第58話:巡礼の旅
「──さぁ裁定の時だ。汝の道を誓え。」
ヴェトはカンテラを掲げて、クロに告げる。
その灯りに光が吸い込まれるように、あたりが急に暗くなった。
「汝に残された道は、ふたつだ」
鏡のような沼に夜空が映る。
真っ黒な空に、砕かれた宝石のような星々が散っていた。
その上をヴェトが歩む。ゆっくりと広がる水紋が星空をなぶるように掻き乱していく。
「──ひとつは、汝が神となり新たな世界樹を育てるか。──ふたつは、この森で罪人として滅びを待つか。」
クロは頭を抱えた。
「つまり……死にたくなければ、神になれってことか?」
クロのその問いに墓守は頷く。
「神になりたくないなら、それでもいいぞ」
ギムレットはまるで親友にでもなったように、気安くクロの肩に手を置く。
「死ぬまでこの森でぐうたらしていればいい。お前さんは元々そういう奴だろう?外へ出なければ誰も傷つかない。責任もない。戦う必要もない。この森でお友達と一緒にずっと暮らせばいい」
さも一番の親友としてクロの苦悩を理解し共感するかのように、悩ましそうな顔をしながら言葉を並べていくギムレット。
ギムレットはクロに囁く。
「……なぁ、お前さんは死ぬまでぐうたらしたいんだろう?悪い話じゃないと思うぜ」
クロは黙る。
エーギルとヨナは黙って彼の答えを待っていた。
──正直、魅力的だった。
ずっとぐうたらできて、死ぬまで眠っていられる。
昔の自分だったら飛びついていたかもしれない。
けれど、俺は世界樹の実を食べてしまった。
この世界の命とさえ言えるものを。
命をもらっておいて、何も返さず死ぬのは性に合わない。
食ったものには、きちんと礼を返したい。
「俺は神になりたくない。でも、ここで責任を放り出して死ぬ方がもっと嫌だ」
クロはエーギルとヨナをちらりと見た。
「……それに、二人と一緒にもっと旅をしてうまいもんを食べ尽くしたい」
それを聞いたエーギルの顔がぱあっと明るくなる。
「──だから、仕方がなく神になってやる。ぐうたらするのはそのあとだ」
「クロ……!俺も手伝うよ!」
そう言ってエーギルはクロの手を取った。その手を握る力は驚くほど強かった。
ヴェトが再びカンテラをゆっくりと掲げる。
揺れる炎に淡く照らされたその貌が、ほんの一瞬、クロの知らない女性に変化した。
驚いて瞬きをした時には、もうエーギルの貌になっていた。
「……ならば、汝はこの世界樹に神になることを誓うか?」
「ああ、誓う──この世界は滅ぼさない。俺が守る。」
それがクロの口から自然にこぼれた、誓いの言葉だった。
それを聞き届けたヴェトのカンテラの炎が頷くように大きく揺れたかと思うと、洪水のように溢れてクロの身を包んだ。
その誓いは、世界樹とクロの魔力をつなげるための契約だった。
契約を通じてクロの魔力が世界樹へと流れ込んでいき、枯れかけた世界樹は再び緑を取り戻した。
穏やかに梢を揺らす世界樹を見上げながら、クロは言った。
「これで……とりあえず一件落着か?ふぅ、どうなる事かと思ったぜ」
「全然一件落着じゃねェ!お前を神にしねェと世界が滅ぶってことだぞ?」
クロの腹が盛大な音を立てた。
「まずはご飯だね!」
エーギルが鼻歌を歌いながら芝生の上にシートを広げた。
そして次々と大量の食料を取り出し、それをクロの前に並べていく。
エーギルの収納魔法はヨナより容量がかなり大きいので、もっぱら食糧庫代わりになっていた。
「はい!いっぱいお食べ!」
揺れる木漏れ日を浴びて輝く果物や肉料理、そしてエーギル手製のサンドイッチは、とても美味しそうに見えた。
「世界樹の前で食えるとは最高に贅沢なピクニックだな……いただきます!」
クロは幸せそうにサンドイッチを齧りはじめた。
その隣でエーギルは飲み物の準備をする。
「ヨナはお酒飲むかい?」
「ああ、いつものやつな」
「んじゃ、俺もいただこうかな」
いつのまにかヨナの隣にギムレットが腰を下ろしていた。
微かな煙草のにおいが風に混じる。
「お前……!」
「そう怖い顔をしなさんなって。俺の土産もあるぜ──ほれ、秘蔵の酒だ」
ヨナの返事を待つ前に、ギムレットは瓶を傾けてグラスになみなみと注ぐ。
その深い琥珀色と蜂蜜を思わせる芳香に、ヨナは喉元まで出かかった文句を飲み込んだ。
「……一応変なもんは入ってねェみてェだな。どれ」
ヨナは一口飲んで、目を見開いた。
すぐに二口三口飲んで、観念したようにため息をつく。
「──ギル、菫色のラベルのやつを出せ」
「ええ!?それヨナが大事にしてる一番高いお酒でしょ?いいのかい」
「いいんだよ。これじゃなきゃ釣り合わねェ」
少し考えてから、ヨナは付け加えた。
「それから木箱入りのつまみも頼む」
それを聞いた灰色の目が、どこか嬉しそうに細められた。
「はぁ、すごいねぇクロ……大人の世界だよ」
ため息をつきながら、エーギルはクロの隣に腰を下ろした。
「俺より年上のエルフのくせに何を言っているんだ、お前は」
「だって俺お酒よりお菓子の方がいいもの」
エーギルはそう言って焼き菓子をひとつつまむ。
「そんなら俺は菓子より肉だな!ベーコン追加でくれ」
「はいはい。厚さはどのくらいがいい?焼こうか?」
「厚めで!カリカリがいい!」
「さすがクロ、こだわるねえ」
そう言いながら、エーギルの指先は慣れた様子でベーコンを宙に浮かせる。
魔法とは便利なものだ。
フライパンがなくとも、火加減ひとつで調理ができてしまう。
「はい、焼けたよ」
「おおーありがとな!いただきます!」
焼きたてのベーコンを頬張るクロを見て、エーギルは目を細めた。
「クロは本当に美味しそうに食べるねえ」
「そりゃ食うのは俺の生きがいだからな!」
そんなやり取りをしていると、森の奥から歩くキノコたちが果物をたくさん運んできた。
「おお!キノコが歩いて森の恵みを運んでくれてるぞ!キノコごと食っていいのか!?」
そのキノコはちょうど今食べているベーコンと相性が良さそうな見た目をしていた。
バター醤油とかで炙りたくなるようないい形だ。
「ははは、こりゃ珍しい。世界樹もお前さんのことが気に入ったようだな。──あとそのキノコはやめとけ、幻覚が見えるぞ」
ほろ酔い気味のギムレットは笑った。ヨナとの酒盛りですっかりご機嫌だ。
初めて見るギムレットの心からの笑顔に、クロは少し驚いた。
「なぁ、神ってどうやってなるんだ?」
クロはデザートのりんごを齧りながら尋ねた。
「巡礼の旅で神の因子を7つ集めよ」
ギムレットに尋ねたつもりだったが、声がした方へ振り返るとそこにはヴェトが立っていた。
クロは驚いてあやうく食べかけのりんごを落としそうになった。
「巡礼の旅?聞いたことがないな」
エーギルが不思議そうに口を開く。
「妖精族の古い歌に『巡礼の旅』ってのがあるのさ」
ギムレットはグラスに酒を注ぎ足しながら、静かに『巡礼の旅』を口ずさんだ。
さすが妖精族だけあり、その歌は不思議なほど耳に残った。
──光に導かれし神の子よ。
深き根より旅立ち、七つの篝火を巡れ。
これは世界の罪を濯ぐ巡礼の旅なり。
枯れた豊穣に芽吹くもの。灰に燃ゆる青き炎。
白き海に沈む盃。雷鳴宿す風吹きの谷。
神々の残火を抱く時、巡礼者は王冠を戴く。
されど忘れるな。光は常に隣にある。
道を照らすものなくして、神は深淵へ堕ちる。
かくして、新たな神とならん。
かくして、神は再び地に降りる。
「初めて聞く歌だな……さっぱり意味が分からねェ」
「そりゃそうさ。妖精族に期待するなよ。そもそも歌自体が古すぎて俺もよくわからないんだ」
「むぅ、試練みたいなもんをやるのか?あーあ、まったく面倒なことになっちまった」
クロはそう言ってシートの上に転がった。
世界樹の樹冠は、はるか頭上で輝いている。
自分がこれから歩む『巡礼の旅』は、それよりもずっと遠い道程のように思われた。
宇宙を徒歩でゆくような、果ての見えない旅になるのではないか?
クロがそう思いかけたその時、エーギルがまぶしい笑顔で言った。
「俺が隣にいる限り大丈夫だよ。クロならきっと優しくて最高の神様になれるよ!」
「それはちょっと言い過ぎじゃないか?神になったらさっさと辞めてぐうたらするつもりだからな」
軽く身を起こすと、さきほどまでの漠然とした不安は消えていた。
「こんなぐうたらな奴が神になるなんて、世も末だな」
そう言ってヨナはグラスを傾けて、最後の一口を飲み干した。
「──ま、何にせよ世界の危機だ。最後まで付き合うぜ」
ヨナがグラスを置く。
その隣にはクロとエーギルのグラスが並んでいた。
ギムレットの灰色の瞳は、きらきらと木漏れ日を受けて瞬くそれを眩しそうに見つめた。
遠い昔に置き忘れた宝物を眺めるような、優しいまなざしだった。
そして、クロ一行はギムレットの案内でようやく森の出口に立つことができた。
ヨナとエーギルはこの先の進路について話し合っている。
その様子を眺めながら林檎を齧っているクロに、ギムレットが声をかけた。
「クロ、お前さんにこれを渡しておくぜ」
差し出されたのは一本の小枝。
どこにでも落ちていそうな、人差し指ほどの長さしかない細い枝だった。切断面は瑞々しい緑色のままで、不思議と枯れる気配だけはなかった。
「なんだこれは?」
「世界樹の枝さ。この先、何かの役に立つだろう。腹ん中にしまっときな」
「ありがとよ」
クロは枝を受け取ると、慣れた手つきで腹の中へしまい込んだ。『鎚星』を収納している場所と同じだ。
「──なあギムレット」
「なんだい?」
「お前は死ぬまでずっとここにいるのか?」
「ああ、死ぬまでずっとこの森にいるつもりさ」
「世界中を探し回れば、他の妖精族に会えるかもしれないぞ?」
「夢があるな。それでも俺はここにいるよ。誰かが番人をしなきゃならないからね」
ギムレットは静かに森を見上げた。
「そうか……」
「ま、お前さんなら良い神になれるぜ」
ギムレットはひらりと手を振ると、森の影の中へ溶けていった。
「その誓いを忘れるな。竜よ、お前は神に至る道を踏み出した」
風に混じって、森の奥からヴェトの声がした。
そして、森を抜けた道の先には黄金色の巨大な城壁が果てしなく続いていた。
「この壁……もしかしてこの向こうに王都があるのか?」
城壁を触るクロの隣で、エーギルが頷く。
「そう、王都はこの先なんだけど──鉄道より早くない?3日もかからなかったね」
「それでも絶対に二度と近道はしねェ。もう散々だ」
「……ギムレットが気を利かせたのかもね」
エーギルが森を振り返ってぽつりと言った。
「そうかも。あいつ、なんとなくエーギルに似てたな。笑顔とか」
「へぇ、クロも冗談を言うようになったんだね」
「いや本当なんだって!嬉しくないかもしれないけどさ。なあヨナもそう思うだろ!?」
ヨナはあえて何も言わなかった。




