をあとにした。

 

 静まり返った闘技場に、放り投げられた酒瓶が乾いた音を立てて転がる。

 次の瞬間、闘技場は耳をつんざくほどの大歓声に包まれた。


 《き、決まったァァァ!!勝者ァァァ!!ヨナァァア──!!信じられねぇ!!あの奈落王をわずか10分でKO!!歴代最高賞金を勝ち取ったァァァ!!》



 大熱狂する観客の中でクロはひとり呟いた。

 

 「副ギルドマスターって一体何なんだ……?」

 

 「クロ、お待たせ!これおすすめのフライドポテト!意外と美味しいんだ」

 ドリンクと大盛りのフードを持ったエーギルがクロの隣に嬉々と座る。


 それを受け取りながらクロは言う。

 「お前はお前で運が本当に無いな……もう試合終わっちまったぞ」


 そんなぁ、とガックリ肩を落とすエーギル。

 

「おっこれ本当にうまいな!これ食べ終わったらヨナを迎えにいくか」

「うん、そうだね……」



 ◇◇◇◇◇◇

 


 その試合を、闘技場最上階から静かに見下ろしている者がいた。


 (なんて強いエルフなの……あまりにも強すぎる)

 闘技場最上階にあるVIP観客席で、イリスは息を呑んでいた。


「……っ!!」

次の瞬間、イリスの瞳が大きく見開かれた。

 

「リーダー、どうなされたのですか?」

「……いえ、何でもありません。あまりの強さに驚いただけです」


 

 (……あれは……)

 その先の言葉は胸の内ですら形にならなかった。だってそれは、あまりにも現実離れしていたから。

 

 ⸻ヨナが髪をかき上げた瞬間、イリスの脳裏を電撃のように貫いたのは、記憶の奥底にあるあの古い肖像画だった。

 

 忘れるはずがない。

 春の陽光を思わせる、美しく結い上げられた金の御髪。透き通るような白磁の肌。射抜くように深いエメラルドの瞳。

 ──今は亡きロヴェーン王国女王、スヴェア。

 目の前のエルフに、彼女の面影が色濃く落ちていた。

 

(……王族……? まさか。でも、あの面差しは……だとしても、ロヴェーンの王族がなぜ地下闘技場に?)

 

「……少し用事を思い出しました。あなたたちは先に戻っていてちょうだい」

 イリスは赤いフードを目深に被り直すと、静かに観客席をあとにした。

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